第8話:人質と天秤
店を出て駅へ向かう道すがら、
私は背後に嫌な気配を感じた。
都会でも田舎でもないこの街の、
街灯がまばらな住宅街。
振り返る暇もなかった。
「……っ!?」
背後から伸びてきた太い腕が、
私の口を荒っぽく塞ぐ。
銀の指輪をはめた右手を振るわせ、
必死に抵抗したけれど、
大人二人の力には抗えなかった。
そのまま、黒いワンボックスカーへ
放り込まれるように連れ去られた。
「……あ、う……」
目隠しをされ、連れてこられたのは
どこかの寂れた倉庫のようだった。
鼻をつくカビの臭いと、
冷たいコンクリートの感触。
目の前の覆いを取られると、
そこには昼間の、あの男がいた。
「よお、お嬢ちゃん。
あの生意気な店主とは、
仲が良いみたいじゃないか」
男の目は充血し、苛立ちを隠さない。
彼は私のスマホを奪い取ると、
迷わず『Location Magi』へ電話をかけた。
コール音が、静かな倉庫に響く。
『――はい、ロカシオン・マギです』
スピーカーから聞こえてきたのは、
いつも通りのさわやかな櫂さんの声。
その落ち着きぶりが、
今はひどく遠い世界の出来事に思えた。
「おい、小僧。よく聞け。
お前のところの常連のガキを預かっている。
……返してほしければ、
例の十億の魔法をタダで俺の指輪に込めろ」
男の脅しに、電話の向こうで
一瞬の沈黙が流れた。
私の心臓は、壊れそうなほど
激しく脈打っている。
「……櫂さん、来ちゃダメ……っ!」
叫ぼうとした口を、再び塞がれる。
男は冷酷な笑みを浮かべ、
受話器に向かってさらに畳みかけた。
「一時間以内だ。場所は後で送る。
警察に言えば、この娘の命はない。
指輪は用意してある。……わかったか?」
櫂さんは、しばらくの沈黙の後、
深いため息をつくような気配を見せた。
『……困りましたね。私は今、
ちょうど新しいハーブを
仕入れたところなんですよ』
あまりに場違いな返答に、
男も私も、一瞬言葉を失った。
『ですが、紬さんがいないと
お茶を淹れても一人きりだ。
……それは少し、不快ですね』
櫂さんの声から、温度が消えた。
電話越しでも伝わる、あの冷徹な響き。
『わかりました。すぐに向かいます。
……ただし、私が行くまでに、
彼女の髪一本でも傷つけていたら』
そこで言葉が途切れた。
けれど、その静寂はどんな怒鳴り声より
恐ろしく、鋭い殺意に満ちていた。




