それぞれの考え
皇太子執務室に入ると、殿下はソファにドカリと座った。
イリーナが、お水を運んでくる。
「イヴリン・ザ・セリーンを」
殿下が、シングルモルトの銘柄を口にした。
水じゃなく、酒を持って来いっていう意味だ。
「いけません、殿下。昼間からお酒はお控えください」
殿下に十年近くも侍女として仕えるイリーナは、ただ命じられて動くだけの女官とは違うと改めて感じた。帝室には多くの宮仕えの女官がいるが、才覚と気立てを備えていなければなれない侍女にふさわしい人だ。
わたしよりも十歳、年下だけど、心の中では勝手に姐さんと呼んでいる……。
「イリーナ、飲ませてくれ」
「この後、晩餐会でございましょう? そこで、いくらでもお酒を召してください」
殿下は苦笑し、水の入ったグラスを受け取った。
「イリーナ、ガーベインのヴィオラ王女との縁談が入ってきた」
「おめでとうございます。彼の国のヴィオラ王女といえば、北方大陸の社交界において、知らぬ者はおらぬ美貌……殿下にふさわしい姫君でございましょう」
彼女は、ちらりとわたしを見た。
お前も、同意しろという顔だ。
わたしは、無表情を保つ。
わたしはイリーナと違って、殿下に正面きって意見など言えないもの……。
あくまでも、意見を求められた時だけ、考えを述べるのみ。
「アリシア、君はどう思う?」
……尋ねるのか!? というのは飲みこみ、一礼し答えた。
「ガーベインは小国なれど、半島の貿易港を抱え、海上貿易の中継地として重要でございます。我が帝国も、中央大陸との連絡は彼の国を経由いたします……国力は我が国に遠く及びませんが、関係が悪化したままであるのは歓迎できぬ相手です……向こうが頭を下げてきたのですから、応じてもよろしいのではないでしょうか」
「なるほど……わかった。父上と相談しよう」
よかった。
そうよ、そう。
殿下は聡明で立派な御方。
ちゃんとわかっておられる。
「イリーナ、もういいぞ。衣装を選んでおいてくれ」
「承知しました。失礼します」
侍女が去り、わたしは残った。
壁時計は、午後五時前。
午後六時で、夜勤組と交代。
今日も疲れた……。
「アリシア、どう思う? さっきの話」
「……?」
お答えしましたが……。
「政略であることはわかっているし、帝国のために悪い話ではないとも思うが、人としてどうかな? 興味などわかぬ相手を室に迎えて……姫のためにもならぬだろうし」
興味などわかぬ?
おかしい、おかしい。
「殿下、とてもお美しい姫君だそうです」
「ああ、それは姿絵を見ればわかる。あれはミリコフ・ガリだろう?」
「はい、仰るとおりでしょう。すばらしい色使いと繊細な筆使い……申し訳ございません、話が逸れてしまいました。殿下、お美しい姫君をお迎えになられることは、大変に喜ばしいことかと……」
「アリシア……美しい女性は世の中に五万といる。別にありがたがるものではない」
「はぁ……」
「それに、ヴィオラ姫はまだ十六と聞く。俺も妹たちが嫁いでいくのを送り出してきたからわかる。表では、良い殿方に嫁げて幸せだと言っていたが、俺と二人だけの時は、激しく泣いていたからな」
「殿下……」
わたしは、何と声をかけていいかわからず、ただ黙った。
この御方はやはり、すばらしい御方だ。
権力者でありながら、一人の人として、悩んでいるのだ。
「それに、アリシアとうまくやれるかが心配だ」
?
「アリシアが正妻につき、あの姫が側室となるとこれまで王女で生きてきた者が、二番目で良しとするだろうか?」
その心配はいりません!
いりませんよ!
口を開こうとした時、扉の外から声をかけられた。
「殿下、御仕度のお時間でございます」
イリーナだ。
殿下がお着替え中に、午後六時となり入室してきたイゴールに引き継ぐ。
「最近、わたしが来る前に帰って。職務怠慢」
わたしが同僚に、小声で注意した。
「殿下がそうおっしゃるから」
彼も小声で応え、短い引継ぎをおこなった後、交代した。
わたしは分隊を率いて、連隊事務所が入る内宮と外宮の境、管理棟に向かう。
途中、副官のグロスが、わたしに尋ねた。
「隊長、殿下と何かあったのですか?」
「何もない。どうして?」
「稽古、本気でしたし……いつも殿下のお傍につく隊長が離れたり、普段と違います。」
……お前、その能力を護衛に活かせ! という説教はやめておこう。
「わたしもあと一年。稽古の件は、わたしの本気を一度、ご経験いただくことで殿下はよりお強くなっていただけると思ったからだ。それに、お傍につくのをお前に譲ったのは、わたしの次はおまえが、お傍につくことになるからだ……けど、お前は気が利かないとイリーナどのに叱られた。護衛だけでなく、殿下が何を求めておられるかを察するように」
嘘がすらすらと言えた……。
「……は! 申し訳ございません。いや、また殿下が我儘を仰って隊長が注意なさったのかと」
「……昔の話はやめるように」
詰所に入り、自分の席につく。
日報を書きながら、昔のことを思いだした。
二年前。
わたしの分隊が殿下の担当となった頃……失敗をした臣下を、必要以上に叱責する殿下を目の当たりにしたことがあった。
今となれば、当時の殿下はどういうわけかイライラしていたように感じる。
五ヵ国半島方面への侵攻作戦が停滞していて、それが原因だったのかもしれない。
その頃、最大の同盟国であるギュレンシュタイン皇国から、皇族の方がお見えになっていた際、その女官がお茶を運ぶ順番を間違えて、付き人に先にお出ししてしまった。
来訪していたギュレンシュタイン皇帝の弟君で、先方は、女官の無礼に激怒したのである。
大失態、といえる。
だけど、その女官が「死んでお詫びします」と言った時、わたしは、見過ごすことができなかった。
彼女の横に膝をつき、殿下に怒りを鎮めるようにお願いして、こう伝えた。
『殿下、人は誰しも失敗をいたします。だからこそ皇太子殿下は、それを許す寛容さと、失敗を成長に繋げることを求める厳しさを、臣下にお示しくださいますよう、臣は切に願うものでございます』
殿下は、感情を落ち着かせられて、女官に詫び、わたしに感謝の言葉をかけてくれた。
その時、グロスは部屋の隅っこに逃げて存在を消そうとしていた……。
日報を書き終えたわたしは、当時のことを思いだしたせいでグロスを睨んだ。
彼はビクリとして、苦笑いをしながら日報を差し出す。
「お……お待たせしました」
「お疲れ様」
他の部下たちも、日報を順に提出してきた。
わたしは自分の分もまとめて、連隊長への提出箱へ日報五枚を入れる。
ほぼ同時、連隊長室のドアが開き、ヴィクトル様が顔をのぞかせた。
「あ、ちょうどよかった。アリシア、いいかな?」
ヴィクトル・テベス大佐、六十歳。褐色の肌に白い髪と顎髭が映える、強位の騎士だ。定年を迎えた今も、その人柄と実力を惜しまれて護衛連隊長の職に残っている。
部屋に入ると、人事院のハロルド・ウェア様がいた。
ピン、とくる。
わたしの、人事のことだろう。
「殿下に、護衛連隊長の席をお前に譲ると言ったら、駄目だ、引退は許さない。引退したいならアリシア以外を連隊長にしろと言われてな」
ヴィクトル様が、言いながら所作でソファを勧めてくれたので、ハロルド卿に会釈をして腰掛ける。わたしの対面に、ハロルド卿がおり、その隣に連隊長が座った。
「アリシアなら、連隊長にふさわしいと説得したが、その前に儂の引退を認めんと駄々をこねられている……異動先の件、すまんがもう少し待っていてくれ」
待ちますが……わたしはわたしで、困ったことを言われておりますです。
ハロルド卿が、溜め息をついて口を開いた。
「君には申し訳ないが、少し待っていてほしい。ま、帝国の戦乙女を悪いようにはしないから」
「ありがとうございます……ですが、もう乙女ではありませんから」
わたしが苦笑すると、ハロルド卿は首を左右に振った。
「いや、強く美しく……変わらん変わらん! 君のおかげで、俺は首と胴がつながっているからな! なんとか早めに、異動先の件、まとめるから」
過去の戦場で、彼を助けたことがあるが、その時のことをまだ感謝してくれているようだ。
「わたしごときに、お手間をとって頂きありがとうございます」
連隊長に推してくれたヴィクトル様と、わたしのために移動先を調整してくれているハロルド卿。
二人への感謝で、自然な笑みを浮かべることができた。
しかし、内面は複雑だ。
定年まで穏やかに後方業務で過ごそうと思っていたのに……。
主神! ご加護を!
-・- アリシア -・-
九月十日はお休みだったけど、読めていなかった本を読んでいたら、気づけば夜……。
なんてこと……。
一日が早い。
こうして、人はあっという間に年をとって……。
宿舎の食堂で夕食を済ませて、寂しい独身女の休日は終わりを迎えた……。
九月十一日。
いつものように出勤していると、イゴールたちを引き連れてロイの散歩をしている殿下を見かけた。
彼らは、わたしに気づいていない。
……イゴールたちと談笑しながら、のんびりと散歩をしている殿下を眺める。
あの超絶美形が……どうしてわたしに?
嬉しくないわけはない。
しかし、それはそれ、これはこれ……。
そもそも、殿下はこれからヴァスラ帝国の皇帝になられ、多くの民族を統べる御方だ。その隣には、殿下にふさわしい女性が並ばれるのが筋だろう。
そのふさわしい女性とは、四十二歳で剣と魔法に生きてきたわたしではない。
隣国のヴィオラ姫、あるいは国内の有力諸侯のご令嬢……であるべきだ。
殿下にみつかると、イゴールたちを帰して、わたしに来いと言われかねない。
わたしは、彼らにばれないように、柱に隠れるようにこそこそと事務所へ向かう。そして、集まっていた部下たちと挨拶を交わし、殿下の今日の予定を頭に入れて、任務開始だ。
……皇帝陛下との面談か。
午前に入っているこれ、きっと縁談の件だろうと思った。
朝食をとりながら……ね。
殿下の居室に向かい、イゴール隊と引継ぎをおこなう。それから、殿下を護衛しながら皇太子執務室へ入った。
イリーナが、素早く殿下の衣服を整える。
朝食会場は、皇帝陛下ご夫妻の居室に近い一室だ。
殿下が入り、少し経ってから皇帝陛下と皇妃陛下がお見えになった。
わたしは、片膝をつく。
皇帝陛下ご夫妻の護衛隊を指揮するのは、大嫌いな相手……ルシウス・ファレル大尉だ。
わたしを、捨てた男。
会いたくない人、第一位で間違いない人。二位との差は、圧倒的といっていい。
彼もわたしを見て、わざとらしく笑みをつくった。
……いいとこのお嬢さんと結婚し、子供にも恵まれて……幸せな家庭を築きやがって!
妬ましい。
「レオナルド、聞いた。縁談の件、進めよ」
陛下の発言で、思考を止める。
「父上、側室として迎え、実質的には人質にせよ、という理解でよろしいでしょうか?」
殿下の、冷たい声。
「かまわんだろう? 向こうが言ってきとるんだ。受け取っておいて、揉めた時は使えばよいだろう」
陛下の言葉に、お妃様が大きくうなづく。
「小国の小娘が、レオナルドの正室? 図々しいことです」
「……承知いたしました。ところで……」
殿下はそこで、二人をまっすぐ見る。
「いずれ、正室を娶ることになりますが、それは俺が自分で決めます。よろしいですね?」
「正室……宰相が幾人か、侯補を決めておるだろ? そこから自分で選べばよかろう」
陛下の言に、お妃様が異論をとなえる。
「なりません、陛下。宰相に選ばせると、彼の家に有利な者を選ぶに決まっております。黒獅子公家の分家に、ちょうどいい年ごろの子がおりますゆえ、レオナルド、会ってみてはいかが?」
宰相であるシュバイク侯ズラターンは、その影響力を強めている。お妃様の仰るとおり、皇太子殿下の縁談も自らの野心に利用するだろう。だけど、お妃様はそれを牽制したいというよりも、ご実家であられる黒獅子公家に繋がる家の女性を勧めた。
お妃様も、お妃様だ。
「いえ、母上。俺は自分で選びますゆえ、ご安心を」
「あらそう? 今度の舞踏会に来るから、会うだけ会ってみなさい。ね?」
「……母上が、そこまで仰るなら、そう致しましょう」
殿下はそこで、食事に手をつける。
殿下……宰相閣下とお妃様のご提案をぜひ! 前向きにご検討を!




