第9話:静かなる代償
電話が切れた後の倉庫には、
嫌な沈黙とカビの臭いだけが漂っていた。
場所さえ教えていないのに、
櫂さんは本当に助けに来てくれるのだろうか。
不安と恐怖で、奥歯がガチガチと鳴る。
「一時間か。……いいぜ。
店主が来るまで退屈させんなよ。
たっぷりと楽しませてもらおうじゃねえか」
男が下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。
脂ぎった手が私の肩に触れ、
乱暴に制服の襟元を掴んだ。
心臓が口から飛び出しそうなほど跳ね、
私は恐怖で声も出せなかった。
「……やめて、来ないで……っ!」
男が私を組み伏せようとした、その時。
ドォォォォン!!
鼓膜を震わせる爆音とともに、
重厚な鉄扉が紙細工のように吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める土煙の中に、
月光を背負った人影が立っていた。
「――お待たせしました、紬さん」
白シャツに黒いエプロン。
場違いなほど清潔な格好のまま、
櫂さんがそこに立っていた。
いつものさわやかな微笑みはない。
その瞳は、絶対零度の氷のように
透き通り、ただ冷たく男を見据えていた。
「……な、なんだ、今の音は!?
貴様、一人で来いと言ったはずだぞ!」
男が慌てて私を盾にするように引きずる。
けれど、櫂さんは止まらない。
一歩、また一歩と、
静かな足音を響かせながら距離を詰める。
「紬さんを傷つけたら、
ただでは済まさないと言いましたよね?
今のあなたのその手……。
ひどく不快で、目障りですよ」
櫂さんが、すっと右手を掲げた。
指先が、白く、禍々しく発光する。
それは十億円の『死の魔法』ではない。
もっと根源的で、残酷な何かだった。
「……ひ、ひっ……来るな!
指輪ならここにある! 魔法を込めろ!」
「指輪? ああ、そんなガラクタ、
もう必要ありませんよ」
櫂さんの指が、パチンと鳴らされた。
その瞬間、男の叫び声さえ掻き消す
圧倒的な衝撃が、倉庫を白く染め上げた。




