22話 天へ登る者たち
『改めまして、ようこそ。ここは天にもっとも近き宮、グロリア・エクセルシス宮でございます』
カーテンの奥の人影が、言葉に合わせて両腕をゆるやかに広げた。それを合図にしたように、広間の壁に嵌まった宝石が、一つ、また一つと光を落としていく。暗くなった広間の真ん中へ、色のついた光が寄り集まって、宙に絵を描き始めた。文化祭の前に体育館で見た、プロジェクターの映像に似ている。ただ、こっちは幕もないのに浮いていた。
光が描き出したのは、小さな村だった。藁の屋根が肩を寄せ合い、痩せた畑がその周りを囲んでいる。泥だらけの子どもたちが、裸足で畦道を走り回っていた。
『我らは、もとは地上の片隅で暮らす、小さな村の者でした。地図にも載らぬほどの、貧しい村です』
畑の向こうで、煙が上がった。旗を掲げた兵の列が村の脇を通り過ぎ、それが去ると、別の旗の列がやってきて、今度は畑を踏み荒らしていく。
『遠い国同士の争いでした。我らには、何の関わりもない争いです。それなのに、どちらの兵も、我らの麦を奪い、我らの家を焼きました』
声に熱がこもる。
『酷いでしょう?我らは、何もしていなかったのに』
「……ひどい」
「……惨いな」
エマが解人の服の裾を握ったまま呟き、マハトも低く続けた。
光の村が崩れ、焚き火の並ぶ野営地に変わった。場所を移るたびに、火の数が一つずつ減っていく。布にくるまれた小さなものを、大人たちが黙って土に埋めていた。
『我らは村を捨て、あちこちで夜を明かしながら、生き延びました。飢えと病で、たくさん死にました。そのたびに、憎しみだけが増えていったのです。……下の者たちは、我らを蟻のように踏みつけた。ならば、報いを受けるべきでしょう?』
丁寧な声が、最後の一言でだけ、わずかに低くなった。
野営地の光が消え、暗い洞窟が浮かび上がる。奥の岩肌に、巨大な何かが半ば埋もれていた。石とも金属ともつかない輪が幾重にも重なり、その中心で、鈍い光がゆっくりと脈を打っている。
『そして我らは、見つけたのです。古き者たちが遺した、天へ昇るための心臓を。我らはそれを、カノンと名づけました』
ゴゴゴゴゴ――。
洞窟が揺れ、地面が裂け、ゆっくりと持ち上がっていく。森も、川の一部も、野営の跡も、土地ごと空へ。裂け目の向こうで、取り残された人々が小さくなっていった。
「そんな装置が、この世界にあるのかよ……、信じられねぇ……」
『誰が触れたのかも、もう分かりません。偶然でした。村の半分は、地に残りました。……地に残った同胞も、後に探しました。ですが、どこにも見つかりませんでした』
「……ほんとに、探したの?」
エマの小さな声に、答えは返ってこなかった。
空に浮かんだ土地の上に、白い石の壁が積み上がっていく。塔が伸び、その先に宝石が灯る。次の光景では、その街の縁から、黒い影がいくつも地上へ降りていった。影が通り過ぎた後の町は燃え、戻ってくる影の脚には、冠や杯や宝石の箱が掴まれている。
『天は我らに、力を与えてくださいました。ならば、奪われたものを取り返すのは、当然のことでしょう?我らが受けた痛みに比べれば、ささやかな報いです』
「取り返すって……あれ、全然関係ない町だろ。それって、ただの――」
言いかけて、解人は口を閉じた。エマが、壁に嵌まった青い石を見上げていた。
「……冠が、多すぎると思っていた」
マハトが、低く言った。杖を握る指の節が、白くなっている。
『やがて我らは、奪うことにも飽きました。……いいえ、気づいたのです。我らは奪う者などではない。天に選ばれた、高貴な民なのだと』
光の中で、白い衣の人々が、宝石の塔の下で杯を掲げていた。誰もが笑っている。磨き上げられた石畳を歩く足は、どれも、地面を踏んだことなど一度もないみたいに軽かった。今は誰も住んでいない、あの通りに、こんなにも人がいたのだ。
『そしてある日、民はみな、さらなる天を目指しました』
光の中の人々が、揃って空を見上げる。家々の扉に、花を挿した輪が掛けられていった。
――あの花輪だ。
ドゴォーーーン!
光の空の高みで、何かが白く弾けた。広間の床まで震えた気がして、解人は思わず身構えた。
『……不運な事故でした。誰ひとり、戻りませんでした』
「事故って……何が起きたんだよ。空の上で」
「……やだ。こんなの、見たくない」
光が、そこでふっと途切れた。
どの家の扉にも掛かっていた、花の抜け落ちた輪。祝って出ていった日のまま、何十年も、外す者がいなかったのだ。
『以来、王家の血を引く王の息子、この私ヴィクター・レーヴが、この栄光の都をお守りしております』
カーテンの奥で、人影の手が胸に当てられた。言葉が終わってから、一拍遅れて。
「待てよ」
解人は一歩前へ出た。
「あの巨人は何なんだよ。胸に刺さってる管は、あんたらがやったのか!」
『この都は、今も変わらず輝いております。皆様が、ご覧になったとおりに』
答えは返ってこない。巨人という言葉は、出てこなかった。人影の手が、また遅れて動く。今度は、言葉が終わってから二拍も後だった。
マハトが、カーテンを見据えたまま目を細めた。
『さて。ここまでお越しくださった選ばれし皆様に、ささやかなお礼を差し上げましょう。我らが集めた宝は、すべて東の宝物塔に納めてございます』
「その宝、全部どっかの町から奪ったやつだろ!そんな物、受け取れるわけねぇだろ!」
『どうぞ、ご遠慮なく。皆様は、我々と同じ選ばれし者なのですから…』
声がぴたりと止まった。カーテンの奥の手は、それでもまだ、ゆっくりと宙をかき回している。
「出てきて、顔見せろ!!」
解人は大股で玉座へ近づき、深紅の布を掴んで、横へ引いた。
椅子に座っていたのは、木と金属でできた人形だった。肩や肘には金属の継ぎ目がむき出しになっていて、その上から、白衣のような上着が窮屈そうに着せられている。塗料で描かれた顔に、本物の丸い眼鏡。鼻の下には、左右へぴょんと跳ねた髭が貼りついていた。噴水の銅像と、同じ顔をしていた。
「…え、人形?これが動いてただけ……」
宙をかき回していた腕が、きしりと音を立てて、ようやく膝の上へ下りた。
「この声のやつは、どこにいる。……まだ、生きているのか」
「……この人、もういないのに。まだ、なにかしたいみたい」
マハトは人形から目を離し、東の窓の外へ顔を向けた。白い塔の並ぶ先で、何かが低く唸り続けていた。
「解人。……この先は、進んだ方が良さそうだな。理の欠片の手がかりも、あるかもしれん」




