24話 カチ、カチ、カチ、コッ!
肘から先を失ったカノンの腕が、宙を掻いた。壁に突き刺さった斧の柄が、まだ細かく震えている。
「お前、なんで……どうやってここまで来たんだよ」
「今言ったろ!鳥ぶっ叩いて、ひとっ飛びって!」
トルガは、窓から雪崩れ込んできたコッコの群れを親指で指した。
「こいつらでな。来たぜ!」
「……待てと、言ったはずだ」
「待ったぞ!ずっと待った!で、待ちくたびれた!!」
マハトはそれ以上何も言わず、膝から手を離して立ち上がった。トルガの横に並び、杖を構え直す。その背中が、さっきまでより少しだけ軽そうに見えた。
――あいつ、ちょっと嬉しそうだ。
カノンの肘の断面へ、床に散らばった歯車が吸い寄せられていく。ガチ、ガチと鉄が噛み合い、腕がまた伸び始めた。床を貫くケーブルが、どくん、と脈を打つ。
「させっかよ!」
トルガが壁から斧を引き抜き、そのまま床を蹴った。大男の体が、振りかぶった斧ごとカノンの胸へ飛び込んでいく。刃が、幾重にも重なった輪の外側の一枚へ、深々と食い込んだ。
輪の刻み目から、光がこぼれた。
塔の暗がりいっぱいに、星が散る。星は後ろへ後ろへと流れていき、その真ん中を、白い尾を引いたものが落ちていく。落ちた先は、暗い水だった。砕けた光の粒が水の中へ散って、溶けていく。輪だけがゆっくりと底へ沈んでいき、そこで、ぷつりと途切れた。
『損傷を、確認。……修復、します』
――今の、何だ。
答えを探すより先に、斧ごと弾き飛ばされたトルガが、作業台を二つなぎ倒して転がってきた。
「いってぇ……なんだ今の、星か!?」
輪に食い込んでいた斧が、押し出されるように抜け落ちた。刃の跡に鉄が寄り集まって、傷が塞がっていく。どくん、とケーブルがまた脈を打った。
「……また、小さくなった」
作業台の陰で、エマが両手で胸を押さえていた。
どくん。カノンが組み直るたびに、ケーブルが鳴る。その間隔に、覚えがあった。輪に触れたとき、胸の奥から何かを少しずつ絞り上げられていった、あの間隔と同じだ。
マハトが剣で脚の継ぎ目を払い、トルガがもう一度斧を振りかぶる。
――……もしかして。
「待て、壊すな!」
「はぁ!?壊さねぇでどうすんだよ!」
「壊すたびに、下から吸ってんだよ!このケーブルの先、巨人の胸だろ!」
カノンの拳が落ちてくる。トルガが斧の柄でそれを受け止め、歯を食いしばった。ギギギ、と柄がしなる。
「早く説明しろよ!ずっと受け身だと耐えられねぇぇぞ!」
解人は、自分の右腕を掴んだ。袖の内側が、まだ熱い。
「さっき輪に触ったとき、見えたんだ。眼鏡の男が巨人に手を差し出して、力を貸してくれって頼んでた。……あの顔、噴水の像と同じだった。ヴィクターだよ。それから、胸の奥の光が、無理やり剥がされてた。上へ、少しずつ絞り上げられて、声も今にも消えそうで……。こいつが組み直すたびに、それが巨人から吸い上げられてる気がするんだ。このまま壊し続けたら、先に死ぬのは巨人の方だ…。……なんでか分かんないけど、あの巨人は、助けた方がいい気がするんだ」
「……あの脈の動きは、それか」
マハトの目が、床のケーブルを追って下へ落ちた。
「それに、胸のとこで腕が痛かったの、覚えてるだろ。あそこに何かあるんだよ。直接触れば、きっともっと見える」
「欠片の手がかり、か」
ギチ、ギチ、ギチ。斧の柄に食い込んだ鉄の指が、関節を軋ませながら少しずつ押し込んでくる。トルガの足が、床の上で半歩ずれた。
「よく分かんねぇけど、要はそのケーブルをぶった切りゃいいんだな!」
「あの太さは、斧では断てんぞ」
断てないなら、吹っ飛ばせばいい。解人の目が、棚へ向いた。塔に入ったとき、マハトが「触るな。火薬だ」と手を払った棚だ。並んだ筒の端に、手のひらほどの四角い箱がいくつか置いてある。
一つ掴んでみると、プラスチックみたいにつるりとして、思ったより軽い。面いっぱいに、刻み目のついた丸いつまみがついていた。回したら、たぶん爆発する。……たぶん。
――そうだ。あいつに聞けばいい。
窓際でうろうろしていたコッコを一羽捕まえて、頭を叩いた。石の目がちかちかと瞬く。
「おい、これ何だ」
「岩を砕く箱である。コッ」
二羽目。
「つまみを回せば、戻りきったときに……カチ、カチ、カチ、コッ!」
「うるせぇ!」
バンッ、と二羽目をはたき落として、三羽目。
「近くにいる者も、弾ける。コッ」
「これだ!」
その横で、マハトが黙って四羽目の頭を叩いた。
「随行の者に、命令権はない。コッ」
マハトの手が、宙で止まった。
――まだ、おまけ扱いだった。
「トルガ、そいつを穴から離せ!」
「おうよ!」
トルガが肩から体当たりし、ゴリゴリと床を削りながらカノンを塔の奥へ押し込んでいく。カノンの胸の輪から床の穴まで、ケーブルがぴんと張った。解人はその下をくぐって穴の縁へ滑り込み、ケーブルの根元と床のあいだに箱を押し込んで、つまみをぐるりと回した。カチ、カチ、カチ、と箱が鳴り始める。
「伏せろ!」
作業台の陰へ転がり込むと、トルガもカノンを突き飛ばして駆け戻り、エマの上に覆いかぶさった。
ドンッ。
床が跳ね、作業台の上の工具が四方に勢いよく飛んでいった。煙の向こうで、ケーブルが根元からちぎれて火花を散らしている。カノンの胸の光が、ふっと暗くなった。
「よしっ――」
言い終わる前に、ちぎれた二つの断面が、床を引きずられるように寄っていった。棚の部品を吸い寄せたときと、同じ動きだった。線と線が絡み合い、数えるほどの間もなく、ケーブルは元どおり一本につながっていた。
『供給を、再開します』
「……くっつけやがった」
マハトは返事をせず、塔の入り口の方を見ていた。扉の近くまで飛ばされた工具だけが、床を擦りながら、のろのろと這ってくる。
「……あそこのは、遅いな。離れているものほど……」
「そうか!離れれば離れるほど、あいつの力が届きにくくなるのか。だったらいっそ、ケーブルの先をぶっ壊してやる!」
言ってから、自分で唾を飲み込んだ。いちばん下。巨人の胸だ。
「俺が行く。胸に触れるのは、俺だけだろ」
「本当なら、私が行く。と言いたいが……」
マハトは、杖を握る手に力を込めた。少し悔しそうにも見えた。
「……理に触れねばならんなら、私では役に立たん」
「エマは俺が見てる!さっさと行ってこい、解人!」
「……解人兄ちゃん、急いで。もう、ほとんど聞こえない」
解人は五羽目のコッコの頭を叩いた。
「上の者、命令を。コッ」
「下まで連れて行け。このケーブルのいちばん先まで、全速でだ!」
「承知。整列。コッ」
「コッ!コッ!コッ!」
叩いた五羽が同時に鳴き、飛び立ち、翼の骨を互い違いに噛み合わせていく。できあがった鉄の筏は、十羽のときの半分しかない。風呂の蓋くらいだ。
組み直ったカノンの腕が、解人へ伸びてくる。マハトが杖を床へ突き立てた。その背で曼荼羅が白く光り、広がった円の中で、鉄の指がわずかに鈍る。
箱を一つ懐に押し込んで筏へ飛び乗ると、板は割れた高窓へ向かって一気に舞い上がった。下から、マハトの声が追いかけてくる。
「落ちるな」
「分かってるって!」
窓を抜けた途端、風が顔を殴った。筏は塔の壁を擦るように下り、街の縁を越え、ケーブルに沿って真っ逆さまに降りていく。降りるというより、落ちていた。膝の下で五羽ぶんの骨組みが軋み、耳の横で風が鳴りっぱなしになっている。
――やばい。ちょっと、楽しい。
そんな場合じゃないのは分かっている。それでも、膝の震えと一緒に、胸の奥で何かが跳ねていた。
下るほど、袖の内側を引っ掻く痛みが強くなっていく。雲の切れ間から、巨人の体がせり上がってきた。肩が壁になり、胸が崖になる。皺の溝に咲いた白い花が、ここにも点々と光っていた。その胸の真ん中に、ケーブルの先が、黒ずんだ金具ごと深々と打ち込まれている。
筏が金具の手前で止まった。解人はケーブルの上へ飛び移り、四つん這いで先まで這った。近くで見ると、金具はケーブルの先をがっちりと咥え込んでいて、その縁には、ペットボトルのキャップみたいなギザギザの溝が、ぐるりと並んでいた。溝の一本一本が、人ひとり潜り込めるほど深い。
金具と肌の継ぎ目に、箱を押し込む。隠れるなら、あの溝しかない。
歯を食いしばって、つまみをぐるりと回した。カチ、カチ、カチ、と箱が鳴り始める。
――近くにいる者も、弾ける。コッ。
さっきは笑えた一言が、今は少しも笑えない。
金具の上を這い戻り、溝の一本に体を押し込んだ。しがみついた鉄越しに、もっと深いところから音が伝わってくる。どくん。遠くて、弱い。次の一回が、なかなか来ない。……どくん。
――まだ、生きてる。
カチ、カチ……カチ。
音が、止んだ。
五つ数えても、十数えても、何も起きない。溝からそっと顔を出すと、箱は継ぎ目に挟まったまま黙り込んでいた。
「嘘だろ……」
持ってきたのは、あれ一個きりだ。解人は溝から這い出し、箱から目を離せないまま、金具の上を這い降りた。横風が、胸の方へ体を押しつけてくる。しがみついていないと、持っていかれそうだ。
つまみが、刻み目の途中で斜めに引っかかっていた。背後で、ケーブルが、どくん、と脈を打つ。今も、吸い上げられている。
唇を噛んで、つまみを指先で弾いた。
カチカチカチカチカチ。
「――やべっ」
金具を這い上がり、さっきの溝へ飛び込む。たった数歩が、やけに遠い。肩まで隠れた瞬間――
ドンッ。
金具ごと、ケーブルが跳ね上がった。体が溝から引き剥がされ、空と巨人の胸が、ぐるりと入れ替わる。ゴウッ、と熱い風が背中を焼き、破片が頬を切った。耳は、キーンと鳴りっぱなしだ。下には、何もない。
ビュオオッ。横風が、宙で回る体を胸の方へさらっていく。めくれ上がった金具の下で、割れた肌の奥が白く光っていた。袖の内側で、腕がそっちへ引かれる。
「落ちるなって……言われてんだよ……!」
解人は手を伸ばし、光る何かを掴んだ。指に、もうほとんど力が入らない。
掴んだ瞬間、右腕の内側が燃え上がる感覚が襲ってきた。肘から肩へ、焼けた鉄を押し当てられたような痛みが駆け上がる。叫ぶ間もなく、視界の端から白いものがなだれ込んできた。塔で見たときより、ずっと速く、ずっとはっきりと。
真っ先に見えたのは、暗い大雨の景色だった。




