21話 選ばれし者と、王宮の主
止まった首は、それきり動かなかった。
肩の箱からは、ビートだけが同じ速さで流れ続けている。腹に響く低い音が四つ、五つと過ぎても、ドロップは嘴を下げたまま、石の目で解人を見ていた。噴水の水音が、やけに大きく聞こえる。
ばきん、と首の付け根で金具が鳴った。
「う〜た〜えーーーよーーーーーーー!!!!」
拍も数もない、怒りで割れた声だった。羽が一息に開き、埋め込まれた石がいっぺんに光る。解人が横へ跳ぶのと、嘴が落ちてくるのが同時だった。
ドガァンッ!
さっきまで立っていた場所で石畳が砕け、宝石の花びらが火花みたいに散らばる。
籠の中で、エマが両手で口を押さえた。悲鳴は指の隙間から少しだけ漏れて、すぐに止まった。
「解人!!」
転がりながら振り向くと、マハトが杖を石畳に突き立てていた。翻ったマントの背で、曼荼羅の模様が白く光る。光は杖の先から地面へ流れ、大人が三人、両手を広げて並んだほどの円になって広がった。
ズゥン――。
二撃目の嘴が、その円の中へ入った。
途端に遅くなり、水の底を進むように嘴がのろのろと空気を掻き分けてくる。ところが、円の外へはみ出した羽の先は、さっきと同じ速さでばたついている。遅いのは、円の中に入った部分だけだった。
――あの円の中だけか。
「長くはもたん。この図体だ」
マハトの額には、もう汗が浮いていた。杖を握る手が、細かく震えている。
ドロップが首を引いた。嘴が円の外へ抜けた瞬間に元の速さが戻り、首がばねのように跳ね上がる。マハトが杖を引き抜くと、白い円がふっと消えた。
「走れ!」
噴水の縁に沿って、二人で走った。背中で、羽と金具の音が追ってくる。
「あの円、もう一回作れるか?」
「ああ、できる。……が、次はさっきほどもたんぞ」
「じゃあ、俺があいつを円まで連れてくる。その間に、籠を何とかしてくれ」
「……お前は、いつもそういう役を選ぶな。自分を差し出すのが、お前の流儀か」
「元キャプテンなんだよ、野球部の。しんどい役は、キャプテンが取るもんだろ」
マハトは一瞬だけ解人を見て、何も言わずに籠の方へ走った。籠の真横に回り込み、もう一度杖を突き立てる。白い円が、籠ごと石畳を呑み込んだ。
ズゥン――。
解人は反対側から、ドロップの正面へ飛び出した。
「こっちだ、バカ鳥!」
「解人兄ちゃん、だめ……!」
両腕を大きく振ると、石の目がこちらを向いた。嘴が落ちてくる。解人は背を向けて走り、円の縁を蹴って、中へ転がり込んだ。追ってきた嘴が、円に入ったところで、ずぶりと沈むように遅くなる。
その横で、マハトが剣を抜いた。細い刃が二度、三度と光り、籠の格子が斜めに断ち切られていく。マハトは切り口に肩を入れ、格子を内側へ押し曲げた。
解人が呼ぶより先に、切り口から小さな手が突き出ていた。エマが、自分から手を伸ばしている。
「エマ!」
その手を掴んで、引きずり出す。エマは転がるように解人の胸へぶつかってきて、そのまましがみついた。
円の中で、ドロップの首がのろのろと下がってくる。嘴の先が、空になった籠のすぐ上まで来ていた。杖を握るマハトの膝が、がくりと落ちかける。
――今しかない。
解人はエマをマハトの後ろへ押しやり、二歩下がって助走をつけた。
「入っとけーーー!!」
跳び上がり、両足を揃えて突き出す。ドロップに、ドロップキック。
ドゴォッ!
頭が切り口から籠の中へ滑り込んだ直後、白い円が消えた。ドロップが首を引くが、内側へ曲がった格子が返しになって、もう抜けなかった。
「だして、だして、だして〜!なんで、なんで〜〜?」
籠ごと首を振り回して、ドロップが喚く。肩の箱のビートまで、めちゃくちゃな速さになっていた。
「うるさい鳥だな……」
解人は、石畳に落ちていた赤い布を拾い、籠の上からばさりとかぶせた。喚き声が、嘘みたいにぴたりと止んだ。布の下で、ビートだけが小さくこもっている。
マハトが、剣を持ったまま籠の前に立った。
「おい、もう静かになったって」
返事の代わりに、マハトは布の上から、剣をまっすぐ突き入れた。
金属の擦れる、嫌な音がした。布の下でビートが一度だけ跳ねて、それきり、何も聞こえなくなった。
「……そこまでしなくても、いいだろ」
「あれは、エマを『おいしそう』と言った。……二度と、あの子に近づけるわけにはいかん」
マハトは剣を引き抜き、刃についた黒い油を布の端で拭い始めた。その手が、途中で一度だけ止まった。
解人の後ろで、エマが「ひっ」と小さく息をのんだ。服の裾を掴む指に、力がこもる。解人は何も言い返せないまま、代わりにエマの頭へ手を置いた。
そのとき、街じゅうに放送が流れ始めた。
『ザ、ザザ……』
『ご来客の皆様。ようこそ。ここは、栄光都市グロリアでございます』
平らで、丁寧な声だった。どの塔の上からも、どの家の窓からも同じ声が流れて、少しずつずれながら重なっている。花畑で、ドロップの肩の箱から途中まで流れた、あの声だった。
『ここまでお越しになられたということは、皆様は選ばれし者。どうぞ、王宮へお越しくださいませ』
「……選ばれし者って…俺らのことか?」
「さあな。だが、招かれているなら都合がいい」
「都合?」
「エマは取り返した。……あとは、私たちがこの層へ来た本当の用だ」
「……理の欠片か」
「あの管が吸い上げた先が、この街だ。何かあるとすれば、あの奥だろう」
アーチをくぐり、大通りをまっすぐ進んだ。近づくにつれて、王宮は通りのどの建物よりも高く、白く、こちらへ覆いかぶさってくる。屋根の縁と窓枠は金で縁取られ、白い壁に、日を受けた金色の線を何本も引いていた。半分だけ開いた正面の扉の、閉じたままの片側には、子どもの背丈ほどもある赤い宝石が埋め込まれている。見上げると、その石の中に、自分たちの姿が小さく逆さまに映り込んでいた。
扉の隙間から、ひやりとした空気が流れ出ている。三人は、その隙間をくぐった。
中は、外よりもさらに眩しかった。床は顔が映るほど磨かれた石で、高い天井には、空へ昇っていく人々の姿が、一面の宝石で描かれている。柱は一本一本が翼を広げた人の彫刻になっていて、その羽根の一枚一枚にまで、赤や緑の石が嵌め込まれていた。壁際には金の器や冠、細工の細かい剣が数えきれないほど並び、そのどれにも埃一つ積もっていない。そして、やはりどこにも人はいなかった。
「こんなに宝石、どこから取ってきたんだよ……」
声が、高い天井に吸い込まれていく。
エマが、壁に嵌まった青い石の前で足を止めた。
「……村の光石と、おんなじ色」
解人は思わず、胸元に下げたリナの光石を服の上から押さえた。指の下の石と、壁の石は、同じ青をしていた。マハトは何も言わず、壁際に並んだ冠を、一つずつ目でなぞっている。
広間のいちばん奥に、玉座があった。その手前に、天井から床まで届く深紅のカーテンが下がっている。布の向こうに、椅子に座った人影が透けて見えた。
「……誰か、いる」
解人が一歩踏み出したとき、カーテンの奥の人影が、ゆっくりと右手を上げた。
『ようこそ、選ばれし高貴な皆様』
さっきの放送とは違う、男の声だった。年を重ねた、低く落ち着いた声。人影の手が言葉に合わせて、もてなすように開かれる。
『初めまして。私は天に選ばれし王家の血を引き、この都の頭脳を担う者、ヴィクター・レーヴ・グロリアと申します』
「ヴィクター……噴水の像の。まだ生きているのか」
「・・・・・」
マハトは黙ったまま、カーテンの奥の声に耳を澄ませている。
その声は丁寧だった。言葉遣いも抑揚も、上等な客をもてなす人間のものだ。それなのに、語尾がいちいち、こちらの脳裏に引っかかる。お辞儀の形はしているのに、見下ろされているのがはっきり分かった。
「あんたが、エマを攫わせたのか」
『長旅で、さぞお疲れのことでしょう。地べたの道は、さぞ汚れていたことでしょう』
「おい、聞いてんのか!答えろよ!!」
「解人兄ちゃん、なんか怖いよ…」
『では、お聞かせしましょう。蔑まれた我らが罪を背負い、栄光を掴むまでの物語を』
カーテンの奥の人影は、解人の問いには一つも答えないまま、淡々と語り始めた。




