悪い男
午後の稽古。
この前のように、木剣を持つ殿下と対峙する。
わたしの部下たちは、殿下に敗北して稽古場の隅っこに、他の見物人たちと並んでいた。
「アリシア、ちゃんと本気で来いよ」
「承知しました」
わたしは木剣を左手に持つ。
誰もが、え? という顔をしたけど、グロスだけが真面目な顔だ。彼はわたしとつきあいが長いので、左手で剣を持った意味を理解していた。
実は、左利きなんです。
でも、いつもは右利きのフリをしている。
殿下が本気で来いとお命じになったので、この前のさらに上の本気で、呆れてもらおうという狙いがあった。
殿下は、目を細めてわたしの右手を見ていた。
おそらく、剣を囮に殴打が本命と睨んだようだ。
わたしは、だらんと剣を下げたまま、自然体を保つ。
殿下は、構えたまま動かない。
「殿下、撃ってこられないなら、こちらか参ります」
「……」
「では」
静かに言い、浅く呼吸をした。
するりと右足を前に出し、体重移動で前進をする。
殿下が、木剣を水平に払った。
わたしの前進を、牽制する目的だとわかる。それでいて、強い一撃だ。
わたしは木剣で剣を弾きあげ、振り下ろしながら右足を踏み込む。
殿下が、わたしの斬撃を防いだ。
わたしは、右足を踏み込んだ反発で、左方向へと跳ねる。
同時に、二撃めを見舞った。
木剣での二連撃。
同じ振りと見せかけて、左に移動することで角度を変えた。
防いだ殿下はさすがだったが、彼の木剣は悲鳴をあげて宙に飛ぶ。
「参った。アリシア、二撃めは、どうすればよかった?」
「はい。一撃めを躱しながら反撃を、あてるしかございません」
「……初手で、決まっていたのか。ありがとう」
殿下の木剣が、くるくると落ちてきて、わたしがつかみ取る。そして、木剣を返そうと片膝をつき、殿下に差し出した。
彼は、両手で受け取る。
……手を、握られて……。
ドキリとして、思わず顔をあげると、彼も少し驚いていた。
わざとじゃない、ということ?
「すまない。触れてしまった」
「とんでもございません。無骨な手で申し訳ござません」
「いや……君の強さを物語る、素敵な手だよ。稽古をつけてくれて、ありがとう」
殿下が、少し照れた顔をして背中を見せる。
彼が壁に木剣をかけ終えるまで、わたしは目をそらせなかった。
-・- アリシア -・-
殿下から、妻になってほしいと言われてからも、わたしは護衛の仕事を続けながら、答えを伝えることを避けてきた。
というよりも、断るのは無礼なことなので、諦めてもらおうといろいろ試したのだけど、全ては失敗という状況だ。
さすがに、そろそろ考えを伝えなければと思う。
十日も、殿下を待たせていることのほうが無礼だろうという自責があった。
九月十七日。
この日は、外宮の大広間で舞踏会が開催される。
その名のとおり、出席者たちが踊るのだけど、皆の目的は違う。
わたしたちのような平民が、結婚相手を紹介されることをお見合いというが、今回の舞踏会はいわば、上流階級にとってのお見合いの場なのだ。
男性は、女性たちの家柄、容姿、身にまとう衣装、談笑での受け答えで相手を見定める。当然、女性たちも男性側の資金力、家柄、容姿、気遣いなどを量るのである。
双方ともに、この相手ならばと決まれば、会場の隅っこで待機するお互いの付添人に伝え、後日、改めて会うという運びとなる。
殿下の護衛を、イゴールの分隊に引き継いだわたしだが、この日ばかりは帰宅とはならず、舞踏会場の警備についた。
残業代、たくさん出してもらえるので文句はない。
お風呂つきの一軒家を買って、おだやかな老後を過ごすために蓄えは必要。
でも、万が一、そんなことを考えていたわたしが、殿下の――。
「よぉ」
声をかけられ、見るとカイルだ。着飾った格好で、舞踏会場へと入るところだ
「お疲れ」
返事をすると、彼は周囲を眺めながらわたしの隣に立つ。
「ガーベインのヴィオラ王女も、参加なさるらしい」
「楽しみ。すごい美人なんでしょ?」
「……なんでお前が楽しみなんだよ? それよりも、返事はしたか?」
「まだ……です。断るのは失礼だし、諦めてもらおうといろいろとやって失敗の現在」
「殿下には男子のご兄弟がおられない。妹君たちは皆、嫁いだしな……分家に男子はいるが、まぁ殿下がご健在だし、あの器量……まず次期皇帝陛下となるは間違いないだろう」
「……何が言いたいの?」
「なっちゃえよ。これ以上ない出世物語で、歌劇や戯曲になるぞ」
「ぶん殴っていい?」
「わははははは! じゃ、警備よろしく」
カイルめ! おもしろがっている。
会場入口にいた、部下たちがわたしたちのやり取りを見て、何だろうという表情だ。
会話は聞かれていなかったが、任務中に遊んでいると部下に思われるのはよくない。
反省。
仕事だ、仕事。
ご令嬢たちが、華やかな化粧と衣装で次々と舞踏会場へと入っていく。
「シュバイク侯爵家ご令嬢、オリビア・アイナ・シュバイク様、ご入場」
「ファルク伯爵家ご令嬢、アリスリッド・フェンシア・ファルク様ご入場」
宰相であるシュバイク侯ズラターンの三女と、お妃様のご実家筋であるファルク伯爵家の次女が、付添人に先導されて入場する。
ツンとして、遠くを見つめて歩く姿は、まさにお高くとまっているお嬢様って感じだ……。
帝国四公と呼ばれる黒蝶公爵家、黒鷹公爵家、黒獅子公爵家の子女が次々と会場に入ったが、黒竜公爵家は不参加のようだ。
陛下と仲が悪いので、こういう時も距離をおいているのだろう。
「ガーベイン王国第二王女、ヴィオラ・エトワール・ガーベイン殿下、ご入場」
美しすぎる。
なんだ……この人?
こわいくらいに、美しい……。
金色の髪は艶やかに流れ、エメラルドを連想させる瞳が、二重の大きな目の中で輝いている。形のよい鼻筋と艶やかな唇。透き通るような白い肌……そして、赤いドレスが嫌味なく似合っていて、会場に咲く薔薇のように華やかだ。
彼女は、ゆっくりと進みながら、帝国兵たちに何かを言っている。
話しかけるというより、何かを伝えて?
王女殿下が、頭を垂れるわたしの前を通過した。
「ご苦労様です」
声を……かけられた。
とても可愛らしい声……。
一兵士たちに、労いをかけている?
帝国の諸侯ご令嬢たちが、隣国の姫君を迎え撃つような表情で眺めていた。
その中を、女官や兵士たち、彼らを一人ひとり見て労いをかけながら進むヴィオラ王女。
わたしは、帝国の完敗のように見えた。
-・- アリシア -・-
舞踏会が始まり、楽団による演奏が始まった。
わたしは会場玄関口で、楽団の演奏を楽しみながら警備をする。
うーん……この演奏、ギュレンシュタイン皇国のオーギュレーン楽団だ!
曲はウォルフ・ベクリリス卿の『舞踏会』。原曲に忠実なのに、音の重ね方には楽団独自の解釈がある。
さすが、世界一といわれるだけある!
「やぁ」
せっかくの演奏を、邪魔する奴が近づいてきた。
ルシウス!
わたしの部下たちは、彼とわたしの関係を知らない。
皇帝護衛連隊の隊長を前に、彼らは一礼し迎えた。
頭をさげんでいい、こんな奴!
「お疲れ様です」
無視はできないので、挨拶はする。
「ちょっといいかな? 話を」
「どうぞ」
「できれば、二人で」
部下たちの手前、ぶん殴るわけにもいかず、頷いて彼に続く。
「なんでしょう? 警備の途中です」
「はははは、いや、ちょっと」
彼は兵士たちから少し離れたところで、立ち止まって振り返った。
わざとらしい、作り笑い。
「なんでしょう?」
「……実は、あれからちゃんと話をしていなかったと思って」
「こういう時に、する話でしょうか?」
「申し訳ない……任務を離れるわけにはいかず、かといって君を訪ねるのも気がひけて」
何の話だ?
「実は、俺も年をとって……いや、長くなるし、言い訳だ。やめる」
「は?」
「結論から言う。俺は、君をとても傷つけた。ひどいことをした。謝りたい」
「……謝る?」
わたしは、目の前の男が言った言葉で、ひどく動揺した。
謝る?
わたしを捨てたことを?
わたしを、否定したことを?
謝る?
「申し訳なかった」
彼は、兵たちの手前、頭を下げることはしなかったが、格好だけの謝罪ではないと、その表情を見れば明らかだった。
しかし、わたしはそれが腹立たしかった。
わたしは、何も言わずに彼に背を向ける。
「アリシア?」
彼の呼び止めも無視し、会場の玄関口に戻る。
グロスが、わたしの表情を見て口を開いた。
「隊長、何か失礼なことでも言われました? 殴っておきましょうか?」
「返り討ちに遭うわよ」
「……」
でも、ありがとう。
わたしは、副官の背中を軽く叩いた。
グロスが、わざと痛がる素振りをして、わたしから離れて立つ。
わたしは、腹を立てていた。
傷つけた者は、謝罪すれば許されると思っている。
許してほしいとは言われていない。それでも、謝罪を受け取らされたこと自体が腹立たしかった。
わたしを傷つけた男なら、もっともっと悪い男でいろ。
わたしは、拳を握りしめた。




