2.ロリコン
あの奇跡のような夜から、カイの日常は一変していた。
傷一つなく治癒された己の身体をさすりながら、彼は確信していたのだ。あの美しいオッドアイの少女こそ、千年前の大災厄「黒崩」を鎮めた伝説の「不死の魔女」であることを。
あのレベルの治癒魔法をこれほど傷一つなく成功させる。そんな事常人の技ではない。
それからの数日間、カイは街中を必死に探し回った。人混みの雑踏の中、深くフードを被った小柄な人物を見かけるたびに叫び、駆け寄る日々。だが、街の住民たちの視線は日に日に冷ややかさを増していった。
若い男が街中の少女に声をかけ回る姿は、誰からどう見ても怪しさの極みであり、そろそろ「怪しいロリコン」として衛兵に差し出されかねない限界ラインに達していた。
そんな折、カイは露地の角で佇む一人の小柄な少女を目にする。
「あ、あのっ――!」
藁にもすがるとはまさにこのことか。カイは歓喜に目を輝かせ、無我夢中で手を伸ばした。
「――っ!?」
少女が驚きに肩を跳ねさせたその瞬間、ガシリと力強い手がカイの手首を掴み上げた。
「ちょっと君。」
低く厳格な声が頭上から降ってくる。見上げると、そこには険しい顔つきをした衛兵の男が立っていた。
「今、街で指名手配されている幼女誘拐犯は君のことか?」
「は!? い、いやいやいや! 違いますっス! その、俺は――!」
あまりの濡れ衣にカイの顔から一気に血の気が引く。衛兵は怯える少女へと視線を向け、優しく問いかけた。
「君、この男と知り合いかい?」
「い、いいえ……」
「そうか。では少年、少し屯所まで来てもらおうか。話を聞かせてもらおう。」
「あのっ! 違うんですって! 俺はただ、人を探してるだけなんっスよ!」
「はいはい、そういう言い訳は後でじっくり伺うからね。」
「違うんスって! ちょっと手! 手を引っ張らないでくださいっス――!」
無慈悲にもズルズルと連行されそうになったその時、不意にカイの服の裾がキュッと引っ張られた。
「……この人、私のお兄ちゃんなの。」
静かだが、路地裏に不思議とよく通る鈴を転がすような声。
「あ……っ! や、やっと見つけたっス……!」
カイが目を見開くと、そこにはあの夜と同じ、深くフードを被った少女が立っていた。彼女は白々しいほど自然に、綺麗な瞳で衛兵を見上げている。
衛兵は目を丸くし、手を開放した。
「……そうなの? なんだ、人を探しているというのは本当だったのか。……すまないな、ロリコンじゃなかったんだな。」
「ずっと最初からそう言ってたっスよね!?」
「疑ってごめんね。よし、もう行っていいよ。……あ、お嬢さんも、急に驚かせてごめんね。」
衛兵は照れくさそうに頭を掻きながら去っていった。その背中を見送り、カイは大きなため息をついて胸を撫で下ろす。助かったという安堵と同時に、目の前に憧れの存在がいるという高揚感が胸を突き上げていた。
「ありがとっス! 本当に助かったっス……!」
「……」
「あっ、ちょっと! 無視しないでくださいっス!」
少女はカイの感謝の言葉に一切耳を貸さず、ぷいっと背を向けると、トコトコと迷いのない足取りで歩き始めた。
「ちょっと待つっスよ!」
追いかけようとするカイだったが、すぐに違和感に気づく。小柄な身体からは想像もつかないほど、彼女の歩幅と速度は異常だった。滑るように路地をすり抜け、人混みの中へと消えていく。
(な、あの子足が速すぎるっス!?)
あっという間に広がる距離。明らかにカイを振り切ろうとする意志を感じた。だが、カイとてただのドジな駆け出し冒険者ではない。彼には唯一、人並み以上に磨き上げてきた技術があった。
――『隠蔽魔法』。
自らの存在感、気配、音、そして魔力の波長すらも極限まで薄め、風景に溶け込む魔法。戦闘に使える膨大な魔力を持たないカイが、昔からよく使っていた得意な魔法だ。
「……絶対に、もう見失わないっス!」
カイは息を殺し、全身に『隠蔽魔法』を纏わせた。存在が周囲の陰影へと溶け込んでいく。カイは気配を完全に殺したまま、前方をゆく少女の影を、音もなく追跡し始めた。
どこへ向かっているのか。なぜ正体を隠し、街を彷徨うのか。
少女の背中を見つめるカイの瞳には、かつてないほど真っ直ぐで力強い光が宿っていた。
決意を胸に、少年は漆黒の闇の中へと静かに消えていく少女のあとを追いかけた。




