素直な気持ちとは……
自由の身……とは言えないけれど、自宅待機よりはマシ。
宿舎に戻ると、最後の箱を抱えたパトリックが、今まさに出ようとしているところだった。
「あ、パトリック、運んでくれてありがとう」
「……化粧道具や服は少なくて、本が大量にある女性の部屋は、帝国内でお前の部屋だけだろう」
「うるさい」
「炎王召喚の魔導書、譲ってくれない?」
「写したから、そっちならいいよ」
「お前はやっぱり信頼できる友だ」
笑みを浮かべたパトリックの背中を軽く叩き、すれ違う。
部屋に入ると、ごっそりと部屋の中の物がなくなっていて、食卓の上に、化粧箱がちょんと載っていた。
衣装棚を開くと、服も残っていた。
ん? ……下着、見られてないよな?
引き出しを開き、わたしがしまったまま残っている下着類を見て、パトリックたちを疑ったことを申し訳ないと思う。
部屋の隅に、木箱がふたつと、台車が置いてあった。
それで運べということだろう。
衣装類を箱に入れていると、ドアを叩く音が聞こえた。
振り返ると、開けられたドアにもたれたジグルド先生と目が合う。
「先生」
「よかったな? 首と胴が繋がって」
「笑えないです」
「手伝おうか?」
「いえ、もうこれだけなので」
「あとで、稽古場に来い。俺は次の仕事で、ギュレンシュタイン皇国に行く。その前に、手合わせしてくれ」
「喜んで!」
荷物を箱に詰め、台車を押す。
十五年、お世話になった部屋……士官級の部屋の中でも、広い部屋を使わせてもらっていた……お手洗いとシャワーもついた、とても使いやすい部屋だったのに……。
新しい部屋は……殿下の寝室の……気まずい。
あの公園で、あんなことを言われて……その後、宿舎に送り届けてくれるまで、殿下は何も言わなかった。
ただ、わたしの手をとって、でも窓を見ていた。
殿下も、緊張していたのだと思うと、不思議な感情が沸き起こる。
かわいい……。
政治も軍事も外交もこなす有能な人で、容姿に恵まれ、人格もすばらしい殿下が、わたしのせいで緊張していた。
「よぉ、アリシア」
カイルの声。
彼は外宮と内宮をつなぐ遊歩道を歩いていて、こちらに手を振っていた。
彼はわたしの隣に来て、台車を押そうと言って代わってくれる。
「どうした? ご機嫌じゃないか?」
「ご機嫌?」
「ああ、だってニコニコして台車を押していたから」
「……」
ニコニコ、していた?
「ジグルド卿が、皇妃陛下とも話をしてくださったこと、聞いたか?」
「え? ジグルド様が?」
「聞いてない? お礼、言っておけ。皇妃陛下が最後に折れたのは、ジグルド様がひと押しをしてくれたからだ」
「……そうなの?」
「ああ。宰相閣下と軍務卿閣下の会話を聞いてね」
先生……わたしのために、すみません。
カイルもちょうど内宮に用があるらしく、二人で遊歩道から庭園の中を歩いた。
「意外なのは、宰相閣下がお前を庇ったことだ。娘を殿下に輿入れさせたいと思っているはずなのに」
「……そうなの? 今度、お礼を言っておく」
あまり借りは作りたくない相手なんだけどなぁ……。
内宮に入ったところで、カイルと別れた。
ごとごとと台車を押し、階段の前で困る。
うーん……ひとつずつ抱えて、行くしかない。
木箱を抱え……さすがのわたしでも重い。
ふん! ふんふん! ぬおー!
二階にあがったところで、木箱をドスンと廊下に置いた。
二階にいた、女官や護衛騎士、兵士たちが、わたしを見ている……。
「アリシア!」
イリーナに、見られていた。
「ちょっと、皆! 来なさい!」
彼女が兵士たちを呼び、木箱を運んでくれた……。
「アリシアの部屋は、こっち」
イリーナに案内され、その部屋に通された。
広い。
宿舎の部屋よりも、広い……て、そりゃそうか。
「こっちが衣裳部屋、こっちが書斎、こっちが……」
案内してくれるイリーナ。
「あの、この部屋だけで十分なので」
寝室に立ち、伝えると笑われた。
「だから、部屋の中で繋がっているんだから、使えばいいじゃない?」
「……」
部屋、じゃないよね? これはもう……でも、殿下の寝室はもっと広くて、部屋もいっぱいある。実は、入ったことがない部屋もあります。
「手洗いとシャワー室、お湯、水の切り替えはこれ」
「あの……食事はどこの食堂を使えば?」
「……運ばれるわよ、ここに」
「ここに?」
「ここに」
……慣れない。
イリーナはそこで、わたしを肘でつつく。
「あんたと殿下、なぁんかあやしいなと思っていたけど、びっくりした」
「……そぉですか」
「やったじゃん。このまま、正室の座も取っちゃいなさいよ」
「……おもしろがってます?」
イリーナはそこで、いきなり表情を真面目なものに変える。
「アリシア様、諸侯のご令嬢からのやっかみに、ご注意くださいませ。それでは」
殿下の侍女はそう言うと、にっこりとして、去って行った。
-・- アリシア -・-
稽古場に行くと、すでに先生がいて、騎士たち相手に稽古をつけているところだった。
強い。
剣と身体の動きに無駄がなく、滑らかだ。
夜勤組のイゴールが、秒で負けたのを見て、腕は落ちていないどころか、さらに磨きがかかっていると感じられた。
「おい、アリシア、相手しろ。こいつらじゃ相手にならんわ」
わたしは、悔しそうなイゴールから木剣を受け取り、交代した。
向かい合う。
隙だらけのように見えて、撃ちこむとやられるイメージしかなかった。
ジグルド先生も、構えたまま、動かない。
わたしは、ゆるりと右へ移動する。
先生は、それにあわせて前進してきた。
木剣を払う。
先生も、動いた。
一瞬。
わたしたちの剣は、同時に地面を転がっている。
わたしも、先生も、それを見ずに接近しあった。
蹴りを見舞うも、腕で防がれた。
殴打が迫ったので、屈んで躱し、突き出された膝を腕で防ぎながら、後退しつつ回し蹴りをくらわせる。
先生は腕で止め、笑った。
「参った。これ以上は無駄だ。俺が負ける」
「勝ちを譲っていただき、ありがとうございます」
「いや、体力の差が、勝負の差になる。今の俺では、長く戦えんからな」
稽古場に居合わせた人たちが、拍手をしてくれた。
「一杯、つきあえ。どうせ暇だろ?」
「残念ながら、暇です」
二人で、軍関係者が使うことを許されているサロンへと入る。
小さな円卓につき、ジグルド先生は給仕にブランデーを頼む。
わたしも、同じものにした。
「いい顔に、なったな?」
ジグルド先生の言葉に、わたしは笑みを作る。
「そうですか?」
「うん……前より、生きている顔だ」
「……不安しか、ありませんけど」
「生きていると、いろんなことがある。不安になるのも、そのひとつだろうな……」
ブランデーが運ばれてきた。
エンプレス・アメリアは、ギュレンシュタイン皇国のブランデーだ。
アメリア皇后とは歴史上の人物で、夫である皇帝を支えた女性であり、多くの逸話があることで有名だ。死後、その功績を称えられて彼女の名を持つお酒が造られた。そのブランデーを頼んだ先生は、わたしに微笑みかける。
「レオを、支えてやってくれ。あいつ、おっちょこちょいなところ、あるから」
「……そのせいで、わたしが困ったことになったんですよね」
「そうだろう?」
「ふふふ……」
「はははは!」
二人で、笑う。
ブランデーは、果実酒のような香りに爽やかな甘みが続く。呼吸をして、香りが外に逃げてしまうのが惜しいくらい。
「実はな……ギュレンシュタインに行く前に、どうしても話したおきたいことがあるんだよ」
「はい……わたしも」
「ん? なんだ?」
「皇妃陛下とお話をしてくださり、わたしを守ってくださって、ありがとうございました」
「……弟子二人のために、師匠が動くのは当たり前のことだし、クロ―ディアとは長いからな」
お妃様を呼び捨て!
「まだお互いに若かった頃、クロ―ディアを狙った暗殺事件があった。それを防いだ時に感謝されてな。いつか恩を返すと言っていたから、それを返してもらった」
「……そんな大事なことを、わたしのために?」
「だから、弟子二人のため」
ジグルド先生はそう言って、ブランデーを舐めるように飲む。
わたしは、この人の弟子で良かったと、自然と微笑むことができていた。
「で、これはお前だけのために言う」
「……はい」
「アリシア……お願いだから、生きようとしてくれ」
わたしは、微笑みを消す。
ジグルド先生は、わたしをまっすぐに見ていた。
「宿舎のお前の部屋……全てを諦めた人の部屋だった」
「そんなことは……」
否定しようとしたわたしは、先生の言葉で口を閉じる。
「いつ死んでもいいように……お前は思っていると俺は理解した」
「……」
わたしは、ジグルド先生の視線から逃れるように、ブランデーを飲む。
「俺の部屋と、そっくりだったから、わかったんだ」
ジグルド先生の?
先生を見ると、彼は頷く。
「妻が病で死んだ後、俺はもう未練などないし、いつ死んでもいいように、自宅の物の多くを処分した。そして、危険な仕事を請けることにして、五ヵ国半島に行った」
わたしは、相槌を挟まず、ただ先生の言葉を待つ。
「大勢を殺し、大勢の仲間に死なれて……剣聖だのなんだの言われて喜んでいた頃の己が情けなく……挙句の果てに、妻に死なれて初めて喪失感に嘆いた……もう、いつ死んでもいいと思っていた……お前の部屋に入るまでは」
ジグルド先生が、わたしを見つめる。
「アリシア……お前は、幸せになっていいんだ」
わたしは、動揺した。
グラスを持つ手が、震える。
「俺も、お前が生きようとする姿を見守りたい……今度のギュレンシュタインの仕事は簡単だから……終えたらまた戻ってくる。その時、またこうして酒を飲もうな?」
先生が、手を伸ばしてわたしの頭を撫でる。
がしがしと、いつもの撫で方……。
先生のごつごつした手……。
いつもこの手で、導いてくれていた。
わたしの、手の震えが止まる。
「……はい、先生……ありがとうございます」
「うん、俺も目標を持てた。礼を言う……レオの妾どのに乾杯」
ジグルド先生はそう言うと、おどけて笑ってみせた。
だけど、その目尻が濡れている。
わたしは、感謝で胸を満たし、グラスを掲げた。
-・- アリシア -・-
夜。
部屋で読書をしていると、殿下が訪ねて来た。
お迎えをして、椅子を勧めると緊張した面持ちで、口を開く。
「君にとって、受け入れがたい状況を招いてしまった。俺の責任だ。俺は君の意思を尊重したいから、去りたいならなんとかするし、自由に暮らすなら全力で守る。先生の名にかけて誓う」
わたしをまっすぐに見て、こう話してくれた殿下の人柄に感謝を覚える。
わたしは、イリーナが飲み物を運んで来たにも関わらず、口を開く。
「いえ、殿下。わたしは去りませんし、殿下を責めたり致しません」
「……俺を、庇っての発言なら遠慮はいらない。本当はどうしたい?」
わたしは、ジグルド先生への感謝と、目の前の殿下の誠実さに、今のわたしが思うところを口にする。
「わたしは……いろんなことがあって……幸せになろうとすることを諦めていました」
イリーナが、果実酒のグラスを二杯、テーブルに置いて室を辞した。
殿下は、何も言わない。
不安そうな表情で、わたしを見ている。
「わたしは……少しだけですが、自分にとっての幸せは何なのかを、考えたいと思うようになりました」
わたしは、果実酒のグラスを持ち、殿下に差し出す。
彼は、頷いてグラスを受け取る。
わたしたちの指が、少し、触れ合った。
以前のわたしなら、慌てていたけれど、今はそうじゃない。
「殿下、わたしは殿下がわたしに向けてくださるお気持ちを、嬉しく感じています」
彼が、目を見開く。
「これまでは、怖かったです。今でもやはり、怖さはあります」
わたしは、自分のグラスを両手で包むように持つ。
「ですけど、わたしが少しだけですけど、勇気を持てたきっかけは、殿下です。だから……まだ少しだけですが、不安も大きいですけど……殿下の近くで、自分の心が何を求めているのかを、探していたいです。よろしいでしょうか?」
殿下は頷くと、果実酒を飲む。
そして、わたしを見つめた。
「もちろん。もちろんだよ」
「ありがとうございます」
わたしは、微笑んで果実酒を飲む。
オレンジの香りが、優しい。
殿下が、席を立った。
「アリシア、ありがとう。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
殿下が、室を出て行く。
わたしは、自分を少し、好きになれた。




