涙を見られた
舞踏会が終わり、参加客たちがそれぞれの相手と庭に出て、歓談をする。
わたしたちは、彼らを観察しながら、問題が起きそうな場合は駆けつけるのだ。
ルシウスのせいで、邪念まみれだけど仕事に集中しないと。
殿下の護衛には、イゴールがぴたりとつき、彼の部下たちが周りを囲っていた。
殿下は、三人のお嬢様と一緒だ。
宰相の三女、オリビア様とお妃様のご実家筋のアリスリッド様、そして、ヴィオラ王女。
ヴィオラ王女は、オリビア様とアリスリッド様の後ろを歩いている。
殿下が、彼女たちに何かを話しかけ、オリビア様とアリスリッド様が競うように喋っていた。
何を話しているのかは、わからない。
しばらく庭の散歩をした殿下とお嬢様たち。
殿下が彼女らに挨拶をして、護衛を引き連れて離れる。
まっすぐに、こちらに歩いて来た。
わたしは、一礼をして迎える。
「アリシア、少しいいか?」
「はい、何でございましょう?」
「相談事がある。部屋へ」
「承知いたしました」
おそらく、ヴィオラ様のことだろうと思った。
イゴールが、「残業、ご苦労さん」と茶化してくるので、肘うちをいれてやった。
内宮の、殿下の居室に入る。
ロイが、寝床から飛び起きて飛びついてきた……殿下に甘え、次にわたしへも駆け寄ってくる。
抱き上げると、尻尾をふりながらおとなしくなった。
可愛い。
ドアが開き、イリーナが飲み物を運んできた。水ではなく、シングルモルトが注がれたグラス。
彼女なりに、殿下を労わっているのだとわかる。
「イリーナも、いてくれ」
「かしこまりました」
殿下がソファに座り、わたしたちは片膝をつくも、対面のソファを勧められた。
「二人の意見を聞きたい。掛けてくれ」
「失礼いたします。アリシアも」
「はい」
イリーナの隣に腰掛けると、ロイがわたしから彼女へと移動した。
イリーナがロイを抱え、犬は満足そうに目を閉じる。
「ガーベインの姫君の件だ」
やはり。
「如何でございましたか?」
会場に足を運んでいないイリーナは、ヴィオラ王女を見ていない。
殿下は、頷くとウイスキーをちびりと飲み、口を開く。
「すばらしい姫君だ。踊りは少し苦手のようだが、そこが他の女性たちにはない隙になっていて、可愛らしいと思うが、俺は、縁談を断ろうと思う」
なるほど、すばらしい女性だと殿下もお認めに……断る?
イリーナが驚いて立ち上がったせいで、ロイが落っこちて悲鳴をあげた。
「キャン!」
「あ、ごめんなさい!」
彼女が慌てるも、ロイは殿下の足元に避難した。
「殿下、しかしながら、外交も絡んでおります」
わたしの言に、彼は頷く。
「だからこそ、だ。外交上、優位を得ようとしたことで、違うところで影響が出る恐れがある……彼女が皇子を産めば、ガーベインはその子を通して帝国に口を出す。いずれ皇位継承にまで介入するだろう。父上は人質を取るつもりだが、長い目で見れば、こちらがガーベインの手を皇室の内側へ招き入れることになる」
わたしはイリーナを見て、彼女もわたしを見ていた。
そんな当たり前のことを、考えていなかったなんて……。
愚かな己を恥じるように、一礼した。
「殿下、お詫び申し上げます。表層のことのみで提言を成した臣をお許しください」
「いや、アリシアの言はとても参考になった。君の言を受けて、考えたからこれに気づいた……だから俺は、ガーベインを許さぬと決めた」
殿下はおそらく、今回の縁談で、ガーベインの狙いはこれだと思ったのだ。
媚びへつらって娘を差し出すという、愚かな父を演じた彼国のレオン王は、それによって、ヴァスラ帝国への影響力を長期的に強めるという狙いを隠した。
殿下はこれを、戦争とは違う戦いを挑まれたと理解なされた。
だから、許さぬという言葉が、殿下の口から出たのだ。
「アリシア、そこで相談だ。反撃の初手は何がよい?」
「は……」
わたしは、殿下にお気持ちを確かめることはせず、レオン王がされて困ることは何かを考える。
外交カードのひとつとして、娘を寄越そうとした父親。
小国なれど、大国を操ろうという野心を持つ隣国。
わたしは、目を伏せて口を開く。
「……申し上げます。ここはあえて、殿下のお考えを皇帝陛下にお伝えすればよろしいのではないでしょうか?」
殿下が、目を見開く。
イリーナは、苦笑していた。
説明を求められるかと思ったけど、殿下は頷く。
「なるほど、父が怒り、縁談が壊れる……俺は断っておらぬ。相手は慌てる。それは思い違いだ、そんな意図はないと弁解がなされ、こちらは、それを証明しろと……縁談は進まぬし、相手は振り回されて大変……主導権を握れるな」
殿下は言い、イリーナを見た。
「ヴィオラ王女には、丁重に帰国をお勧めする。彼女自身に非はない。イリーナ、手配を頼む」
イリーナが一礼し、退室した。
「アリシア」
「はい」
「やはり、君がいてくれないと困る」
「……」
「どうだい? 答えは出たかい?」
今日は、いろんなことがあって、最後にこれかと覚悟を決めた。
無礼を承知で、申し上げるしかない。
だけど、ちゃんと説明しよう。
わたしは、微笑む殿下を見る。
「殿下……わたしは四十二歳です」
「そうだな」
「これまで、騎士として、魔導士として、戦いの中に身を置き、ここ三年は護衛連隊に身を置いております。それにより、この身に過ぎた機会を賜れたこと、心から感謝申し上げます」
「堅苦しいな」
殿下は、わたしが断ろうとしていることを察して、わざと空気を乱すように軽い口調で言ったが、表情はやや硬かった。
「殿下、わたしは騎士とはいえ平民の出、皇室に加わる資格などございません。そして年齢は、ただ年上だというだけでなく、国が求める御子にも悪影響であると思います。どうか、臣下としてお願い申し上げます。殿下にふさわしい女性を、お迎えくださいませ」
殿下は立ち上がると、わたしの隣に座った。
離れようとしたが、手を掴まれる。
剣の稽古で、蛸だらけの手を握られて、恥ずかしかった。
「触れてすまない。座ってくれ。おかしな真似はしないから」
まさか、そんなことをされるなんて思ってもいないわたしは、「そんな心配をしたわけじゃありません」と口ごもりながら答えつつ、ソファに浅く腰掛ける。
「アリシア、どうして俺が君を妻に迎えたいと思っているのか、ちゃんと説明しよう」
「いえ、説明は不要でございます」
「説明する。君が俺を嫌いなら、諦める。だけど、君の言葉は、そうじゃない」
「……」
「君は、俺に堂々と提言をしてくれる。戦場では、何度も俺を救ってくれた……俺の代わりに怪我をしても、俺を助けてくれた。そして、君は教養もある。芸術にもくわしい……だけど、これは君の表面的なすばらしさで、君の本当の魅力は、もっと深いところにある」
「あまり、褒められても困ります」
「君は、努力ができる人だ。人の痛みがわかる人だ。人を助けることができる人だ。そして、人に求めない人だ……そして、とてもキレイだ。心からそう思う。好きなんだ、アリシアのことが」
わたしは、泣いてしまった。
わたしは、涙をこらえることができない。
「アリシア、俺は君を人として尊敬している。そして、女性として、魅かれている。だから、拒否しないでほしい。でも、本当にこの気持ちが迷惑ならば、正直に話してくれていい……君が望む場所への異動も、なんとかするよ?」
「殿下」
わたしは、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見られたくなくて、俯いたまま口を開く。
「お気持ちは、とても嬉しいです。殿下のような方に、そこまで仰っていただいて、わたしはとても幸せです」
「なら――」
「でも、ダメなんです。わたしには、なれません。わたしには、殿下のお相手など、務まりません。怖いです……帝国の皇太子殿下の妻など、わたしは怖くて、とても無理です」
殿下は、何も言わず、ただわたしの髪に触れた。
ためらいがちな指先が、わたしを慰めるように、やさしく髪を撫でた。
「殿下……申し訳ございません。申し訳ございませんが、臣のままで、いさせてください」
「……うん、わかった。だけど、これだけは許して」
殿下が、わたしの目じりに指で触れる。
「泣かして、申し訳ない。アリシア」
やさしく涙をぬぐってくれる。
わたしは、泣き続けることしかできなかった。




