第32話:パッキングの迷宮
あれから数日が過ぎ、私は宣言通り「転移出勤」を繰り返していた。
最初のうちは着地と同時に尻餅をついたり、櫂さんの腕の中に
派手に飛び込んだりして、そのたびに顔を真っ赤にしていたけれど。
最近はようやく、ふらつきながらも自分の足で床を踏みしめられる。
出張当日を目前に控え、櫂さんはカウンターで手際よく自身の
トランクを整理しながら、私に念を押すように言った。
「紬さん、荷物は多めに持っていくのがいいですよ。
それこそ、海外旅行にでも行くつもりで用意しておいてください」
「えっ、海外旅行? たった三日間なのに、そんなに大がかりなの?」
私は驚いて、手に持っていた魔法カタログを落としそうになった。
せいぜいリュック一つで足りる、近場のキャンプ程度に考えていたのだ。
櫂さんは銀色のカフスボタンをケースに収め、涼やかに笑う。
「何が必要になるかは、現地に着いてからのお楽しみ、です。
備えあれば憂いなし、と言いますからね。……何しろ、
あちらにはコンビニもなければ、物が買える店すらありませんから」
「……え、お店が一軒もないの? 本当の山奥なんだ……」
「山、と言えるかどうか。……とにかく、足りなくて困るよりは、
重くても詰め込めるだけ詰め込んでくることです。
移動の衝撃に耐えられる、頑丈なケースを推奨しますよ」
櫂さんのアドバイスは、親切なようでいて、その実、これから向かう
「場所」の予測不能さを物語っているようで、少しだけ怖かった。
私はその夜、自分の部屋でクローゼットをひっくり返し、大きな
旅行用トランクに、厚手の服や着替え、予備の靴、さらには
非常食のチョコまで、パンパンに詰め込んだ。
「(……私、本当に大丈夫かな。魔法使いの出張なんて)」
重くなったトランクの取っ手を握りしめ、私は鏡の中の自分を見た。
二スロットの指輪。転移の感覚。そして、海外旅行並みの荷物。
中途半端な街の日常が、遠い過去のものになっていく気がした。
翌朝、私は意を決して、パンパンに膨らんだトランクを傍らに、
自分の部屋から『ロカシオン・マギ』へと、
最後のリハーサルを兼ねた「転移」の呪文を唱えた。




