歌劇
「わたしは本当にお話が大好きなのですが、いつも静かにしなさいと厳しく母上に言われてきたので、大変で大変で、本当にとって――」
「姫様」
「あら……わたしったら、つい」
「いいんですよ。わたしの前ではどうぞ、好きなだけお話になってください」
ヴィオラ様は、おしゃべり大好きな女の子で、性格も天真爛漫という可愛い妹的な人だと感じた。
わたしは彼女のおしゃべりに付き合う。
午前中、ヴィオラ様はこれまで我慢していた分を喋り倒した!
喋る、喋る……本当に、飲み物を飲む時くらいしか喋っていない時はなかった。
それから、お昼も一緒にとなり、彼女の室に運んでもらい、一緒に食べる。
ニジマスの香草焼き、美味しいんだよね!
「ヴィオラ様は、では歌手になりたかったのですね?」
わたしがマスをナイフで切り分けながら尋ねると、王女は目を輝かせて頷く。
「はい! そうなんです! 帝国に行けと言われた時も、北方大陸で歌劇が最も栄える国の、さらにその都に行ける! と思って嬉しかったのです!」
わたしは、逆に心配になる。
彼女は、人質なのだ。
歌劇の鑑賞など、難しいだろう。
そして、そんな動機なら、これから大変だよ? と思うのだ。
「ヴィオラ様、失礼ですが、歌劇目的となると、こちらに参られたのは良くないかもしれません」
わたしは、彼女を注意しようとか、気をつけるようにと言うつもりはなく、ただ心配で尋ねていた。
ヴィオラ様は、フィアに目配せをして、口を開く。
「はい。それは承知の上です……王族の娘として生まれた務めと思います。国民の皆様が、それで平和でいられるのであれば、わたしも嬉しいです」
「……我慢、しなくてもいいんですよ?」
わたしは、何も考えず、そう言っていた。
まだ十六歳の女の子が、背負うには重すぎると感じたから。
わたしの言葉に、ヴィオラ様は微笑むと、マスを口に運ぶ。
美味しそうに食べる子だな。
「アリシア様、でもわたしは嫌々ではありません。わたしは、どんな時も楽しみたいのです。それに、アリシア様と出会えたのです。帝国に来ていなければ、会えなかったわ」
笑顔の王女。
この子は、いい子だ。
ヴィオラ様が悲しむことがないように、わたしも手伝ってあげたい。
殿下にも、お願いしよう。
……そうだ!
「ヴィオラ様、殿下にお伺いを立てないといけませんが、歌劇を鑑賞なさいますか?」
彼女は、勢いよく立ち上がった!
そのせいで、テーブルの上のお皿がひっくり帰り、マスが床にポトリ……。
「姫様」
フィアが慌ててマスを拾い、捨てようとするのをヴィオラ様が止める。
「大丈夫。頂きます」
さすがに、わたしも慌てる。
「いえ、取替させましょう」
わたしの申し出に、ヴィオラ様は首を左右に振った。
「大丈夫です。国民の皆様に支えられて暮らすわたしは、食べ物ひとつも粗末にしてはいけないとフィアが教えてくれました。それに、ここは今朝、フィアが掃除をしてくれたもの。頂きます。それよりも! アリシア様、本当に歌劇を鑑賞できるのですか!?」
「え? ええ……殿下にお願いをして、ご許可を頂ければ」
ヴィオラ様は満面の笑みで、対面のわたしへと駆け寄ると抱き着いてくる!
マスが!
わたしのマスも落ちる!
「嬉しい! 嬉しいです! アリシア様、ありがとうございます!」
わたしは、ヴィオラ様を好きになっていた。
歌劇の件、殿下にお願いしよう!
-・- アリシア -・-
十月十六日。
夜。
殿下が居室に、わたしとヴィオラ様が入った。
いくつもある部屋のひとつ、来客用の広い室には楽団と歌手たち。
ヴィオラ様が、喋りだしたいのを我慢してわたしの隣で目を輝かせている。
殿下に、ヴィオラ様のために劇団を招きたいとお願いすると、二つ返事で了承してくださり、今日に至った。
殿下の前で、帝都の名を冠するレニンベルグラフ歌劇団の歌姫を中心に、一流演者たちがかしこまっている。
すごい役得!
わたしまで、一緒に鑑賞できるなんて最高!
演目は、ヴィオラ様が希望した『水の乙女と火の青年』だ。
アメリア皇后が作ったこの物語は古典中の古典で、多くの物語に影響を与えた傑作だ。
湖の精霊であるミリアと、その湖を守る火族の青年ウィリアムの悲恋物語は、観賞するたびに涙を誘われる。
ミリア役とウィリアム役の歌手二人だけで演じるという、おそろしく難易度が高い物語でもあるこれを、レニンベルグラフ歌劇団が誇る歌姫フォルティーンと、歌手エンジストは見事にやり切った。
涙を流して拍手するヴィオラ様。
満足した様子で、目尻をぬぐう殿下。
わたしも、ハンカチで目頭を押さえる。
ヴィオラ様が、歌手二人を称賛した。
「すばらしかったです! ガーベインでも多くの歌劇を鑑賞しましたが、やはり帝国はその上です! さすが歌劇の国! 感動しました! 本当にわた――」
「ごほん!」
わたしが咳払いをして、ヴィオラ様が口を閉じる。
フィアがいない時、王女を止めるのはわたし。
殿下が、歌手たちを労い、それからヴィオラ様に声をかけた。
「聞けば、小さな時は歌手になりたかったとか?」
「あ! アリシア様、話したのですね?」
「ええ、いけないことではありませんもの」
ヴィオラ様は照れたように微笑み、頷くと口を開く。
「本当に、子供の頃は歌手になるんだと思って毎日、歌っておりました。フィアに止められても」
そこで、フォルティーンが恭しく一礼し言う。
「恐れながら……姫様の歌声、聞かせていただけないでしょうか?」
粋な計らいだ。
照れるヴィオラ様に、殿下が笑顔で言う。
「ここには俺たちしかいない。歌手になりたかったと諦めるものではないだろう? 王女であっても、歌を歌うのは自由だし、外交の場で披露するのも良いことではないかな?」
こういうことに理解を示す殿下は、さすがだと思います。
わたしも、ヴィオラ様の背中を押す。
「ヴィオラ様の歌、聴きたいです、ぜひ」
「アリシア様まで……この方々を前に恥ずかしいですが、一曲だけ」
歌劇団の歌手たちを前に照れた彼女だが、席を立ち深呼吸をすると、まとう空気が少し変わった。
「曲は、何になさいますか?」
フォルティーンの問いに、ヴィオラ様は少し悩み、答える。
「喜びの歌を」
喜びの歌……ガーベイン王国で愛される歌で、穏やかな気候と豊かな農産物に感謝する内容だ。
演奏が始まり、ヴィオラ様が姿勢を正した。
歌姫フォルティーンの後に、その技量を批評するのは気の毒といえる。でも、技量ではない才能、声質は歌手として修業をしていたならば、一流になれたのではないかと思えるほどすばらしかった。
隣の殿下も、驚いた顔で何度かわたしを見た。
わたしも小さく頷く。ヴィオラ様は、本当にすばらしい声を持っている。
歌が終わり、わたしたちの拍手を受けてヴィオラ様は顔を真っ赤にしていた。
「恥ずかしいです!」
「姫様、素晴らしい歌声です」
フォルティーンの称賛に、歌劇団の方々も同意の拍手を送る。
殿下が、照れるヴィオラ様に言った。
「稽古を、つけてもらわないか?」
「ええ?」
驚いたヴィオラ様に、わたしも笑みを浮かべて伝える。
「稽古、しましょう。諦めるなんて、もったいないです!」
ヴィオラ様は、感激のあまり泣き出してしまった。
-・- アリシア -・-
歌劇鑑賞が終わり、ヴィオラ様はフィアと一緒に自室に戻る。
わたしは殿下に呼び止められて、残っていた。
イリーナが現れて、白ワインを一杯ずつ、卓上に置いて辞す。
殿下は、わたしをまっすぐに見た。
「アリシア、ありがとう」
?
なんで感謝されているのかわからないけど、わたしは笑みを返す。
「感謝くださり嬉しいのですが、何をでございますか?」
「ヴィオラのことだ」
ヴィオラ様?
ああ、なんだそんなことか。
「いえいえ、殿下。ヴィオラ様はとてもいい方で、わたしも仲良くなれて大変うれしいです」
「……そう言える君がすごいと思うけどな」
「ですが、ヴォイラ様はとても良い方で、わたしが平民出の騎士であるにも関わらず、仲良くなろうとしてくださいますので、わたしも仲良くしたいと思えるんです」
「……なるほど」
殿下は妙に納得したような表情で、葡萄酒を口に含む。
わたしも頂く……これは、魔族の母の森のワインだ!
「殿下、このワイン、好きなんです」
「へぇ? 俺もだ」
「美味しいですよね?」
「うん、フルーティで飲みやすいし、香りも華やかだ」
「そうなんです。それに値段もお高くないんです」
「値段は知らない」
知らないのか!
お値段を気にしたことがないなんて、羨ましい!
「率直に尋ねるが、ヴィオラは今の状況を、どう感じていると思う?」
「……ヴィオラ様は、帝国に来たのも王族の務めだと仰っていました」
わたしの言葉に、殿下は目を見張った。
わたしは、ヴィオラ様が困らないように、言葉を続ける。
「そして、いかなる時でも楽しもうという気持ちを持つとも。殿下、あのようにかわいらしく、誠実な方を不幸にしたら、殿下の名に傷がつくことになります」
「そうか……そうだな。俺が父上に話したことがきっかけだから、父上とレオン王の関係を改善させて、帰国してもらうように尽力しよう」
わたしは、過去の自分を責めるような気持ちで口を開く。
「いえ、あれはわたしが殿下に勧めたからです」
「それを容れたのは俺だから。でも、せっかくだから、一緒に責任を被ってもらって、うまくいく方法を考えてくれないかな?」
殿下の言い様に、自然と頬を緩めるも、気になることがあった。
「……しかし、関係が改善されただけで、皇帝陛下ご夫妻がヴィオラ様のご帰国をご了承くださいましょうか?」
「……どうするかだな」
殿下が、椅子に深く座ると天井を見上げる。
その横顔は、とても美しく感じられた。
羨ましい……。
「何か、いい考えはないか?」
殿下の問いに、わたしは白ワインを飲む手を止めた。
「ひとつございますが、殿下はお嫌かと」
「何? 何だい? 俺が嫌なことは?」
「ファルク伯爵家のアリスリッド様を、正室にお迎えするにあた――」
「ああ、それはダメだ。ふたつの理由で」
即拒否!
その、二つの理由とやらを聞かせてもらいたい。
「即答なさる、ふたつの理由をお聞かせください」
殿下は、白ワインを飲むとわたしを横目で見る。
何です?
「意地悪だな? そう何度も言わさないでくれよ。俺だって照れるんだ。俺が正妻に迎えたいのは、アリシアだけ」
ぼん!
わたしの顔が一瞬で、真っ赤になりました!
「も……もももももうひとつは?」
誤魔化そうと、もうひとつの理由を尋ねるわたし。
「アリスリッドどのは確かに美しいし、家柄もいいと俺も思うが、それだけだ。舞踏会で踊り、会話もしたが、興味がわかない。それに俺は、妻となる人に――」
殿下が、わたしを見つめながら話す。
「――政治や外交の相談をしたい。いろいろと助言をしてもらいたい。彼女では務まらないだろうと思う」
「……」
「何だ? おかしいことを言っているかな?」
おかしいことを言っていますが……何も言わないでおこう。
殿下の気持ちが、素直に嬉しいから。
わたしは微笑み、白ワインを飲む。
「あれ? 顔が赤いね? 俺の告白で照れたからかな?」
「ワインのせいでございます!」
「そうか、残念」
殿下が少年のように笑い、わたしは胸が疼いた。




