第6話:銀の輪の重み
店内に漂うハーブの香りが、
少しだけ私の心を落ち着かせた。
魔法名『忘却の霧』で
塗り潰した、先生のあの怪訝な表情。
それは、私の胸の奥に、
冷たい澱のように残っている。
「……ねえ、櫂さん」
私は、カウンターに置いたままの
自分の右手をじっと見つめた。
細い銀の指輪が、
夕方の光を鈍く反射している。
「私、魔法ってすごいものだと思ってた。
嫌なことを全部、
なかったことにできるんだって」
櫂さんは何も言わず、
ただ静かに、私の言葉を待っている。
その穏やかな視線が、
今は少しだけ、痛かった。
「でも、先生の記憶を消した時、
なんだか自分まで、
消えていくみたいな気がしたの。
嘘を重ねるたびに、
本当の自分がどこにいるのか、
わからなくなっちゃいそうで」
私は、指輪をゆっくりと外した。
指に残ったわずかな圧迫感が、
現実との唯一の接点のように思えた。
「だから、決めたよ。
もう、むやみに魔法には頼らない。
自分の力でどうにかできることは、
ボロボロになっても、自分でやる」
宣言するように言うと、
櫂さんは意外そうに眉を上げ、
それから、いつものさわやかな
微笑みを浮かべた。
「さようですか。……紬さんは、
意外と『頑固』なんですね。
魔法を貸し出す側としては、
少し寂しい答えではありますが」
彼はそう言って、
私の前に新しいお茶を置いた。
「ですが、それはとても
『人間らしい』選択だと思いますよ。
魔法はあくまで、場所を貸すだけ。
そこでどう立ち振る舞うかは、
あなた自身の意志に、
委ねられているのですから」
櫂さんの言葉は、
突き放しているようでもあり、
背中を押しているようでもあった。
「……でも、魔法が嫌いになった
わけじゃないんだ。
本当に困った時は、
またここに来てもいいかな?」
「ええ、もちろんです。
ここは、そのための『場所』ですから。
……いつでも、お待ちしていますよ」
私は、再び指輪をはめた。
さっきまでの重みは、
もう、不快なものではなかった。
魔法の沼に沈むのではなく、
その淵に立って、
自分の足で歩いていく。
私は、少しだけ前を向いて、
レンガ造りの店を後にした。




