宰相の呼び出し
二日間のお休みも、一日目は激務となり、二日目は疲労困憊で寝ていた……。
九月二十三日の朝。
休み明けで護衛連隊事務所に入ると、連隊長に呼ばれた。
「アリシア、ちょっと」
何だろう? と思うと連隊長が申し訳なさそうな顔で口を開く。
「宰相閣下がお呼びだ。閣下の執務室に向かってくれ」
「……いかなるご用件でしょうか?」
「わからん。会って直接、話すとしか教えてもらっていない」
「断れますか?」
「無理だ」
無理か!
「承知しました」
「すまん。お前が戻るまで、殿下の護衛は儂がさせて頂くよ」
「お手数おかけします」
一礼して、部下たちに目配せを送って事務所を出る。
宰相執務室は、外宮の一画、宰相府だ。
宰相府と元老院府は、左右対称の建物だ。
帝国宰相は代々シュバイク侯爵が務めていて、シュバイク侯爵家の長男は必ず名前がズラターンで統一されている。
現在のズラターン様は、数えて十二代目と聞く。
宰相府に入ると、官僚たちの視線が痛い。
何をしに来た? て思われているに違いない。
執務室の前には、すでに面会を希望する人たちが列を成していたので、これに並ぶのか! とうんざりした。
受付の方に、名乗る。
「アリシア・グレインと申します。騎士で階級は大尉」
「アリシア様ですね? どうぞ」
どうぞ?
いや、あの列に並んでいる人からものすっごく睨まれていますが?
「あの、最後尾に並べばよろしいでしょうか?」
「いえ、閣下からご到着後はすぐにお通しするようにと仰せつかっております。どうぞ」
何事なのか!?
大変なこと、言われるんじゃないの!?
嫌な予感しかない!
もしかして……異動のこと? でも宰相府は人事院に影響力ないはずだし……いや、宰相閣下だもの……影響力ないわけがない。
でも、どうしてわたしなの?
これは――
「アリシア様、どうぞお入りください」
受付の方が、わたしが固まっているものだから催促してきた。
「し……失礼いたします」
後ろの人たちへ、ペコペコとして進む。
受付から通路を少し進むと、護衛の騎士たち――シュバイク侯爵の護衛たちが、わたしの前に立つ。
身体調査? するならはやくして……おっぱいさわったら殴る。
「アリシア様、光栄です」
「お会いできるなんて」
「皇室の護衛連隊におられるのですか?」
「もったいない!」
……歓迎されてる?
ここで、執務室の中から、大きな咳払いが聞こえてきた。
騎士たちが慌てて直立し、声をあげる。
「アリシア様がお見えです!」
「通せ」
騎士たちが扉を開いてくれて、執務室へと通された。
大きな咳払いをした宰相閣下が、椅子から腰を浮かす。
わたしは敬礼をして、名乗った。
「遅参、お許しください。アリシア・グレインでございます」
「すまなかったな、呼び出して。ま、掛けてくれ」
客用の上質なソファを勧められて?
執務室の奥のドアが開き、女性がお茶を運んできた。
……なんだ?
わたしは、何を言われる?
「アリシアどの、どうか掛けてくれ」
重ねて勧められ、断るのは無礼なのでカチンコチンでソファに腰掛けた。
ふわふわ……すごい心地いい!
対面に座った宰相閣下は、お茶を飲み、わたしに目配せを送ってくる。
頂かないと、失礼だ。
「頂きます」
この緑茶……おそろしく美味しいんだが……超高級品じゃない! これ、オークトー産だわ。
「実は、そなたが護衛連隊に所属していることを最近になって知ったのだ」
「はい……」
何?
「護衛連隊への異動は、アリシアどのが希望したのか?」
……三年前、特に希望したわけじゃないけど護衛連隊に異動って言われて……特に何も考えず……。
「いえ、希望をしたわけではございません。命令とあれば、従うのが軍人でございます」
……よく言えたわ、わたし。
「そうか……人事院のハロルド卿と話した」
な! なにを!?
「アリシアどのは、来年になれば護衛連隊勤務を終えるが、次の異動先が決まっておらんそうだな?」
「……おっしゃる通りでございます」
やっぱり、その話ですか……。
宰相閣下は、緑茶を飲み一呼吸おくと、わたしを見る。
「一軍を率いてくれぬか? 俺の軍で」
「……え?」
無礼にも、「え?」と出ていた。
破顔した宰相閣下が、言う。
「おかしいか? 冗談で誘っているのではないぞ?」
「いえ……とんでもございません」
「ペリッツァ侵攻作戦」
宰相閣下が口にしたのは、わたしが参加していた戦争……そこには、皇帝軍とともに、四公とシュバイク侯の軍勢も参加していた。
宰相閣下が、わたしを見ながら続ける。
「五ヵ国半島方面作戦。バルニア島支援作戦……中央大陸派遣軍……」
全部、わたしが参加してきた作戦だ。
「アリシアどのの戦いぶり、俺はよく知っている。武人として、指揮官として、もったいないと思っているのだが、後方勤務のほうが望ましいか?」
……はっきり言って、そうなんです。
わたしは、お誘い頂いているとわかったので、誠実にお答えしようと決めた。
「申し訳ございません……宰相閣下のご厚意にも関わらず、わたしはもう戦場に戻ることはございませんでしょう」
「そうか……しかし、惜しい」
「ありがとうございます。わが身に過ぎる評価を頂き、光栄でございます」
「己を過大に評価する者たちが多い今の世で、その謙虚は美徳だ……しかし、俺も諦めが悪い男として有名でな」
宰相閣下はそこでニヤリとして、わたしも少し笑みを浮かべる余裕を得た。
「今日のところは強引な真似はせぬが、俺がそなたを欲しがっていることは覚えておいてくれ」
「……宰相閣下に求められたと、皆に自慢させて頂きます」
「はははは! いきなり呼び出して悪かった。いや、次もまたいきなり呼び出すがな」
宰相閣下の冗談に、一緒になって笑うことができた。
腹黒、皇帝の座を狙っている、等などと悪い噂が多い御仁だが、今日のところはお互いを知るという意味で、ここでお許しくださったのだと受け取っておこう。
さ、殿下の護衛に戻らねば。
-・- アリシア -・-
「宰相とは、何の話だった?」
殿下の護衛に戻った直後、殿下に問われた。
当然、気になりますよね……。
「個人的なことでございました」
ベラベラと喋る内容ではないので、そうとだけ答えたのだけど、殿下はぎこちない笑みでわたしを見る。
「アリシア?」
「はい」
「俺に話せない内容か?」
……とんでもございません!
いや、裏切りとかそういうものじゃなくて!
「申し訳ございません。ですが、本当に個人的なことなのです」
「もしや、宰相に迫られたのか?」
はい?
「宰相は、幾人も妾をおく好色と知られている。まさか、そうなのか?」
「いえ、そうではありません」
「では、何と言われた?」
ま、話してもいいか。
「申し上げます。宰相閣下がわたしをお求めでしたが、お断りした次第です」
殿下が椅子を蹴って、立ち上がった。
「宰相に会う!」
ちょちょちょちょ!
なんでお怒りモード!?
「お待ちください、殿下。お断りしたのですから」
「許せない。俺のアリシアを横からかすめ取ろうとしているなんて」
いろいろ指摘したいけど、それどころじゃない!
「いえ、一年後の異動先がまだ決まっていないなら、閣下のところで一軍を率いないかと、そういうお誘いでした。無理強いではございませんので、お怒りをお鎮めください」
懸命に説明し、必死に宥めたところで、殿下は目をぱちぱちとさせる。
「一軍を率いないか? と言われたのか?」
「はい、お誘いくださったのですが、戦場に戻ることはございませんとお断りしたのです」
殿下はお怒りを鎮めてくれたけど、わたしをじとりと見つめた。
……怖いです。
「アリシア」
「はい」
「誘いにのってはダメだぞ」
「……殿下、あのですね? わたしは――」
「今後も、断るように」
「……そのつもりですので、問題ございません」
報告書へと視線を落とした殿下。
わたしは、殿下にすぐ駆けつくことができる距離を保ち、立つ。
扉がノックされ、イリーナが姿を見せた。
「殿下、外務卿マーカス様がお見えです」
「わかった」
マーカス卿は現れると、殿下の執務室へと足早に近づく。
わたしが、殿下と彼の間にすっと立つと、彼はわたしを睨んだ。
「殿下の許しなく、近づくことは許しません」
わたしの言葉に、マーカス卿が立ち止まる。
「お許しを、殿下。急ぐのです」
「わかった。アリシア、通してやれ」
マーカス卿は、わたしを一瞥して殿下の執務机の前で片膝をついた。
「殿下、お願いでございます。陛下をご説得いただけないでしょうか。このままでは、ガーベインと戦になりかねません」
ああ……皇帝陛下がガーベインの狙いを知っちゃう作戦、成功してるみたいだ。
わたしの提案を容れてくださった殿下は、さっそく陛下にガーベインの狙いを話した。それにより、陛下は予想通り、お怒り爆発となっている。
殿下はわたしをちらりと見て、口を開いた。
「努力はするが、父上が案じていることを取り除いたほうがよいだろうな。フィヨルド侯へ、通商問題のほうは解決するゆえ、それで満足するようにと説得せよ」
「しかし殿下、それではガーベイン王の面目がたちません」
「難しいものだ。しかし、帝国にとって無理に進める必要がない縁談だからな」
マーカス卿は、口早に話す。
「殿下、それにヴィオラ王女は前向きなご様子。室入りがかなわぬとなれば、お気を落とされるに違いありますまい」
「気に入っていただいて光栄だし、どうにかしてさしあげたいが、俺の身ひとつのことではないからな」
「……承知しました。なんとか話をしてみましょう」
「頼りにしている」
マーカス卿が退室し、殿下が腕を組む。
「……あいつ、ガーベインと通じているのかもな?」
……賄賂や、弱みを握られて篭絡されている?
「殿下は、どうしてそのようにお感じに?」
「やけにガーベインの肩を持つ。それに、ヴィオラ王女がどうのこうのと、やけに詳しい。そもそも、交渉の場でこちらが聞く前に、すでにこの話を知っていたようだしな」
「呼び戻しますか?」
わたしが問うと、殿下は首を左右に振った。
「いや、泳がせておけばいい。ばれていないと思っておれば、もっと派手に動くだろう」
殿下はそう言い、わたしを見つめた。
「……何でしょう?」
「父上に話した途端に、一気に動きが生まれて、あちらが焦っている……宰相が欲しがるのも、仕方がないのかもしれない」
彼は先程とは打って変わって、嬉しそうだった。




