第29話:招かれざる「確信」
静かな店内に、お湯の沸く柔らかな音だけが響いている。瀬戸くんの一件
が一段落し、私はカタログを捲る手を止めて、カウンターの奥で
優雅に茶葉を選んでいる櫂さんの背中をじっと見つめた。
一度気になり始めると、もう止まらなかった。出会ったあの日から、
この店には数人の客がやってきたけれど、みんな一様に奇妙だったのだ。
私は意を決して、ティーポットを温めている彼の背中に問いを投げかけた。
「……ねえ、櫂さん。一つ、どうしても聞きたいことがあるんだけど。
これ、考えれば考えるほど、どうしても理屈が通らない気がするの」
櫂さんは動作を止めることなく、さわやかな声で「おや、紬さん。
改まってどうしましたか? 何なりとお聞きなさい」と、私を促した。
「……なんで、みんなこの店が『魔法の店』だって確信して入ってくるの?
結衣ちゃんも、瀬戸くんも。看板には『ロカシオン・マギ』って書いてあ
るけど……普通、本物の魔法なんて、あるわけないって疑うじゃない。
それなのに、あの子も、瀬戸くんも、最初から確信を持ってた」
私は、自分が初めてこの場所に辿り着いた時のことを思い出す。
あの時の私は、魔法なんて一ミリも信じていなかったし、この店に用事
があったわけでもない。ただ、後ろから櫂さんに声をかけられただけで、
流されるようにこの扉を開けただけだった。
「私は、ただの通行人として櫂さんに声をかけられただけ。魔法なんて
これっぽっちも望んでなかった。でも、他の人たちは違う。あの日、私を
さらったあのヤクザの人たちだって、凶器で脅してでも魔法をタダで
奪おうとしてた。十億円っていう法外な値段をふっかけられても、
逃げ出さずに魔法を自分のものにしようと必死だった。
……あの人たちにだって、何かそうまでして奪いたい、譲れない理由が
あったのかもしれない。……でも、どうしてみんな『ここだ』って分かるの?」
私のストレートな問いかけに、櫂さんはようやく手を止め、
ゆっくりとこちらを振り返った。その絶対零度の瞳には、
いつもの余裕に満ちた微笑みではなく、どこか遠い場所を眺めるような、
不思議なほど深い静寂が宿っていた。
「引き寄せている、ですか。……いいえ、それは少し違いますね、紬さん。
この店が魔法の店に見えるのは、彼らが『限界』だからですよ。
理不尽な現実に突き当たり、自力ではどうしようもなくなった時、
人は本能的に、この世界の理の外側にある『奇跡』を望むものです」
櫂さんは、温かなハーブティを私の前に置くと、言葉を継いだ。
「その強烈な渇望が、彼らの視界を『調律』するのです。……彼らにとって、
この店は最初から魔法の店としてそこに『在る』べき場所なのです。
……絶望という名のフィルターが、真実を透かして見せているのですよ」
「……じゃあ、なんで私は違ったの? 私は、ただ声をかけられただけだよ。
絶望なんてしてなかったし、魔法なんて、一ミリも望んでなかった」
私の反論に、櫂さんは少しだけ目を見開いた後、
これまでにないほど柔らかく、けれど寂しげな微笑みを浮かべた。
「……さて。それはあなたが、奇跡を望む必要がないほど強かったのか。
それとも、もっと別の……『運命』という名の不具合か。……どちらでしょ
うね。今のあなたには、その答えを教えるにはまだ少し早いようですよ」
またはぐらかされた。けれど、櫂さんの言葉は、魔法のカタログに載って
いるどの術式よりも、重く冷たく私の胸に沈殿した。
この店そのものが、人間の絶望を餌に現れる蜃気楼のようなもの。
櫂さんの正体。そして、なぜ私が「選ばれた」のか。
中途半端な街の、小さな魔法のレンタル屋。……その扉の向こう側には、
まだ私の知らない、もっと暗くて深い「真実」が隠されている気がした。




