7.見通す目
セレーネは毅然とした足取りで前を向き、歩き始めた。その小さく可憐な背中には、千年の時を一人で背負い続けてきた者だけが持つ、圧倒的な威厳と悲壮感が漂っていた。
「ついて来られるか、弟子。……ここから先は、本当の地獄になるぞ」
「……っ! もちろんですっス、師匠! どこまでだってついて行くっスよ!」
カイは自身の胸に手を当て、力強く頷いた。
自らの内に眠る運命の重さも、この先に待ち受ける過酷な真実も、まだ知らない。だが少年は、伝説の魔女の隣に立つため、迷うことなくその一歩を踏み出したのだった。
「行くぞ、二人とも。ここからが本番だ」
セレーネの静かな一言が、大通りの重苦しい空気を切り裂く。
少女を安全な場所へ避難させたカイは、膝の震えを力づくで抑え込みながら、セレーネのすぐ後ろへと駆け寄った。隣には、相変わらず不気味なほど落ち着き払った様子で眼鏡をかけ直すエレンが並ぶ。
「師匠、さっきの『蝕心』の男……あんな風に急激に理性を失うなんて、一体王都の地下で何が起きてるんスか?」
「地下の地脈に、アビスの『黒い澱』が溜まりすぎているのだ」
セレーネは歩みを止めず、深くフードの影から路地裏の暗がりを見据えた。
「本来なら、地脈を流れる魔力は清らかに循環するもの。だが、千年前の核が蠢き始めたことで、負の魔力が汚水のように地表へ溢れ出している。……そして、その汚染が最も濃い場所が、この王都の地下大水道だ」
「地下大水道……! 王都の真下にある、あの広大な地下迷宮っスね」
「ふむ、流石は元・駆け出し冒険者。地理には詳しいね、カイ少年」
エレンが薄く笑みを浮かべながら付け加える。
「現在、王都警備隊の何割かが原因不明の狂暴化を起こして職務不能に陥っているそうだ。君が先ほど見たように、内部から崩壊が始まっている。このまま放置すれば、今夜にも王都全体の三分の一が『蝕心』した狂者であふれ返ることになるだろうね」
エレンのさらりと言い放った絶望的な予測に、カイは背筋が凍りつくのを感じた。
「そんなの……絶対止めなきゃダメじゃないっスか! セレーネ師匠、地下へ行くっスよね!?」
「言われずとも行く。だが、カイ」
セレーネは急に足を止め、振り向いてカイの目をじっと見つめた。黄色と青の美しいオッドアイが、射抜くような鋭さでカイの瞳の奥を見透かしてくる。
「地下大水道の内部は、地上とは比べものにならん濃度の悪意で満ちている。お前のように『他人の心の濁り』を感じ取れる性質を持つ者は、その邪気に当てられて自分自身が真っ先に精神を病むリスクがある。……本当に来る気か?」
「っ……!」
試すようなセレーネの問いかけ。確かに、さっきの男の瞳の黒い濁りを見ただけでも、カイの胃の奥は嫌な悪寒で引きつっていた。もしあの何百倍もの濃度の闇に触れたら、自分はどうなってしまうのか。恐怖で足がすくみかける。
だが――カイは短剣の柄を握りしめ、力強くセレーネの視線を受け止めた。
「怖くないと言ったら嘘になるっス! でも……師匠が一人で全部背負って戦うのを見てるだけなんて、絶対に嫌なんス! 俺のこの『目』が役立つなら、何としてでも師匠の背中を守ってみせるっス!」
真っ直ぐで、一片の濁りもない少年の言葉。
セレーネは一瞬だけ呆れたように目を丸くし、それからすぐにフッと小さく、諦めたような溜息をついた。
「……バカめ。口だけは一人前だな」
そう呟くセレーネの表情は、フードの影で見えなかったが、どこか小さく口元が緩んだように見えた。




