第35話:無煙の鉄道
深い闇の向こう側から、巨大な金属が軋み合う重厚な音が響いてきた。
地下七階のプラットホームに滑り込んできたのは、漆黒の塗装を施された
巨大な蒸気機関車(SL)だった。けれど、その煙突からは一筋の煙も
吐き出されてはいない。ただ、黒光りする鋼鉄の車体が、まるで生き物の
ように静かに脈動し、独特の熱気を周囲に放っているだけだった。
「……SL? でも、煙が出てないよ。動いているのに、すごく静かだね。
これ、本当に石炭で走っているの? なんだか不思議な感じがする」
「ええ。これは石炭ではなく、純粋な『意志』を動力源とする列車です。
さあ、乗りましょう。私たちの席は、三号車のコンパートメントです。
乗り遅れると、次の便がいつになるか分かりませんからね」
櫂さんに促され、私は真鍮の手すりをしっかりと握り、
高いステップを一段ずつ上った。車内に一歩足を踏み入れると、そこには
驚くほどレトロで豪華な空間が広がっていた。重厚な木目調の壁が並び、
足元にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。けれど、天井を見上げても
電球やLEDといった電灯の類は、一切見当たらなかった。
代わりに、通路の壁際や各部屋の入り口には、柔らかな火が灯った
本物のオイルランプが設置されていた。その揺らめくオレンジ色の光が、
車内を幻想的な影で縁取っており、決して真っ暗というわけではなかった。
現代の照明とは違う、温かみのある、けれどどこか心細い明かりだ。
「……今時、ランプなんて珍しいね。LEDにしないのは、こだわりなの?」
私が指定のボックス席に腰を下ろすと、向かいに座った櫂さんは、
窓の外の暗闇を見つめながら、静かに、そして優しく話し始めた。
「魔法と科学技術は、致命的に相性が悪いのです、紬さん。
精密な電子回路は、不安定な魔力の波動を浴びると一瞬で焼き切れる。
だから、高純度の魔力が流れるこの列車内では、原始的な火だけが
唯一、私たちを裏切らない明かりになるんですよ」
科学が拒絶される、魔法使いだけの閉じた空間。私がその言葉の不思議さを
噛み締めていると、不意に大きな振動が伝わり、列車が静かに動き出した。
ガタン、ゴトンと規則正しいリズムが体に伝わってくる。けれど窓の外は、
駅の風景ではなく、七色の星屑が流れるような、見たこともない
『空白地帯』の景色へと、瞬く間に塗り替えられていった。
「……ねえ、櫂さん。……この電車、一体どこまで行くの?
私たちは今、現実の地図のどこを走っているの?」
「それは、到着までのお楽しみ、ですよ。ここからだいたい三時間ほどで、
目的地に着く予定です。……お腹は空いていませんか?
落ち着いたら、後で食堂車へ行きましょう。あちらの料理は、
あなたの住む街では決して味わえないものばかりですからね」
櫂さんは懐中時計を確認し、優雅な動作で蓋を閉じた。しばらくすると、
通路の奥から規則正しい、重厚な足音が近づいてきた。
「切符を拝見いたします」
現れたのは、顔の半分が影に隠れた、古風な制服姿の車掌だった。
彼は事務的な手つきで、私たちの幾何学模様の切符を確認し始める。
私は、窓の外を流れる「存在しないはずの光」を、食い入るように
見つめ続けていた。現実と幻想の境界線を越えて、
三時間の旅の果てに、私は一体何を目にするのだろうか。




