第33話:無限のトランクと見えない駅へ
シュン、という空気が震える音と共に、私は自分の部屋から店のカウン
ター前へと滑り込んだ。三日間の荷物を詰め込んだ巨大なトランクを抱え
ながら、今回は転倒することもなく、見事な着地を決めてみせる。
「……おはようございます、櫂さん! 完璧な転移でしょ?」
ドヤ顔で顔を上げると、櫂さんはすでに旅の装いを整え、静かに私の足
元のトランクを見下ろしていた。その視線は、まるで中身の重さを透視し
ているかのようで、私は少しだけ気恥ずかしくなる。
「おはようございます、紬さん。……随分と詰め込みましたね。これでは
駅まで辿り着く前に、あなたの腕が悲鳴を上げてしまいますよ」
「だって、櫂さんが海外旅行のつもりで用意しろって言うから。足りなく
て困るよりは、重くてもいいかなって思ったんだもん」
櫂さんは苦笑しながら、私の右手をそっと取った。そして、空いたまま
の二つ目のスロットに、細く長い指先を添える。その指先から、今まで見
たこともないような、深みのある紫色の光が溢れ出した。
「特別に、この出張が終わるまでの期間限定で、収納の魔法『虚空の蔵(
ストレージ)』をセットしてあげましょう。出張の間だけ使える、店主専
用の特別な拡張術式です」
「えっ、収納? 私の指輪に、そんな便利なのが入るの?」
「ええ。使い方は簡単です。そのトランクを頭の中で強くイメージして、
出し入れを念じるだけ。……さあ、やってみて」
言われるがまま、私は目の前の巨大な荷物を強く念じた。すると、指輪
のスロットが熱を帯び、次の瞬間、重たいトランクが光の粒子となってス
ロットの中へと吸い込まれた。
「……消えた!? 私のトランク、どこに行ったの?」
「あなたの指輪の中ですよ。取り出したい時は、その中身を強くイメージ
するだけでいい。……試しに、一番上にあったものを一つ、取り出して」
私は集中し、トランクのポケットに入れた非常食のチョコを思い浮かべ
た。すると、何もない空間から、私の大好きなミルクチョコがふわりと現
れ、掌に収まった。魔法の収納。あまりの便利さに、私は思わず声を上げ
て喜んだ。
「すごい! これならどんなに荷物が多くても、手ぶらでどこまでも歩け
るね! 櫂さん、これ本当に最高だよ!」
「ええ。ですが、これはあくまで『場所』を跨ぐための、便宜的な処置で
すからね。……さて、準備は整いました。まずは駅へ向かいましょうか」
櫂さんは店の扉に鍵をかけ、表の看板を裏返した。
「いつもなら転移で済ませるのですが、今日は移動を楽しみましょう。
魔法使いの目に映る世界の本当の姿を見てもらう、良い機会ですからね」
「え、電車で行くの? ……普通の電車?」
「ええ、駅まではね。……ただし、私たちが乗る列車は、普通の人が待つ
ホームには入ってきませんよ。……さあ、行きましょうか」
私は、何も持たず軽くなった手を振りながら、櫂さんの後を追って店の
外へと踏み出した。見慣れた駅のホームの、そのさらに向こう側。霧に包
まれた線路を走ってくるのは、一体どんな列車なのだろう。




