21.漆黒の群勢
「来ないでくれ……! 頼む、来ないでくれっ……!」
立ち込める死臭と冷気のなか、闇に染まった「元・人間」たちの群れが、無機質な足音を響かせて距離を詰めてくる。カイは震える手で短剣を構え直すが、その刃先は大きく揺れていた。
生きている。彼らは確かに生きているのだ。だが、その瞳に宿るのは絶望的な漆黒のみ。自我を削り取られ、肉体の限界を超えて酷使される傀儡と化していた。
「カイ少年、惑わされてはダメだ!」
エレンの鋭い声が、墓地の静寂を切り裂いた。
「彼らの魂はすでに潰されている! そして……見てごらん、あの肉体の変貌を!」
カイが『目』に魔力を集中させると、息を呑む光景が視界に飛び込んできた。黒い瞳の男たちの皮膚から、じちじちと不気味な煙が上がっている。体内に残留するわずかな生命力と寿命が、どす黒い術式によって爆発的な魔力へと変換され、無理やり筋力を爆発させているのだ。
「命を……寿命を燃やして強化されているっス……!?」
「そう、術者は最初から彼らを生かして返すつもりなんてない。使い捨ての爆弾と同じさ!」
エレンが前に一歩踏み出し、懐から一冊の古びた羊皮紙の魔導書を取り出した。
「僕の本職は歴史の記録者であって、武闘派の妖精じゃないんだがね……。大切な友人の愛弟子を、こんなところで死なせるわけにはいかないよ!」
エレンの瞳が、ふっと金色の神秘的な光を放った。その背後に、幻想的な光の粒子で構成された半透明の羽が広がる。千年の時を生きる妖精族の真の威光が、一瞬だけ墓地全体を圧した。
――『千年の追憶:星屑の小夜曲』――
エレンが魔導書を掲げると、頭上に無数の青白い光弾が生成された。それらは彗星のような尾を引いて空を走り、襲い来る傀儡たちの足元へ正確無比に突き刺さる。
ドババババッ! と地表が爆ぜ、光の爆風が群れを押し戻した。
「すごい……! エレンさん、戦えるじゃないっスか!」
「ハハ……言っただろう、頑張ればこれくらいはできるって! だけど数があまりにも多すぎる!」
寿命を削って暴走する傀儡たちは、痛覚すら失っていた。脚が削られ、光の刃に焼かれようとも、眼球を黒く染めた男たちは咆哮すら上げずに再び立ち上がり、津波のように押し寄せてくる。
「カイ少年! 迷いを捨てろ! 命を奪うためじゃない、彼らをこの呪いから解き放つために刃を振るえ!」
「……っ! はいっス!!」
エレンの叫びに、カイの瞳から迷いが消えた。
カイは脚に魔力を集中させると、土蹴りを放って影の中へと没した。
――隠蔽魔法・影走り――
視界から姿を消したカイは、月光の影から影へと高速で跳躍する。寿命を燃やす傀儡の攻撃は疾風のように鋭いが、カイの『目』にはその軌道が見えていた。黒い魔力が集中する術式の「結び目」――関節や魔力の起点となるツボを、短剣の柄や峰で正確に打ち据えていく。
ガンッ! ポンッ! と軽快な打撃音が響き、急所を突かれた傀儡たちが次々と崩れ落ちていく。殺さず、行動不能に叩き落とす。カイの短剣術は、まさに極限の集中力によって研ぎ澄まされていた。
「素晴らしい身のこなしだ、カイ少年!」
エレンは光の結界を展開し、背後から迫る傀儡の突進を弾き返した。だが、長時間の連続戦闘により、エレンの額には大量の汗が滲み、背中の光の羽がチラチラと明滅し始めている。
(くっ……やはり人の身を借りた状態での連続行使は、魔力の消耗が激しすぎるか……!)
千年の寿命を持つ妖精とはいえ、現在の肉体は人間に擬態したもの。戦闘に特化していないエレンの魔力は、底をつきかけていた。
その瞬間――墓地を包む黒い霧が、俄かに旋風を巻いた。
「……クックック。威勢が良いのはそこまでだ、冒険者の雛ども」
墓標の頂点に、いつの間にか一人の人影が立っていた。全身を黒いローブで覆った男が、骨でできた杖を静かにかざす。
男が杖を振り下ろした瞬間、倒れていた無数の傀儡たちの身体から、残されたすべての生命力がどす黒い怨念となって吐き出された。それらは空気中で凝縮し、巨大な一本の黒槍へと姿を変える。
「な……ッ!? 倒れた人たちの命を、全部吸い上げて……!?」
カイが戦慄した時には、すでに遅かった。
「消えろ」
――『呪詛・性命穿破』――
音を置き去りにするほどの速度で、漆黒の巨大槍が空を穿った。ターゲットは、魔力を使い果たして動きの止まったエレン――ではなく、彼を庇うように前面に出ていたカイだった。
「カイ少年!!」
エレンの悲痛な叫びが響く。
カイは迫り来る死の光景を、極限まで加速した思考の中で見つめていた。自身の『目』は、その漆黒の槍が自分の胸腔を正確に穿ち、心臓を打ち砕く未来の軌道をはっきりと捉えている。
避けられない。防御も間に合わない。絶対的な死の威圧に、カイの身体は金縛りに遭ったかのように一歩も動かなくなっていた。
黒槍の先端が、カイの胸元の服を切り裂き、皮膚に触れる――その一瞬手前。
少年の視界は、漆黒の死の輝きに完全に塗り潰されようとしていた。




