17話 四人の韻は、三人の余韻
首が痛くなるまで、四人は見上げていた。
「……なあ、マハト。あれ、分かるか?」
「分からんな」
「分からんって、お前、いろんな世界旅してるんじゃないのかよ」
「巨人が自分で刺したものではないな。それだけは言える」
マハトはケーブルの上を目で辿っていた。胸から真っ直ぐ、雲の中へ。
「上から来ている。刺した側は、上だ」
「上に、誰がいるんだよ」
トルガが言った。誰も答えられない。
「外せねぇのか、あれ」
「届く高さではないな」
言われるまでもなかった。胸までの高さは、エマの家を何十軒積んでも足りない。ケーブルは下から見ても継ぎ目が一つもなく、表面が同じ角度で鈍く光っている。この世界で見た何よりも、解人の知っている工場の機械に近かった。
機械に近いものは、もう一つあった。腰の布の裾から、赤茶けたものが一本、地面近くまで垂れている。鎖だ。輪の一つひとつが、人がくぐれるほど大きい。布に絡まったまま、巨人が息をするたび、ゆっくり揺れていた。
解人はもう一度、刺さっている場所を見た。周りの肌だけ、色が違う。指に棘が刺さったとき、周りが赤くなるのと同じだ。
「……痛くないのか、あれ」
「ノアム、ずっと苦しそうって言ったでしょ」
エマが解人の手を握ったまま、さらっと言った。
「……あれだよ」
村で聞いたときは、完全に夢の話だと思っていた。
上の方で、何かがピカっと光った。雲のすぐ下、ケーブルの途中だ。目を刺す光に、解人は顔をしかめる。まばたきをして、もう一度見ると、光は一つではなかった。何かが集まって、動いている。ケーブルに巻きつくように、ぐるりと旋回しながら降りてくる。
音が先に届いた。
ズン、ズン、と腹に響く低い音。その上で、何かを叩く高い音が、同じ間隔で刻まれている。
――ビートじゃねぇか。
解人はその音を知っていた。駅前で、誰かのスマホから漏れていた音だ。知っているから、余計に分からない。異世界の、巨人の足元で聞く音ではない。
「なんだこの音……太鼓か?」
トルガが斧を握り直した。マハトは杖を持ったまま動かない。エマだけが、口を開けて光をじっと見ていた。解人はその手を引いて、自分の後ろへ回す。
光は、大きな鳥だった。
降りてくるにつれて鳥の形が分かる。広げた羽の影が、四人をまとめて覆った。羽の一枚一枚に色のついた石が埋め込まれ、日を受けていっせいに光る。石の隙間から覗いているのは、工事現場の足場にある鉄の棒を組んだ骨組みだった。関節ごとに鋲で留められ、束ねた針金が首から胴へ伸びている。
肩に、四角い箱が乗っている。ビート音はそこから出ていた。
鳥が嘴を大きく開けて、歌った。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ」
音に合わせて、区切りながら。
「よっつ。ひとつ、もらって、みっつ」
「……なんて言ってる?」
「知らねぇよ」
鳥は、すぐには降りなかった。四人の上を一周、二周。そのたびに羽の影が花畑を横切り、石の光が回る。
降りる直前、鳥が羽を打った。風が来て、その後ろで金具の擦れる音が一斉に鳴る。花畑が倒れ、解人は腕で顔を覆った。着地そのものは、意外と静かだった。花を潰しながら太い脚が降り、羽が畳まれる。畳んだ途端、石の光が消えた。残ったのは、目に嵌まった二つの石だけだ。
立つと、トルガより頭三つほど高い。頭は身体に比べて大きく、細長い嘴が突き出している。その頭が、音に合わせて、前へ、後ろへ、小刻みに揺れていた。太い足も、同じ間隔で花を踏んでいる。
「ウルセェ!!」
トルガが怒鳴った。鳥の首がこちらを向く。
「おっと。しつれい、しつれい、しつれい〜」
首を曲げ、嘴の先で肩の箱をつつく。音が、すっと小さくなった。
小さくなっただけで、止まってはいない。鳥の頭も、まだ揺れている。
「よっつ。はじめまして、よっつ。はじめましてだよっ!」
嘴が、順に向いた。トルガ、マハト、解人、エマ。数えている。
「……喋った」
「喋る泣き鳥なんざ、聞いたことねぇぞ」
「なきどり〜、なきどり〜、この周りは黄緑〜」
「真似すんな!」
「泣き鳥ではない」
マハトが冷静に言った。鳥の方は、まだ「なきどり」を繰り返している。この様子を見ると、人の言葉を拾って遊んでいるらしい。
鳥が首を下げ、石の目が解人の顔の高さまで降りてきた。頭は揺れたままだ。
「ひとつ、うえからきた。ふたつ、ぜんぶみた」
「みっつ、しらないこと、ない、ない、ない」
――なんだこのラップ野郎。
異世界で、機械の鳥が、韻を踏んでいる。昨日から受けつけないものばかり見てきたが、これは方向が違う。
箱から、別の声が出た。
『ようこそ。ここは――・、・・・・ら――』
平らな、丁寧な声。音楽の拍とも、鳥の頭の揺れとも合っていない。途中で切れて、あとには小さくなったビートだけが残った。
「……今の、誰だ」
「分からん」
駅の案内放送に似ていた。乗り換えを知らせるあの声が、こんなところで、こんな鳥の肩から出る。
エマが、解人の袖を引いた。
「あ……」
何かを思い出した顔だった。
「ねえ。病気を治す草、知ってる?」
訊いた相手は、鳥だった。
「もちの、ろん!しってるよ〜」
「ききたい?なら、ふめ、ふめ、リズムを。ふめ、ふめ、ふめ〜」
「……踏む?」
「ふんだらおしえる。ふめなきゃ、ない、ない、ない」
鳥の頭が、前へ、後ろへ小刻みに動く。気がつくと、トルガの爪先も、同じ間隔で地面を叩いていた。
「ちいさい、かるい、やわらかい」
「ひとくち、ふたくち、おいしそう」
どうやらラップをしなきゃいけないらしい。トルガと解人は目を見合わせた。
「……お前からやれよ」
「なんで俺なんだよ」
「はい、ひとりめ〜」
鳥が急かす。首を下げて、待っている。
「えっと……薬草、欲しい。……病気、治したい。……えっと、……したい……」
聞いてはいたけど、やる側は想像したことがなかった。途中で、自分でも何を言っているのか分からなくなった。
「無理だろこれ!」
「はい、だめ〜。つぎ、つぎ」
次はエマだった。背筋を伸ばして、鳥の目を見る。
「おかあさんの、おくすり。ください……ます」
「かわいい、かわいい。でも、だめ〜」
マハトの番になった。鳥の頭が、マハトへ向く。
「知らん」
「はやい、はやい。でも、だめ〜。はい、ラスト、ラスト」
まぁ、想像通りの返答だ。
ラストは、トルガ。ゆっくりと斧を地面に置いた。空いた手で腿を叩き、爪先で拍を取る。解人のときのような言い淀む間が、一つもない。
――こいつ、さっきから乗ってたのか。
「Yo!Yo!」
「ひとつ、山越え、飯もねぇ。ふたつ、霧越え、先見えねぇ」
「みっつ、穴落ち、足いてぇ。よっつ、薬草くれりゃ、文句ねぇ」
鳥の頭の揺れが、大きくなる。トルガの首も、同じ間隔で揺れていた。
一人と一羽で、完全に乗っている。
「Yo!キラキラ羽して、ギラギラ目ぇして」
「そんな鳥、見たことねぇ。お前、最高だぜーー!!」
「Yo!Yo!いいね〜〜。いいね〜〜、Yo!いいね〜〜、Yo!」
鳥が嘴で肩の箱をつついた。さっきとは逆に、音が大きくなる。羽を少しだけ開いて、石を光らせた。喜んでいるらしい。エマが手を叩いた。
「……なんでお前が上手いんだよ」
「ん〜?わかんねぇー・・・Yo!」
「・・・・・・」
「それ、それ、それ。いろのない、はな」
鳥の嘴が、足元を指した。赤と白と紫の中に、一本だけ、色がない。花弁が透けて、向こうの茎が見えている。
「ねっこ、にて、のむ。はい、おわり」
「お前が、なぜ薬を知っている」
マハトが言うと、鳥の頭が揺れるのをやめた。
「私たちは、なんでも知ってる」
拍のない、冷たい声だった。今までと同じ嘴から出たとは思えない。言い終わると、頭はまた揺れ始めた。
――私たち、って言ったか。
一羽しかいない。なのに、私たち。訊き返そうとしたが、やめた。どうせ訊いても、数え直されるだけだ。
「……本当に、あんのかよ」
トルガが、その花の前に膝をついた。エマが横から屈み、両手で土を掘った。太い根が出てくる。土を落とすと、根も透けていた。
「煮て、飲む。煮て、飲む」
忘れないように、エマは繰り返した。そして、ゆっくり立ち上がった。
「取れた。解人兄ちゃん、取れたよ。これでお母さん助かるね!」
「……おう。よかったな」
トルガは、それだけ言って目を逸らした。
村を出たときは、四人で行って四人で帰るものだと思っていた。これで、その通りになる。
エマが鳥のほうへ歩いていく。花を抱えたまま、まっすぐに。
「鳥さん、ありがとう」
鳥の首が下がった。石の目が、エマの顔のすぐ前で止まる。頭が、揺れていなかった。
――近い。
「どういたしまして。ちいさい、かるい、やわらかい」
羽が大きく開いた。ガチン、と骨組みの鳴る音が一度だけして、風が花畑を倒し、解人の顔を打った。石という石が、いっせいに日を跳ね返した。目を刺す光は、雲の下で見たものと同じだった。
「ひとくち、ふたくち、おいしそう」
エマの足が、地面にない。
「エマっ!!!」
伸ばした手には、花弁が一枚当たっただけだった。花が落ちてくる。根についた土がぱらぱらと散って、それが地面に着く前に、エマはもう腰の布より上にいた。
トルガが走って、跳んだ。指先は鳥の脚をかすめただけで、体はそのまま花の中へ、膝から落ちた。解人も走っていた。走って、途中で足が止まった。走る先が、空にしかない。
「――エマ!エマぁ!」
鳥はケーブルに沿って、来たときと同じ螺旋で上がっていく。肩の箱の音が、遠ざかりながら、また大きくなっていった。その上に、あの平らな声が乗る。
『お預かりします』
「よっつ。ひとつ、もらって、みっつ」
トルガが、地面を殴った。
「……最初から、数えてやがった」
一人欠けてもおかしくない。あの夜、毛布の中でそう思った。思っただけで、何もしていなかった。
マハトだけが動かなかった。杖を握ったまま、鳥を目で追っている。解人は、その視線の先を見た。光がだんだんと小さくなって、雲に入る前に、声だけが降ってきた。
「おいしく、たべるね〜〜」




