第36話:闇を走るレストラン
コンパートメントを離れ、私と櫂さんは連結部の重い扉を開けた。
通路の窓から見える外の景色は、いつの間にか一変している。
さっきまでの七色の星屑は消え失せ、今はただ、吸い込まれそうなほど
深い、真っ黒な闇がどこまでも果てしなく続いていた。
「……真っ暗だね。どこを走っているのか、全然見当もつかないよ。
でも、この闇の向こうに何があるのかと思うと、ドキドキするね」
「境界の深層に入った証拠ですよ。何もないからこそ、何にでもなれる。
……さあ、着きました。ここがこの列車の食堂車です」
櫂さんが開いた扉の先には、外の闇とは対照的な、黄金色の光に満ちた
華やかな空間が広がっていた。白いクロスが敷かれたテーブルの上では、
小さなキャンドルの火が踊り、磨き抜かれたカトラリーが光を反射する。
私たちは窓際の席に座り、まずは昼食として軽めの皿を頼むことにした。
運ばれてきたのは、透き通るような白身魚のマリネと、
見たこともないほど鮮やかな青い果実を添えたサラダだった。
恐る恐る口に運ぶと、口の中で淡い光が弾けるような、
瑞々(みずみず)しく、けれどどこか懐かしい味が広がっていく。
「おいしい……! これ、あっちの世界の食材じゃないよね?
初めて食べる味だけど、なんだか力が湧いてくる気がする!」
「ええ。この近くの『庭』で採れたものばかりです。
……お口に合ったようで、何よりです、紬さん」
櫂さんは満足げに頷きながら、自分の前にあるスープを口にした。
食後、給仕の男性が静かに二つのカップを置いていく。
立ち昇る香りを吸い込んだ瞬間、私は思わず深呼吸をした。
「……あ。……これ、お店でいつも櫂さんが淹れてくれるハーブティー?
この香り、どこにいても変わらないんだね」
「正解です。このブレンドは私の故郷のレシピですからね。
……どうですか。未知の景色への高揚感は、少し落ち着きましたか?」
私は温かいカップを両手で包み、ゆっくりと一口含んだ。
喉を通る温かさと、鼻に抜ける爽やかな香草の香り。
外は正体不明の真っ黒な闇で、自分たちがどこにいるかも分からない。
けれど、やっぱりこの味を飲むと、不思議と心からホッとする。
「……うん。なんだか、まだお店にいるみたいで安心する。
さあ、櫂さん! 次はどんな面白いものが見られるのかな。
早く目的地に着かないか、ますます楽しみになってきちゃった」
私が身を乗り出して微笑むと、櫂さんは窓の外の闇に視線を戻した。
三時間の旅も、あと半分。
この暗闇を抜けた先にある「出張先」が、
どんな場所であっても、今の私なら全力で楽しめる気がした。




