20.黒い瞳
王都の北郊外に位置する広大な共同墓地。かつて静寂が約束されていたその場所は、立ち込める重苦しい霧と、立ち並ぶ無数の墓標の影によって、不気味な異界へと変貌を遂げていた。
墓地の頑丈な鉄門の前には、ギルドの呼び出しに応じた三十人ほどの冒険者たちが集まっていた。
「おいおい、なんだってこんなに霧が濃いんだ?」
「気味が悪いな……本当にただの骨や腐肉の掃討戦なんだろうな?」
集まった冒険者たちの間には、どこか落ち着かない不安とざわめきが広がっていた。カイは周りの様子を伺いながら、隣に立つエレンに小さく声をかける。
「エレンさん……やっぱり、ここ全体に嫌な空気が漂ってるっス」
「そうだね、カイ少年。アビスの残滓というよりは……もっと人工的で、悪意に満ちた術式の匂いがするよ」
エレンは静かに眼鏡のツルを押し上げ、群衆の先頭に立つ男へと視線を向けた。
討伐隊をまとめるリーダーとして名乗りを上げたのは、王都でも名を知られたベテランのBランク冒険者、大槌の「グラント」だった。全身を重厚な鎧で固めた巨漢の男は、周囲を鼓舞するように高らかに声を張り上げた。
「おい、お前たち! 怖気づいてる場合じゃねえぞ! たかが墓場のアンデッドどもだ、俺のこの大槌で叩き潰して、チャチャッと報奨金をもらおうじゃねえか!」
グラントの大音量に、何人かの冒険者が「応!」と威勢よく声を上げる。
「よし、門を開けるぞ! 隊列を崩すなよ!」
ギギギ……と不気味な金属音を立てて重い鉄門が開かれた。グラントを先頭に、三十人ほどの冒険者集団が一歩一歩、鬱蒼とした墓地の中へと足を踏み入れていく。
――だが、全員が門を潜り抜けた、まさにその瞬間だった。
――ガシャンッ!!――
背後で鉄門が凄まじい音を立てて跳ね上がり、自動的に施錠された。同時に、足元から黒い霧が爆発的に湧き出し、周囲の視界を奪う。
「な、なんだ!? 門が閉まったぞ!」
「待て、頭上から……何か落ちてくる!!」
悲鳴が上がるよりも早く、頭上の濃霧を切り裂いて「それ」は降り立った。
ドスン、と重い着地音。影の刃が一閃する。
「がっ……!?」
先頭で大槌を構えていたグラントの巨体が、一瞬にして硬直した。彼の喉元からは血の一滴すら流れることはなく、ただ心臓を正確に一突きの術式で撃ち抜かれ、泥人形のように崩れ落ちたのだった。
「グ、グラントさんが……一撃で……!?」
「ひ、ひぃぃぃっ! 出たぞ、化け物だーーーっ!!」
集団を束ねていた最大戦力が、足を踏み入れて数十秒で沈黙した。その圧倒的な絶望に、冒険者たちの統制は一瞬で崩壊した。
「逃げろ! 門を壊せ!」
「いやだ、死にたくないっ!」
パニックに陥った者たちが鉄門へ群がり、ある者は恐怖のあまりその場にへたり込んで気を失い、またある者は武器を投げ捨てて狂ったように叫び散らした。混乱と絶望が、冷たい霧とともに現場を支配していく。
そんな阿鼻叫喚の渦中で、カイは自らの『目』に意識を集中させ、短剣を構えて前方の暗闇を凝視していた。
「カイ少年、落ち着いて。来るよ」
エレンの冷徹な声がカイの意識を繋ぎ止める。
墓標の影、そして濃霧の奥から、ズサリ……ズサリ……と足音を響かせて、幾十もの「影」が姿を現した。
破れた服を纏い、肌は土気に汚れ、不気味に揺れながら歩んでくるその集団。それを見た生き残りの冒険者が血の引いた声で叫ぶ。
「ア、アンデッドだ! ゾンビどもが湧いてきやがった!」
だが――カイの『目』が捉えた光景は、周囲の人間が見ているものとは決定的に異なっていた。
(……え……? うそ、だろ……っスか……?)
カイの全身から血の気が引いていく。自らの魔力を『目』に巡らせ、彼らの体内を流れる魔力の奔流と構造を透かして見た瞬間、カイの脳裏に激しい衝撃が走った。
彼らの体内には、動かない死者特有の腐敗した魔力核など存在しなかった。
そこにあったのは、力強く、けれど酷く歪に脈打つ「生きている人間の心臓」と、体内を巡る温かな血液の巡りだった。
「こ、この人たち……死体なんかじゃないっス……!」
カイの声が震える。
ゆっくりと近づいてくる者たちの顔が、月光と松明の火に照らし出された。
彼らの瞳――それは白目も黒目もなく、眼球全体が文字通り「どろりとした漆黒」に染まり切っていた。自我の光は一切存在せず、ただ無機質な悪意と傀儡の術式によって動かされている。
「生きている……人間っス……! 街で行方不明になった人たちや、操られた冒険者なんだ……!」
カイの言葉に、エレンは微かに瞳を細めた。
「……なるほど。外見を汚し、精神を呪術で塗り潰すことで、冒険者たちに『アンデッド』だと思い込ませて討伐させていたわけだ。生きている人間を、人々の手で殺させるためにね」
カイの短剣を握る手が、激しく震えた。
カイの『目』は、さらに残酷な真実までをも見抜いてしまっていた。
瞳を真っ黒に染めているその術式は、脳と魂の根幹を完全に破壊し尽くしている。アビスの侵食や精神干渉の領域を遥かに超え、彼らの自我は既に影も形もなく砕け散っていた。
(直せない……。アビスの濁りなら、俺の『目』と師匠の魔法で祓えるかもしれない……。でも、この人たちの心は……もう、二度と元の人間には戻らないっス……!)
生きているのに、もう助ける術がない。
死者ではないのに、死者として倒すことしか許されない。
「そんな……こんなの、酷すぎるっスよ……!」
少年の絶望的な叫びを吸い込むように、黒い瞳をした「生きている人間たち」の群れは、無感情に、そして静かにカイとエレンを取り囲んでいくのだった。




