婚姻外交か……
九月九日。
護衛の仕事は、一人でしているわけではない。
分隊単位で殿下をお守りしている。
しかし、執務室の中に全員で入らない。わたしがお傍に控え、二人は扉の外、もう二人は庭に立ち窓を見張る。
この日、わたしは部下のグロスを殿下のお傍につかせ、庭に立つことを選んだ。
春から護衛に加わった新入りのイーサンが、わたしと一緒ということで緊張している。
才能はあるけど、経験がまだ足りない新入りは、窓の前に突っ立って周囲をきょろきょろとしていた。
わたしは、庭全体を眺める。
違和感があれば、すっと焦点をあわせ、危険はないとわかればまた全体を眺めた。
窓が開かれ、視線を転じると侍女のイリーナがわたしを見る。
「殿下が、お呼びです」
「いえ、職務がございますので」
彼女は声をひそめる。
「ちょっと……機嫌が悪いの。早く」
「そう言われても」
「あの人、気がきかないから」
イリーナが言う、あの人、とは、わたしの代わりに殿下のお傍についている部下のグロスだ。
イリーナが、わたしを急かす。
「お願い、早く」
仕方ない。
同じ場所にいる時間を減らしていく作戦、失敗。
ぐるりと庭をまわり、内宮に入り、廊下を歩き、殿下の執務室に入った。
「失礼いたします」
グロスが殿下に一礼し、退室する。
わたしが殿下の執務机の傍らにつき、直立した。
彼はイリーナに「席を外してくれ」と言う。
イリーナが、疲れたという顔で退室した直後、殿下は溜め息をついた。
「君がここにいるから、俺は落ち着いて仕事ができる。頼むよ」
「……しかし殿下、いずれ臣もここを離れる時が参りますので、少しずつ慣れていただくしかございません」
殿下は、苦笑を浮かべて口を開く。
「妃になれば、一緒にいてもらうつもりだ」
勘弁して!
わたしが受けること前提で話をするのは!
わたしは内面を無表情で隠し、壁時計を見た。
もうすぐ、来客がある。
「殿下、そろそろ外宮に」
「そんな時間か、わかった」
立ち上がった殿下を、わたしは一礼で迎え、先導しようと身体の向きを変えた。
「後ろ姿も凛々しいな」
……わざと、言っているに違いないとわかる。
これまで、まったく言わなかったくせに!
わたしは動揺を歩みで隠し、殿下を先導した。
-・- アリシア -・-
外宮には、各国の王族や諸侯を、帝国の皇族が迎える時に使われるサロンがある。
わたしは扉を開き、一礼して端に寄った。
殿下が、すでに中にいた人たちへと声をかけながら入室する。
「フィヨルド侯、ようこそ」
「この度は貴重なお時間を割いてくださり、恐悦至極に存じます」
帝国東部の国境を接するガーベイン王国の有力諸侯であり、彼の国のレオン王の外戚でもあるフィヨルド侯爵ジスムンドは、大げさな挨拶をして片膝をついてみせた。
護衛たちが室内に入り、四隅を固めた。別の分隊がすでに、部屋の外で配置についている。
わたしは、殿下へと一歩で届く距離まで歩き、後方に控えた。この一歩というのは、わたしなら一歩で殿下の前に入れる距離で、他の人から見れば、少し離れすぎているように見えるかもしれない。
フィヨルド侯とお付きの方々は、殿下の所作を待ってテーブルにつく。
殿下の左右には、外務卿を務めるマーカス様と軍務卿補佐官のカイルがついた。
カイルが、わたしを一瞥し口元をゆるめる……。
いらんことを考えてないで、交渉をうまくやれと念じた。
隣国との交渉は、昨年から続く経済摩擦の解消だ。
ガーベイン側から帝国へ運ばれる塩が安いため、帝国内の塩が値崩れを起こした。これに帝国内の業者たちが悲鳴をあげ、帝国はガーベイン産の塩にかけていた関税率を高くしたのだが、これに反発したガーベイン側が、帝国からガーベインに輸出されていた穀物への関税をあげた。
それで、帝国はさらにガーベイン産の塩への関税を高めて……反発と対抗が繰り返される。
しかし、そもそもの国力に差がある。
とてつもなく大きな差だ。
北方大陸最大の国家である我がヴァスラ帝国と、半島に小さな領土を持つガーベイン王国では、そもそも喧嘩になるはずもなかったのである。
今日のこの場は、ガーベインが先に折れて、塩の輸出量を制限するので、それでいいでしょうかというお伺いの場だ。
殿下は黙ったまま、相手国の提案を聞く。それへの質問、反論は外務卿のマーカス様と、カイルがおこなっていた。
カイルは軍務庁勤務なので、軍事行動も辞さないよという脅し役で同席していた……かわいそうに……いい奴なのだけど、顔がいかついからこういう役回りをさせられて……。
交渉がまとまった時、フィヨルド侯がわざとらしい咳払いをして口を開く。
「実は殿下、それがし、陛下よりもう一つ、まとめてくるようにと命じられております」
殿下は表情を変えず、話すようにと手の動きで示した。
隣国の貴族が、付き人に目配せを送る。
二人が隣室へと移動する背を、フィヨルド侯は一瞥して口を開いた。
「ガーベインの真珠と謳われる王女ヴィオラ殿下を、ぜひレオナルド殿下の室に」
マーカス卿は、無表情で反応を示さない。このことから、ガーベインから事前に、水面下で外務庁にはこの話が入ってきていたことがわかった。
一方のカイルは、頬をぴくりとさせて殿下を窺う。
隣室に移動したガーベインの使者二人が、姿絵を運んで来た。
わたしですら、息をのむほどに美しい女性が描かれている。
この姿絵……人物画の巨星といわれるミリコフ・ガリの手によるものだ。
すばらしい……。
フィヨルド侯が、言を続けた。
「ヴィオラ殿下は御年十六、比類なき美しい姫としてお育ちあそばしました。陛下におかれましては、大切な愛娘を嫁がせるにふさわしいは、北方大陸に広く知られたレオナルド皇太子殿下の他にはいないと仰せでございます」
いい話じゃない!
わたしにとっても、国にとっても、殿下にとってもこんな美人が来てくれるなら、皆が幸せになれるいい話よ!
フィヨルド侯が、笑顔で口を開く。
「レオナルド殿下は未だ妻帯されず、決まった女性もおられぬと聞いております。ぜひ、この話、進めていただきますようお願い申し上げます」
ガーベインの使者たちが、フィヨルド侯が頭をたれるのにあわせて、頭を下げた。
殿下は黙ったままだ。
わたしのことなら、気にせずにどうぞ!
国と国の大事なことですから!
「フィヨルド侯、貴公とレオン陛下の御心遣い、礼を申し上げる。しかし、わが身ひとつのことではないゆえ、俺も父に相談した後に答えを出そう。では、マーカス卿、あとは頼むぞ」
殿下が席を立ち、振り返る……無表情……だ。
わかっている。
殿下が無表情でいる時、それはものすごく腹を立てている証……。
わたしは無言で一礼し、殿下を先導する。
サロンから出た時、聞こえてきた。
「よけいなことを」
殿下だ……。
さらに、殿下は歩きながら護衛たちに命じる。
「先ほどの話、胸の内に留めておけ」
声が、怒っている声質です。
おそらく、外務卿のマーカス様が、殿下に相談なく水面下で進めていたことに怒っておられるのだわ……。
揉めなければいいけど……。




