1.少女との出会い
千年の周期で訪れ、世界を虚無の暗黒へ引きずり込む大災害――「黒崩」。かつて世界の中心で膨大な魔力の核が暴走した際、それを鎮めたのは伝説の「不死の魔女」であったとされる。己の無限の寿命を魔力へ還元し、前人未到な大封印魔法を編み出すことで世界を救った彼女の逸話は、古い羊皮紙に記された歴史の真実だ。不死な彼女は未だに生きているとされている。。
「な、何してるんスカ!」
帝国の薄暗い裏路地に、場違いな明るさを含んだ若者の叫びが響く。声の主はカイ。街にどこにでもいる、駆け出しの少年冒険者だ。
彼の視線の先には、怪しい男たちに囚われかけている一人の少女がいた。相手はギルドの規約を破り、人道に反する犯罪に手を染めた者たち――通称「堕者」。裏社会の奴隷商人へ売るため、小さく頼りない少女を取り囲んでいたのだ。
正義感に駆られたカイは、咄嗟に少女と男たちの間に割り込んだ。
「はぁ? 誰だお前は」
男の一人が不機嫌そうに歪んだ顔を向ける。カイは膝の震えを必死に抑えながら、胸を張ってみせた。
「その子、露骨に嫌がってるじゃないスか! あんたら堕者だろ、その女の子に気安く近づくなっス!」
「おいおい、何言ってんだガキが。喧嘩売ってんのか? こいつは俺の妹だ。そうだろ? なあ!」
男が粗暴に手首を掴むと、深くフードを被った少女は小さく身をすくめ、ただじっと地面を見つめて黙り込む。その怯えたような態度が、カイの青臭い勇気に火をつけた。
「ほら! ビビり散らかしてるじゃないスか!」
「どこがそう見えるんだあぁ!?」
威圧的な怒声が路地裏に木霊する。相手は手慣れた悪党たち。恐怖で背中に冷や汗が流れるが、カイは心の奥底で覚悟を決めた。自分の憧れる英雄なら、ここで絶対に引かないはずだからだ。
「……不死の魔女様なら、きっとこうして人を助けたはずっス!」
「チッ、頭の湧いたガキが……お前ら、分からせてやれ」
「うおっ!? ち、ちょっとタンマ! 待つっス、タイム!」
相手の剣士が一歩を踏み出すのを見て、カイは慌てて詠唱を開始した。指先に小さな魔力の光が集まり、放たれる。
「魔法使いか! 厄介な――」
「避けられねぇ、あぶな――」
ポスッ。
威勢のいい掛け声とは裏腹に、放たれた初級魔導は男の胸元で情けない音を立てて弾け飛んだ。
「……うーん、やっぱり威力が出ないっスね。俺の誠心誠意を込めた魔法が……」
「ハッ! なんだこの湿気た爆竹は! こいつも弱ぇぞ、まとめて捕まえて売っちまおうぜ!」
「ちょっと待ってぇ!」
冷や汗を流しながらも、カイは必死に頭を回転させた。自分に戦闘力がないのは百も承知だ。なら、せめてこの少女だけでも逃がさなければならない。
「ねぇ、そこのお嬢さん! 俺が今からほんの少し……本当にほんの少しだけ足止めするっス! あんたも魔法の気配がするから使えるはずだ! 身体能力強化の魔法を使って、全力で逃げるんスよ!」
しかし、少女はフードの影から動こうとせず、ただじっと静観している。
「何してるんスか! 早く走って!」
「ハハハ! バカだろお前! 足止めする力もないくせに! 仮にそいつが身体能力強化を使ったところで、俺
たちみたいな熟練の剣士からは逃げ切れねぇよ。間合いを詰めて一瞬で終わりだ。まさか魔法士が二人も転がり込んでくるとは、今日はツイてるぜ!」
間髪入れず、男の硬い拳と剣の柄がカイの腹部へ深くめり込んだ。
「ガハッ……!?」
吐熱した息が漏れ、激痛が視界を真っ白に染める。地面に叩きつけられ、何度も蹴りつけられるカイ。全身の骨が悲鳴を上げ、立ち上がるどころか息を吸うことすら苦しい。それでも、彼は這いずるようにして少女の前に立ち塞がった。
「(逃げてくれれば……いいのに……。怖くて、動けないんスよね……。でも、俺が立たなきゃ……助けなきゃ……!)」
ボロボロの身体で庇い続けるカイの姿勢に、男が苛立ちを募らせ、真上から刃を振り下ろそうとしたその瞬間――。
ズシン、と重い音が響いた。
「な……!?」
一人、また一人と、男たちが断末魔すら上げずに泥のようにその場へ崩れ落ちていく。まるで目に見えない巨大な圧力が、彼らの存在そのものを押し潰したかのように。
「何だ! 何が起きて――」
最後の一人が倒れ伏した時、静寂が支配する路地裏の中央に立っていたのは、渦中の少女だった。その身から溢れる圧倒的な魔力の残滓が、大気を微かに震わせている。
「身体能力強化は、この小さな体の方が素早く動き、効率よく関節を打てる。……一つ学べたな、悪党」
あまりにも冷徹で、威厳に満ちた声。倒れた男たちは意識を失い、二度と動かない。
「な……にを……?」
混乱するカイに向かって、少女はゆっくりと歩み寄ってきた。
「少年よ。よく庇ってくれた。……最初からこうすればよかったのだが、想像以上に君が弱かったものでな。助けるタイミングを逃した。すまなかった」
「(なんだ……? 俺が必死に守っていた女の子が、本当は信じられないくらい強くて……俺は今、めちゃくちゃバカにされてるっスか……?)」
呆然とするカイの目の前で少女が覗き込みこちらを見た。
フードの隙間から見えたのは夕闇の光の中に現れたのは、息を呑むほど美しい容姿だった。夜空を切り取ったかのような艶やかな黒髪。そして、黄金と瑠璃色が左右で異なる輝きを放つ、神秘的な双眸。あまりの美しさにカイが言葉を失った瞬間、彼女はそっと顔を近づけ、カイの唇に己の唇を重ね合わせた。
「……!?」
温かい感触とともに、眩いばかりの光の粒子がカイの体内へと流れ込んでくる。内臓の破壊痕が、砕けた肋骨が、瞬く間に熱を帯びて再生していく。それは高純度の魔力を直接体内へ注入し、肉体を即座に再構成する古代の治癒技法だった。
ゆっくりと唇が離れる。
「……私を守ろうとしてくれて、ありがとう」
少女は微かに目を細め、静かに微笑んだ。
「い、いえ……っ! 傷が、治ってる……? あの、あなたは――」
カイが問いかけようとした時には、既に少女の姿は影のように路地の奥へと消え去っていた。風になびく黒髪の残り香だけが、そこに残されている。
「誰かを守るのに、強さの証明など要らない。……君のその青い誇りは、本物だったよ」
耳元に残ったその言葉は、まるで千年の時を超えて語り継がれる英雄の述懐のようだった。
「何だったんスか……あの子は……」
カイは唇に残る温もりと、すっかり軽くなった自分の身体を確かめながら、ぽつりと呟いた。
彼が助けたその少女こそが、歴史の影に隠れ、永き時を生き続ける「不死の魔女」その人であったことに、彼が気づくのはもう少し先の話である。




