第7話:招かれざる客
魔法をむやみに使わないと決めてから、
私の足がその店へ向かう頻度は減った。
それでも、週に一度は
あのレンガ造りの店へ顔を出している。
櫂さんが淹れるハーブティを飲む時間が、
今の私には必要な休息だったから。
「……あれ、何か騒がしい?」
住宅街の静かな路地裏。
店のドアを開ける前に、
中から低い怒鳴り声が漏れていた。
いつもの穏やかな静寂が、
鋭い殺気のようなものに塗り潰されている。
「ふざけるな! 魔法一つに十億だと!?
舐めてんのか! 足元を見るのも
いい加減にしやがれ!」
恐る恐るドアを開けると、
そこには見慣れない客が立っていた。
仕立てのいいスーツを着ているけれど、
その目つきは鋭く、威圧感に満ちている。
本気で「怖い」と感じる種類の人だ。
「……おや。失礼ですが、
価格設定に文句を言われるのは
少々心外ですね、お客様」
カウンターの奥で、店主の櫂さんは
いつもと変わらない、さわやかな微笑みを
その男に向けていた。
「文句じゃねえ、強請りだろうが!
一千万ならまだしも、十億なんて
聞いたこともねえぞ!
いいからさっさと寄こせ!」
「ええ。ですが、あなたが希望されたのは
ただの便利道具ではありません。
……人の命を奪うための術式ですから」
櫂さんは、お天気の解説でも
するような平然とした口調だった。
「その『死を呼ぶ魔法』をこの世に
顕現させるコスト。それを考えれば、
十億という提示は極めて妥当ですよ」
「ふざけやがって……!
そんな大金、払うわけねえだろうが!
いいからタダでよこせ!」
逆上した男は、カウンター越しに
櫂さんの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。
不穏な光景に、私の心臓が跳ねる。
「――紬さん、そこは危ないですよ。
少し、離れていてください」
櫂さんは、私の存在に気づくと、
まるでお茶を勧めるような
軽い口調でそう言った。
その瞳は、掴みかかろうとする男を
見ているのに、まるで道端の石ころでも
眺めているかのように冷淡だった。
「なるほど。……タダで、ですか」
櫂さんは小さく息を吐くと、
掴みかかろうとした男の額に、
すっと人差し指を向けた。
その指先が、白く、静かに発光する。
「では、サービスしましょう。
あなたが欲しがった十億円の魔法を、
今ここで、あなた自身にかけてあげます」
「……あ? 何言って……」
「代金は結構ですよ。死人に
請求書を送る趣味はありませんから」
その瞬間、店内の空気が凍りついた。
さわやかな笑顔のまま、
引き金に指をかけたような冷徹な響き。
男の身体が、恐怖で目に見えて震え出した。
「……ひ、ひっ……!」
至近距離で放たれる本物の殺気に、
男は腰を抜かしたように後退った。
櫂さんの指先から溢れる光が、
男の死を確定させる宣告に見えたのだろう。
「クソッ、ふざけやがって……!
覚えてろよ、タダじゃ済まさねえからな!」
男は捨て台詞を吐き捨てると、
逃げるように店を飛び出していった。
バタン、と激しくドアが閉まり、
再び店内に静寂が戻る。
「……あ、あの、櫂さん。大丈夫?」
震える声で尋ねると、櫂さんは
何事もなかったかのように光を消し、
いつものさわやかな笑みに戻った。
「ええ。騒がしくしてすみませんね。
さて、紬さん。お茶にしましょうか」
彼は優雅な手つきで、
新しいカップを用意し始めた。
その落ち着きぶりが、
私には何よりも恐ろしく、そして、
少しだけ頼もしく見えてしまった。




