お困り顔
十月十八日。
いつもの夢を見て、目覚め、歯磨きをして、シャワーを浴びる。
化粧を人にしてもらうのも、抵抗が薄れてきました。
殿下の執務室を訪ね、近くで護衛をしながら考える。
わたしは、どうしたいのだろう?
これまで、望むことを諦めてきたわたしは、望んでもいいのでしょうか?
殿下が、わたしを見た。
わたしは笑みを浮かべ、何だろうと思うも、殿下は何も言わずに書類へと視線を戻す。
何?
邪魔になっているのかな?
「殿下、お邪魔でしたら自室に戻って――」
「ああ、違うからここにいてほしい」
「……はい」
何だろう?
また、黙々とお仕事をしているけれど……。
そういえば、そろそろ……壁時計を見た。
殿下はこの後、宰相閣下との食事会が控えている。
わたしは当然、それまでご一緒した後、お食事が終わるまで別行動だ。
イリーナが現れて、食事会の会場への移動を勧めてくる。
「わかった。アリシア、行こう」
行こう。
行こう……か。
「はい、殿下」
当たり前のように、わたしを伴おうとする殿下の少し後ろについて歩いた。
殿下と宰相閣下の会食は、外交や内政など打合せを目的としているのだけど、わたしとしては複雑でもある……。
会場に入ると、宰相閣下の隣に美女がいた。
オリビア様だ。
彼女は、いつものようにすました顔だけど、舞踏会の時に感じた嫌味がない。
食事の席への同席を、わたしは遠慮して後方に控える。
すると、宰相閣下がわたしを手招く。
「アリシアどの、ここにここに」
……そこはあんたの膝の上じゃないのよ!
「殿下に叱られますので、遠慮申し上げます」
丁重にお断りをしたところで、殿下が怒りを我慢しているのがわかった。
「はっはっは! 冗談が通じんな。殿下の隣が空いておろう」
殿下も、隣にとわたしを誘う。
それから殿下と宰相閣下は、国内の問題――蒸気機関車の駅が足りない問題をどうするかを話し合った。
機関車……乗りたい。
政治の話が終わった頃、デザートのザッハトルテが運ばれてくる。
殿下の好物ですね、と口にしようとした時、オリビア様が殿下に尋ねた。
「先日、ミティファー卿のピアノを聴きました。殿下もぜひ」
「ああ、彼が帝国にいる間にぜひ一度、招きたいと思っている」
「素晴らしかったです」
二人は、穏やかな表情で会話をしている。
オリビア様は、こうしてみると本当に高貴な出のお嬢様だ。
二人はそれから、詩人のエリス卿に関しての会話を始めた。
わたしは、邪魔をせず黙々とザッハトルテを口に運ぶ。
……う……ん?
もう一口、食べる。
……美味しくない。
珈琲も、よくわからない味だ。
高級すぎて、口にあわないのだろうか?
「アリシアどの、どうした?」
宰相閣下が、わたしを覗う。
「なんでもございません」
「そうか? なんだか強張っておるゆえ、この菓子に問題でもあったかと思ったが?」
「いえ、大変美味しくいただいております」
「そうか、それなら良かった」
食事が終わり、宰相閣下、オリビア様と挨拶をした。
「アリシア、どうした?」
「え?」
「なんだか、難しい顔をしているから。宰相の下品な冗談のせいか?」
「……そうかもしれません。殿下、少し自室に戻っていてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。でも、珍しいね? 体調、悪いのかい?」
わたしは一礼して、自分の部屋へと戻った。
部屋の中で、この苛々は何だろうかと腕を組む。
鏡の前に立ち、自分が怖い顔をしているのを見た。
何だ?
わたしは、どうして先程、あんなに不機嫌になっていたの?
そうだ……わたしは、不機嫌だった。
腹を、立てていた。
……政治の話が終わり、殿下に話しかけようとした時、オリビア様が会話を始めてしまったから?
……違う。
そうじゃない。
わたしは、殿下に腹を立てた?
オリビア様とばかり会話をしていた殿下に……わたしは腹を立てていたんだ。
ヴィオラ様なら、腹立たしくはなかっただろう。なぜなら、二人はお互いに、そういう関係を望んでいない。
でも、オリビア様は違う。
殿下の相手候補の一人だ。
宰相閣下が、殿下に嫁がせたいと思っている自分の娘だ。
その女性相手に、殿下は会話をしていた。
……わたしには、二人が楽しそうに見えたから、苛々したんだ。
わたしは、深呼吸をした。
胸が、ひどく痛い。
この気持ちは、覚えている。
この感覚を、思い出した……。
認めるのが、怖い。
だけど、わたしは自分から殿下の近くに残り、探したいと望んだんだ。
わたしは……殿下が好きなんだ。
そう認めた時、不思議と心が軽くなった気がした。
-・- アリシア -・-
夕刻。
ヴィオラ様が、フィアを伴って訪ねて来た。
食事を一緒にと誘ってくれたのだけど、わたしは無理に微笑んで、辞退する。
「ごめんなさい。体調がよくないのです」
「え? 大丈夫ですか? お熱は?」
「熱はないみたいなんですけど……」
わたしをじっと見つめていたヴィオラ様は、フィアに「温かい飲み物を」と言い、わたしが腰掛けるソファの横、空いた箇所に腰を下ろした。
「アリシア様、泣きました?」
「……わかります?」
「……わかります」
彼女は、わたしの髪に手を伸ばすと、優しくなでてくれる。
すごく年下の子に、慰めてもらうわたしはダメな大人だろう。
「いいんですよ? アリシア様。大変なことがいっぱいあっても、わたしにしてくれたように、なんでも自分を後回しにしちゃうから、心が疲れやすいんですよ」
「……違うんです。ヴィオラ様……わたしが勝手に、腹を立てたんですよ」
嘘をつく気力も余裕もないわたしは、ヴィオラ様に背を撫で慣れて目を閉じた。
「わたしは、これまで殿下へ向ける自分の気持ちに嘘をついていました」
「……お好きなんでしょ? 見ていればわかります」
「わかりましたか?」
「ええ、とっても……わかってないのは、お二人だけ……」
ヴィオラ様がそう言うと、驚くわたしをまっすぐに見た。
「殿下もおかしな方です。ご自分から求めているのに、その女性が自分に惚れていることに気づいていないんですもの」
「……ヴィオラ様、本当に十六歳ですか?」
ヴィオラ様はにこやかに笑う。
フィアが、温かいスープを運んできてくれた。
彼女は、わたしたちの様子を見ただけで、何も言わずに部屋を出る。
ヴィオラ様が、おかしそうに口を開く。
「初めて、殿下がアリシア様を選んだあの時、アリシア様は、一瞬、嬉しそうな顔をしました」
「……」
「なんだ、両想いじゃない! て思っていたのに……今さら、気づかれたんですね?」
「今さら……です。覚悟も何もなく……」
ヴィオラ様が、わたしへと温かいスープの入った器を差し出す。
「いいじゃないですか? 人を好きになることは、人として当たり前のことですよ? アリシア様」
「……それが、わたしでも、ですか?」
わたしの問いに、彼女は微笑む。
「ええ、もちろん」
わたしは、差しだされた器を受け取る。
温かい。
ヴィオラ様も、器を手にとりスープを飲んだ。
「美味しいです」
彼女の笑顔に、わたしも笑みを返す。
「ありがとうございます」
「美味しいものを口にすると、笑顔になります。どうぞ」
わたしは、スープを飲んだ。
「美味しい」
心まで、温かくなった。
-・- アリシア -・-
夜になって、殿下が部屋を訪ねて来た。
お通しすると、イリーナが白ワインを一杯だけ、置いて部屋を出て行く。
魔族の母の森のワインだと、香りでわかった。
わたしのために、用意してくれたのだ。
「アリシア、体調はどう? ホットワインにする?」
「殿下、申し訳ございません。正直に申します」
「……な……なに?」
緊張した殿下は、わたしの対面に腰掛けている。
わたしは、両手を揉みながら視線を落として、口を開いた。
「昼間は、失礼いたしました。あの時、実はわたしは……腹をたてていたのです」
「宰相か、彼には次からは発言に――」
「いえ、宰相閣下のせいではございません」
わたしの言葉に、殿下が首を傾げた。
わたしは、ちゃんと殿下に聞こえるように、頑張って声を出す。
「やきもちを……妬いたのです。殿下が、オリビア様と楽しそうに会話をなさっていたから」
殿下が、瞬きをした。
わたしは、続きの言葉をどう繋げようかと悩む。
だけど、恰好悪い言葉ばかりで、言うのも恥ずかしかった。
殿下が、グラスに手を伸ばす。
「アリシア、頂こうよ」
「……あ、はい」
ワインに口をつけ、その香りに頬を緩めた。
緊張していたんだと、それでわかる。
「楽しそうに、話していたわけじゃないけど……君の気分を悪くさせたのはごめん……謝るよ。許してくれるかい?」
「許すもなにも、わたしが勝手に腹を立てただけです」
殿下は微笑み、わたしを見ていた。
「あの……どうしても、お伝えしたいことがあるんです」
わたしの言葉に、殿下は首を傾げた。
「何だい?」
深呼吸。
わたしは、グラスを置き、袖をめくる。
殿下は、何だ? という顔をしたけど、何も言わなかった。
腕の傷を、殿下に晒した。
「殿下、わたしの身体には、このような傷があちこちにあります」
「……アリシア」
「……戦いの中に身を置いてきたので、わたしにはこのように、傷がたくさんあるんです」
殿下は、優しい笑みのまま、口を開く。
「女性の君が、傷を気にするのは当たり前のことだろうけど、俺は気にならないよ」
「……気持ち悪くないのですか?」
「そんなことあるわけないだ――」
殿下はそこで言葉を止めると、笑みを消して真面目な表情となる。
「――そうか……誰かに言われたんだね?」
「……」
「アリシア、君が過去に侮辱されたことを、俺は消すことはできないけど……でも、君を好きな男として言えることがある」
わたしは傷のことを伝えても、好きだと言ってくれる殿下を見つめた。
「そいつを連れて来い」
え?
「ぶん殴ってやろう」
……。
わたしは目を閉じて、笑う。
「なに? おかしいこと言ったかな? 本気だぞ」
「……多分、勝てません」
「え!? 強いのか!?」
驚く殿下を前に、わたしは泣きながら笑っていた。
「ふふふふ……ぐすん……ふふふふふ」
「ひどいな……笑うことないじゃないか」
「おかしいです……」
でも、わたしはありがたかった。
「殿下……ありがとうございます」
「……抱きしめていいかな?」
「……はい」
わたしは、困った顔の殿下を初めて見たのだった。




