鑑賞……?
歌劇の前に美術館へ来たかった理由は、期間限定の『竜の時代展』が開催されているからだ。
その昔、赤い悪魔と呼ばれた傭兵が活躍をした時代、彼が大迷宮から持ち帰った品々を保管、管理する目的で作られた博物館が、ギュレンシュタイン皇国にある。
その博物館が、一カ月間という期間限定で、この帝都に出張してきているのだ。
国立美術館の一画は、竜の時代展となっていて、貴重な魔道具や神遺物が展示されていた。
チケットを二枚、購入していると後ろが騒がしい。
肩越しに見ると、殿下のまわりに女性たちが群がっていた。
「あの……俳優をなさっていますか?」
「どちらの劇団に所属してますか?」
「歌手なら、どこの歌劇団でしょう?」
「握手してもらえませんか?」
「お名前だけでも」
女性たちの問いに、殿下は苦笑いを浮かべながら答えている。
「いや、そういう者ではない」
紳士的に対応してくださっており、安心した……。
チケットを買って、殿下の下へと戻ると女性たちに睨まれる。
「ちょっと、割り込みしないで」
「後ろに並びなさいよ」
……ぶん殴りたい。
「買わせて悪いな。したことがないから許してくれ」
殿下が、助けてくれた。
驚く女性たちの視線を無視して、殿下がわたしの手をとって歩き出す。
あわわわわわわわ!
不敬罪! 不敬罪! 不敬罪になります!
「で……で……」
殿下と呼んではまずい!
「どうした?」
立ち止まってくれた。
手をそっと離して、小声で尋ねた。
「あの……大変申し訳ございませんが、ここで殿下と呼ぶと問題です。何と呼べばよろしいでしょうか?」
「レオナルドでいいのではないか?」
「よくありません!」
大声を出してしまい、注目を浴びて失敗に気づく。
「レオでもいいぞ。妹たちは、俺をそう呼ぶ」
「……レオ様、とお呼びします」
「うん、アリシアだから特別だ」
殿下は笑うと、頷く。
わたしは緊張したまま、順路を説明しようとした。
「順路がございまして、こちらへ」
「アリシア。普通に、友人と話すように話してくれ」
「……それをしたら、死んでしまいます」
例えではなく、怖いです。
「大げさだな……ま、少しずつ慣れてくれ」
「はい、承知しました」
「それ」
「は……はい」
殿下が、微笑む。
そして、順路に沿って歩こうとわたしを誘う。
誘う?
左手が、差しだされていた。
「どうした?」
どうしたもこうしたもありません。
殿下が差し出す手を握り返すことが許されるのは、未来の奥方様になられる一握りの淑女であるべきでわたしな――
「アリシア?」
殿下に声をかけられて、慌てふためいていた思考を止めた。
「は……はい」
「順路を教えて」
「はい……」
「手を」
「……」
わたしは、殿下の手を見つめて固まっていた。
殿下は笑うと、わたしの手をさっと握って歩き出す。
「あちらだな?」
「はひ!」
「ほぉ……竜の命の欠片の実物か。貴重な経験だ」
「……」
緊張と恐怖で、展示品をまったく楽しめなかった……。
-・- アリシア -・-
頭から煙が出ているのではないでしょうか?
美術館を出て、疲労困憊のわたしは休憩したいと殿下にお願いをした。
近くの茶店に入り、緑茶とお菓子を注文したところで、思考停止となっている。
殿下は、美術館の展示品に関して、興奮して語っていた。
「――だな。アリシアのおかげで、すばらしい経験ができたよ。魂喰らいはすばらしい剣だったし、淑女の嘆きは、美しいたて琴だった。その音色を聞けなかったのが残念だったが……どうした?」
わたしは、美術館での記憶がない。
チケットを買ったあたりから……。
緊張……殿下と手をつないで歩くというおそろしい経験の真っただ中だった。
その中で、懸命に周囲を警戒しつつ護衛たちとの距離を保っていた。
……展示品をまったく見ていない。
わたしが放心状態なので、殿下が心配し始めた。
「どうした? 体調が悪いか?」
「も……申し訳ございません。なにぶん、初めてのことで」
「初めて? でも今日は君が普段、休日を楽しむことに付き合わせてもらっているんだが……」
殿下と一緒に過ごす休日なんて、これまでもないし、これからもないんです!
ど緊張してるんです!
国立公園の敷地内に立つこの茶店は、大勢の人たちで賑わっている。
その大勢の人たちが、殿下をちらちらと見ていた。
無理もない。
平民に変装しているのに、まとう空気が違うんです。
ただそこにいるだけで、高貴な存在として周囲が認識するというか……。
わたしも、いつも皇宮でお会いしていて慣れていたのかもしれない。
皇宮の外で、しかも平時に、こうして殿下といると眩し過ぎる!
「お母さん、あの人、だれ?」
「こら、指をさすのはやめなさい」
「すごくきれいなお顔。王子様かな?」
「こら、だめですよ」
近くの席の、母親と小さな女の子の会話が聞こえてきた。
殿下にも聞こえていて、彼は小さな女の子を見ると、にっこりと笑う。
「かわいいね? いくつ?」
「みっつ」
小さな女の子が、指を三本、立てて見せる。
「みっつかぁ。すごいね! 歳を言えるなんて」
「あら。わたしはもうりっぱなレディだもの」
「これはこれは失礼しました。許してもらえるかな? お姫様」
「うん! いいよぉ!」
「こら、アンネ! すみません」
「いやいや、素敵ないい子ですね」
殿下の笑顔に、お母さんがぽーとなっていた。
無理もないですよ、お母さん。
ふと視線を感じて、見るとパトリックが目で合図を送って来ていた。
わたしは席を立つ。ほぼ同時に、パトリックの部下が素早くわたしの席についた。
一時的な、配置交代。
茶店の外で、パトリックが苦笑した。
「お前、大丈夫か? まったく楽しめてなさそうだ」
「わかる? ど緊張」
「平民の楽しみを経験したいという殿下の願い……お前が休日のことを話したせいだ、諦めてもらうしかないが、耳にいれておく」
「なに?」
「やっぱり、気づいていないな? 緊張で視野が狭くなっているぞ」
……いかん!
手を握られて緊張してる場合じゃない!
しっかりしろ! アリシア!
あんたの隣にいるのは、皇太子殿下なんだよ!
「違和感あるの?」
「誰かが、ずっと俺たちを尾行している。一度だけ気配を捉えた。しかし、向こうも気づかれたと察して、すぐに消した」
「かなりの手練れ」
「そうだ……気をつけろ」
「わかった」
パトリックのおかげで、頭を切り替えられた。
感謝しつつ、店内に戻ると女の子と笑顔で会話をする殿下がいる。
わたしは、その光景に足を止めた。
小さな子に、優しく話しかける殿下。
あわてるお母さんに、笑みを向ける殿下。
殿下はやはり、すばらしい御方だ。
「アリシア! お茶が冷めてしまう」
殿下が、手をあげてわたしを手招く。
「はい!」
わたしは、笑顔で応えた。
歩き出し、素早く周囲を観察する。
店内には、いないとわかった。
外で、見ているはず。
注意しよう。
-・- アリシア -・-
国立オットー二世記念劇場のロビーでチケットを購入していると、後ろのほうで女性たちが騒がしい。
「俳優の方!?」
「歌劇にご出演なさるの!?」
「握手してくださらないかしら!?」
……本日二度目。
パトリックたちが止めに入っていないので、危険はないとは思いつつ、急いでチケット購入を済ませ、駆け足で殿下へと向かう。
女性たちに囲まれた美男子が、わたしに手を挙げた。
「すまないね、任せてしまって。初めてのことでまったくわからなくて」
「お待たせしました」
女性たちの、冷たい視線に気づかないフリをして、殿下を案内する。
「こちらへ」
大劇場は九割ほどの客入りで、わたしは座席表を眺めて殿下の前を歩く。
二人掛けのソファが、わたしたちの席だ。
「ここが、二人用の観覧席です」
「ほぉ、ここで鑑賞するのか?」
「はい、あちらが舞台で、今は幕が閉じております」
「楽しみだ。二人で座るのだな?」
殿下は何の抵抗もなくソファに腰掛け、隣の空間を手でポンポンとする。
わたしは、改めて緊張していた。
殿下の……となりに……座る?
ああ! 馬鹿! 受付で人数を聞かれた時に、一人ずつを二枚と言えばよかったのに! わたしは、二人ですと何も考えずに答えてしまった!
二人用の観覧席、危険すぎる!
「どうした?」
「いえ……」
「ほら、ここに座れ」
「は……」
立ったまま悩んでいると、殿下が腰を浮かして手を伸ばし、わたしの手をとり優しく引いた。
殿下の隣に腰掛けるという、あるまじき行いをしている護衛がわたし。
照明がしだいに暗くなっていき、幕がするするとあがっていく。
おかしな緊張状態のまま、歌劇が始まる……。
支配人が、一礼し挨拶を始めるも、まったく頭に入ってこない。
……隣の殿下と、肩が触れそうな距――ふれた! 今、ふれちゃった! ダメダメダメ……離れて、少し離れなきゃ。
「アリシア、狭かったか? こっちへ」
離れようとモゾモゾとしていると、逆の理解を殿下はなされた。
わたしなんかのために、殿下が少しあちらへと寄って……おいでおいでとされている。
「始まるぞ? 早く」
「は……はひ」
いかんぞ、アリシア。
警備だ、警備。
警戒しろ。
ああ! 手が触れてしまった!
ちらりと殿下を見るも、殿下は歌劇に集中している。
気を付けなきゃ……集中。
集中して、殿下に触れないようなギリギリを保ち、周囲を警戒しなきゃ。
集中よ、集中。
ん? あちらの男性の動き……わたしは手信号で、パトリックの分隊へ男性を追えと送る。
しばらくして、男性を尾行した護衛が戻って来て、手信号で『男は手洗い』と返してきた。
ん……あの女性、バッグから何かを……ハンカチか。あ、あちらも……ハンカチ……涙をふくためか、問題なし。
大きな拍手?
え?
舞台の上に、俳優や歌手たちがずらりと並び、拍手へのお礼をしていた。
……終わった? の?
わたしは……歌劇を楽しむことなどできなかったのである。
-・- 宰相 -・-
書斎で読書をしていると、部屋の隅に気配を感じた。
「閣下」
私は、その声で顔をあげて、読んでいた本を閉じる。
「どうであった?」
「は……皇太子は一日、市中を見物しただけでございました」
「そうか……市中で、女を訪ねたりはしていなかったか?」
「……訪ねた相手はおりませんが、護衛の女性騎士との距離が近いと感じます」
「女性騎士?」
「はい。帝国の戦乙女として名高いアリシア・グレインです」
「……知っている。あれがいるといないでは、戦果に大きな差があった。しかし、護衛? 彼女が守るべきは帝国そのものであろうに……」
私は溜め息をつき、密偵を見た。
「で、その戦乙女と距離が近いというのは?」
「は……終日、彼女を傍らに置き、市中では手を取って歩いておられました」
「ふぅん……しかし、まさかな。わかった。引き続き、皇太子の身辺に女子がおるかを探れ」
「は……閣下、もう一つ、ご報告がございます」
「なんだ?」
「護衛たちに途中、尾行を気づかれたかもしれません。申し訳ございません」
「お前が気づかれたのであれば、家中の誰もがそうであったろう。かまわぬ……あちらは誰に何の目的で尾けられていたかわかっておらんだろう。問題ない。下がって良いぞ」
「は……ありがとうございます。では」
気配が消えた。
そうか……市中に女性を囲っているものと思ったが、違ったのか。
オリビアを選ばず、かといって他も選ばずとなれば、他に女がいるのだろうと思っていたのだがな……。
アリシア・グレインか……。
私は、手を叩く。
執事が、一礼と共に現れた。
「護衛にいる騎士のアリシア・グレインに面談を伝えておけ。用件は会って話す」
「はい」
執事が去り、私は読書を再開した。




