第22話:乙女心と鋼の術式
櫂さんがいないカウンターの向こう側で、私は人生最大の緊張の中にいた。
目の前に座っているのは、同じクラスの瀬戸くんだ。学校の休み時間には、
お互いの中途半端な成績を笑い合った仲なのに。今はなぜか、彼が全く知らない
どこか遠い異邦人のように見えてしまう。私は震える指でペンを握り直した。
「……あ、えっと。じゃあ、改めて聞くね。瀬戸くんが『魔法』を使ってまで
解決したい悩みって、一体なんなの? 私に話せる範囲でいいからさ」
私はノートの真っ白なページを見つめ、彼が口を開くのをじっと待った。
心臓の鼓動が耳の奥まで響いて、せっかく淹れたハーブティの香りが、
夕暮れの風に混ざって鼻を掠めていく。瀬戸くんは少し決まり悪そうに
視線を泳がせ、やがて意を決したように、重い口をポツリと開いた。
「……好きな子が、いるんだ。どうしても、その子に自分を振り向いて欲しい。
……魔法で、なんとかならないかと思ってさ。笑うなよ、白石」
「えっ……! 恋バナ!? まさかの恋愛相談なの!?」
思いもよらない「悩み」の正体に、私の緊張は一瞬で霧散してしまった。
それどころか、女子高生特有の旺盛な好奇心がムクムクと頭をもたげてくる。
あの運動神経抜群で、女子からの人気も高い瀬戸くんが、まさか魔法に頼るほど
一途に、そして真剣に誰かを想っているなんて。私は身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待って! 瀬戸くん、それってクラスの誰か? それとも
他校の子? どんなタイプの子なの? 私は、力になれるかもしれないよ!」
「おい、白石! 食いつきすぎだろ! 恥ずかしいから大きな声を出すなよ!」
瀬戸くんは顔を真っ赤にして抗議する。私は「あ、ごめんごめん」と
手を振りつつ、内心ではワクワクが止まらなかった。けれど、ふと
カウンターの下にある分厚い『魔法のカタログ』に目を落とした瞬間、
私は昨日教わった「価格のルール」を思い出し、冷たい現実に引き戻された。
「……ねえ、瀬戸くん。一応、プロの店員として説明しておくね。このお店に、
人の思考を無理やり変えたり、自分を好きにさせたりする魔法は……存在する。
でもね、それはこの店で設定されている価格が、信じられないほど高いの」
「本当か!? 金なら、バイトしてでも貯めるから――」
「待って。最後まで聞いて。そういう『他人の心』に干渉する魔法は、
自分一人で完結しないから、レンタル料が跳ね上がる仕組みなのよ。
カタログによれば、一回のレンタル料で数千万円、最上位なら億を超えるわ」
瀬戸くんの顔から、希望の光がスッと消えていくのが分かった。
高校生が逆立ちしても払えないような法外な値段。それが、この店における
「他人の意思を動かすこと」への、あまりに非情な対価だった。
「……だよな。そんな都合のいい話、あるわけねえよな。悪かったな、
変なこと言って。……やっぱり帰るわ。忘れてくれ、今の話」
瀬戸くんが力なく席を立とうとした。その寂しげな背中を見て、私はハッとした。
ここで彼を帰してしまったら、私はただの「御用聞き」だ。櫂さんに言われた
『聞き取り』という大切な仕事を、何一つ果たしていないことになる。
「待って、瀬戸くん! まだ終わってないよ! 座って!」
私は身を乗り出して、彼の腕を掴みそうになった。櫂さんの言葉を思い出す。
『お客様の本当の望みに、彼ら自身は無自覚です。それを引き出すのが
君の仕事だ』と。ただ魔法を貸すのが、私たちの役割じゃない。
「ただ『好きにさせる魔法』が無理でも、何か別の方法があるかもしれないでしょ。
瀬戸くんがその子のどこを好きで、どうして自分じゃダメだと思ってるのか。
もっと詳しく聞かせて。……いいでしょ? 私も一緒に考えたいの」
私は真剣な目で彼を見据えた。瀬戸くんは驚いたように目を見開き、
やがて諦めたように再び椅子に深く腰を下ろした。
「……お前、意外と熱心なんだな。……分かったよ。少し、長くなるけどいいか?
……俺の、情けない話なんだけどさ」
夕暮れの光が差し込む店内で、私はノートを強く握りしめた。
初めての聞き取り。ここからが、魔法のレンタル屋の見習い店員としての、
本当の正念場。彼が魔法を求めた「本当の理由」を、私は暴かなければならない。




