ジグルド先生
十月六日。
……目覚め最悪。
今日はいつもより、一段ときつい夢だった……。
いつものように、歯磨きをして、シャワーを浴びて、化粧をした。
カーテンを全開にして、窓を開けて、秋の空気を吸い込む。
「はぁあああああああ……」
溜め息とともに、吐き出した。
自宅待機処分!
どうして処分を受けないといけないんだよ! という憤りは口から出すわけにはいかない。
昨日、殿下があのことを宣言してから、わたしはすぐに護衛の任を解かれてしまい、自宅待機と言われてしまった。
これをわたしに伝えた連隊長の、なんとも言えない表情を、今でも鮮明に思い出すことができる。
殿下がわたしのために手を尽くしてくれたみたいだけど、皇帝陛下と皇妃陛下のお二人がそろって命じたとあれば、抗えなかったみたいです……。
すぐに、元に戻すからと殿下は仰ってくださったけど……。
宿舎の部屋を出ようと、ドアを開けると、パトリックと目があった。
「……おはよ」
「おはよう、駄目だ。出てはいかん」
「……食堂で、朝ごはんを食べたいんだけど」
「運んでこよう。おい!」
パトリックの指示で、彼の部下が離れて行った。
「……ごめんね。こんな仕事させて」
「本当に! ……で、いつからだ?」
「いつから?」
「殿下との関係は?」
「関係はない!」
わたしはお断りしていたんだよぉおおおおおおお!
て言いたいのですが、それは殿下に恥をかかせることになるので言えない。
「わたしだって、いきなり言われてびっくりしてる側」
「……思えば、殿下が市中に出かけたいと言ったの――」
「それ以上はやめて。もうこの話はやめて」
パトリックの部下が、バスケットを抱えて戻って来た。
「お待たせしました!」
「どうも……」
受け取り、振り向く。
料理などできないわたしは、宿舎でご飯を食べる毎日なので、部屋の食卓はいわば、読書机と化している。今も、たくさんの本が積み重なり、バスケットの置場がない。
バスケットを右手に持ち、左手で本を端に寄せたり積み重ねて隙間を作った。
椅子に腰かけ、バスケットの中身を見つめる。
ハムと季節野菜を挟んだパンと、温かいスープが入った陶器……器がない。
深皿はないか? と部屋の炊事場を探すも、炊事場には魔導書や美術書、歴史書が大量に……皿なんて、この部屋にはなかったことにした。
陶器の蓋を開き、フウフウとしながら少しずつ飲む……美味しい! キャベツの甘味がよく出ている! パンをもぐもぐとしていると、外から声が聞こえてきた。
「今はお会いできませぬ」
パトリックの声。
誰か、訪ねて来た?
「友人を、訪ねて来ただけだ」
この声!
わたしはバスケットにパンを置いて、ドアへと駆けつけ、勢いよく開く。
「おお、アリシア。お前、どうして謹慎くらっとる?」
「先生!」
白狼の剣聖、ジグルド・ハルヴァルド先生だ!
「お久しぶりです。どうぞ、お入りになってください」
「駄目だ。アリシアは今、自宅待機処分なのだ。処分なのだぞ?」
パトリックは許可をくれない。
だけど、彼は部下たちにこう続けた。
「しかし、実力で排除するのは不可能ゆえ、我々は脅されたことにする。よいな?」
部下たちが、乱れなく敬礼した。
「じゃ、お邪魔するぞ」
ジグルド先生が部屋に入り、笑った。
「おいおい、相変わらず本ばっかりあるな。もうちょっと色気があるものはないか?」
「残念ながら、相変わらずでして……」
「お、この魔導書は、凍王降臨の原書じゃないか! お前、どこで見つけた?」
「五年前、オークトー大墳墓の最下層にお役目で入った時に。不死の王ディランタルが、降参する証にこれを譲ってくれたんですよ」
「いいな、これ譲ってくれ」
「駄目です」
「ケチ」
「大事な魔導書ですから」
「その大事な魔導書を、無造作に積み上げとるじゃないか」
「このほうが、どこに何があるか、把握しやすいのです」
先生は笑いながら、椅子の上に置かれた本をどかして、そこに腰掛けた。
わたしも、自分の椅子に戻る。
「飯か? 邪魔したな」
「いえ、で、どうしたんです? 五ヵ国半島のほうに行かれたと聞いてましたけど」
「うん……死者の島に渡って、いろいろと調査をしていたが、契約期間が終わってな……で、お前はどうした?」
「実はですね……」
わたしは、殿下から求婚されて今に至るまでを、説明した。
ジグルド先生は、笑ったり、嘆いたりしながら話を聞いてくれて、わたしが話し終えたところで、わたしの朝食のスープへ手を伸ばす。
「もらう……うまいな、これ」
「どうぞ」
「そうか……レオのやつ、お前をな……あいつ、女を見る目あるな」
「……おだてても、何も出ませんよ。それに、いくら元弟子とはいえ、言葉遣いにはご注意ください」
「よちよち歩きの頃から面倒みてたんだ。かまわんだろ」
かまうと思いますけど……。
「で、お前は受ければいいのに、受けないのか?」
な!
なんとまぁ! いい加減なことを!
「先生! それは無責任ですよ! 殿下にも、国家にも」
「国家のことなど、今の俺にはどうでもいいが、お前のことは愛弟子だから気にかける。レオのこと、嫌いなのか?」
「……こたえられるわけがないですよ」
とても小さな声で答えた……。
「別に、他に誰もいない。俺は誰にも言わん。言ってみろ。本当はどうなんだ? レオが皇太子だからとか、そういうどうでもいいことは言い訳に使うなよ? レオという人間は、好きか? 嫌いか?」
「……乱暴な二択です」
「二択しかなかろうが」
「ぐ……」
好きか、嫌いか?
いや、好きにきまっています。
でも、好きの種類が違うんです。
尊敬できるすばらしい主君。
嫌いなわけがない。
「好き、です。二択であれば」
「そうだろうな」
そうだろうな?
わたしが、パンを掴んだまま先生を見つめていると、先生は苦笑いをする。
「お前、レオのことを話す時、嬉しそうな顔だから」
ばばばばば馬鹿なんじゃない!?
そんなわけないでしょうがぁあああ!
「せせせせ先生! からかうにも限度があります!」
「いや、本当だ。六十五年も生きてきて、二代にわたって皇帝なんかに仕えていたから、大勢と会って……いろんなものを見てきた。人の良いところ、悪いところ……いろんな表情を、だ。お前がレオのことを話す時、騎士の顔じゃなくなる」
「そ……そんなことは……」
「なんだ? お前、自分で気づいてないんか?」
「んなわけありません。不敬の極みです。わたしなんかが殿下を……その……」
「否定してたんだな? 必死に」
「……」
否定……してたわけじゃない。
わたしなんかが、ご迷惑をかけてはいけないと思って、殿下のお気持ちは一時的な、ちょっとした勘違いのようなものに決まっているから、勝手に舞い上がって、その気になるような愚かさは、若い子だから許されるわけであって、わたしにはそんなこと許されない。
それに、うっかりその気になって、殿下の優しさに図々しくのっかって、いざとなった時、やっぱりやめようと言われたら……。
いや、きっと言われる。
言われるんだ。
「先生……わたしには無理ですよ」
「ははは……ま、アリシアの嬉しそうな顔を見れてよかった」
「……先生が来てくれたから、嬉しかったんですよ」
「ま、そういうことにしとこう。今晩、空いとるよな? こんな状況なら」
「……残念ながら、空いています」
「よし、カイルとエライザを呼んで、飯を食おう。勝手に来るから」
……。
先生は立ち上がると、わたしの頭をガシガシと撫でる。
わたしは、逃げようとしたけど、ひさしぶりの先生の手に、動けなかった。
「アリシア、頑張りすぎるなよ。じゃ、夜に来る」
先生が、部屋を出て行こうとして、一度だけ振り向いた。
わたしは、視線を逸らした。
ジグルド先生は、何も言わずに出て行った。
わたしは、困っていた。
殿下のことを、話す時の表情……自分ではわからない。
だけど、ジグルド先生は、こんな嘘や冗談を言う人ではない。
……わたしは、殿下のことを、嬉しそうに話して? いた?
痛い。
胸が、痛かった。
-・- アリシア -・-
晩御飯。
カイルとエライザが、外宮の上級官僚向け食堂で買いこんだ料理を持参してくれた。
ジグルド先生と二人が、わたしを訪ねると、パトリックたちは「休憩してきます」と言って離れていく。
「この部屋、なに?」
エライザ……言わないでよぉ。
「お前、もうちょっと生活をしろよ、ここで」
カイル……言わないでほしい。
「ま、最強位と引き換えに、こいつはいろいろと失っとるわけだ」
ジグルド先生、言わないでくださいぃ。
い……一応! 皆が来るっていうから、食卓の上から本をどかして、炊事場の上のほうに移動させたんですから!
「片付け、たまにはしなさいよ? いい?」
エライザ……お休みの日に、少しずつしていても、元に戻ってるんですぅ……。
食卓に、牛頬肉の赤ワイン煮込みと、季節野菜のサラダが並ぶ。
ジグルド先生が、バルニア産の赤ワインを差し入れてくれた。
四人で、食事を囲む。
先生が、カイルを見て口を開いた。
「で、宮のほうはどうなんだ? こいつのことは」
こいつとは、わたしのことで間違いない……。
カイルは、にんまりとして答える……。
「大変ですよ。殿下を戦乙女がたらしこんだと、それはもう大騒ぎです」
抗議をする権利を主張したい。
カイルが、わたしに微笑む。
「安心しろ。殿下がちゃんと火消しをしてくださっているぞ。殿下が一方的に望んでいることで、アリシアの気持ちなど考えていなかったと。彼女も驚いたに違いないと、皇帝陛下ご夫妻や四公を前に説明なさっている」
殿下!
ああ……忠誠を誓うにふさわしい御方です!
エライザが、少し怒った表情で言う。
「当たり前よ。この件は、殿下が悪いもの。アリシアが困っていることを知りながら、外交の場であっさりと言っちゃったんだから」
「殿下は悪くないの、エライザ。あの時は、お妃様が――」
「あんたは黙ってなさい」
「はい」
エライザに叱られて、牛頬肉を口に……美味しい!
ほろりと肉がほぐれて……赤ワインを飲むと、すばらしく合います!
ジグルド先生が、わたしを見て微笑む。
「ま、明日か明後日には、自宅待機は解かれるだろ。だが、その後、どうなるか、だ」
……ですよね?
先生が、カイルを見た。
「カイル、こいつが異動させられそうな先、予想はつくか?」
「……まぁ、皇宮からは出されるでしょうね。地方の警備連隊の連隊長とか、そういうところじゃないでしょうか?」
「それは、おもしろうないの」
おもしろがってんじゃない!
抗議しようとしたけど、ジグルド先生に見つめられて口を閉じた。
「お前だって、レオの近くにいたいだろ?」
カイルとエライザが、瞬きをして、わたしを見る。
わたしは、答えることができない。
「これは、俺の独り言だ」
ジグルド先生は、赤ワインを飲み、視線を手元に落とした。
「アリシアは、レオが好きだ」
……わたしの気持ちを勝手に話している。
本人に確認もせず……。
「ほら、反論せんだろ? できんからだ」
「本当に?」
エライザが、目を輝かせている……。
「お前も殿下を?」
カイルが、驚いている。
「いや、ジグルド先生に、好きか嫌いかと聞かれて、それは好きに決まっているじゃない? すばらしい御方だもの」
胸が、ちくりとする。
心臓が、きゅーとする感覚。
「こいつは、こうやって誤魔化すんだ」
ジグルド先生はそう言って、赤ワインを飲んだ。
「アリシア、お願い。わたしを見て」
エライザの言葉に、わたしは視線を逸らした。
「おい、やめろよ。だいたい、お前は反対してたじゃないかよ」
「反対よ。当たり前でしょ? でも、アリシアの気持ちが迷惑じゃないなら、話は違うわよ」
エライザが、わたしの手を握る。
「アリシア、わたしは何があってもあんたの味方。だから、教えて。どうしたい?」
「わたしは……」
言葉が出てこない。
喉のところで、何かがひっかかっている感覚に顔をしかめた。
言いたくない。
でも、話してしまいたい自分を認めた。
この三人なら、笑ったりしない。
この人たちなら、馬鹿にしたりしない。
わたしは、泣きそうな顔を隠せないまま、顔をあげた。
「わたしは、もう……好きな人に拒否をされたくないの」
これが、ずっと隠してきた、わたしの本心だった。
――しばらく泣いた。
泣き終えて、溜め息をつく。
ジグルド先生が、手を伸ばすと、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
「アリシア、楽になったか?」
「……はい」
ジグルド先生は、優しい笑みでわたしを見た。
カイルが、口を開く。
「やっぱり、お前を傷つけた元彼を連れて来い。ジグルド卿にこらしめてもらおう」
「おい、自分でやらんか」
「俺は勝てないそうです」
「情けない」
二人の会話に、自然と笑みをこぼした。
わたしの手をずっと握ってくれていたエライザが、わたしの髪を撫でた。
「アリシア、気づいてあげられなくてごめんね? 友達だって言うくせに、アリシアが一人で困っていたのに気づいてあげられなくて……ごめんなさい」
「エライザは悪くないよ、謝らないでよ」
「自分にムカつくの。あと、このクソ夫にも」
「おい、なんで俺にムカつくんだよ」
「あんたが、無責任にくっつけとか言ってたのがムカつくの!」
「悪かったよ、すまん。でも、俺もアリシアがそんなに悩んでいたとわかっていたら、おもしろがったりしなかったさ」
おもしろがるな!
「カイル、ぶん殴る」
「だからごめんて」
カイルが怖がるフリをして、わたしたちは笑い声を重ねた。
ジグルド先生が、部屋の中を見渡す。
その目は、さきほどの優しい目ではなく、何かを読み取ろうとする目だ。
なに?
わたし、もう隠し事、してませんけど……。
「でも、アリシアも、殿下のこと、好きなのね?」
エライザに、肘でつつかれた。
……あの御方を、嫌いだっていう人がいたら、会ってみたいと思うんだけど?
口を開こうとするも、エライザに言われる。
「殿下に、嫌われたくない……でしょ?」
「……」
うーん。
うん。
そう……だ。
そうです。
「そうです……」
エライザが、わたしを抱きしめる。
「ちょっと、苦しい」
わたしは抗議の声をあげた。
「しかし、自宅待機が解けた後、どうなりますかねぇ? ねぇ? ジグルド卿?」
ジグルド先生は、わたしの部屋をじっと見ていたのだけど、カイルに声をかけられて、表情を笑みに変えた。
「お? おお……そうだな」
何?
先生は、何を見てたんだろう?




