第2章:霧の夜
香山に逃げ込んだ捕虜たちの夜。捕虜達に静かに襲い掛かる何か…
◆己の失態
山に入った途端、捕虜たちは互いの存在を忘れたかのように散っていった。
誰も声をかけず、誰も足を止めない。
逃げることだけが、彼らの頭を支配していた。
木々は思った以上に密集していた。
太陽の位置を頼りに方角を定めようとしていたが、
空は枝葉に覆われ、光はほとんど届かない。
「……おかしいな」
自信があったはずの方角が、どこかで狂っているような感じを得て、歩けば歩くほど、風景は似通い、
足元の感触も、空気の匂いも、同じものばかりになっていく。
夕方になり、空が暗くなり始めると、
霧が、静かに、しかし確実に立ち込めてきた。
最初はただの湿気だと思っていた。
だが、呼吸が重くなり、胸が詰まるような感覚が、じわじわと広がっていく。
「夜に動くのは危険だ」
そう判断した捕虜は、木の根元に身を寄せ、静かに夜をやり過ごそうと火を使うことも考えたが、
戦後とはいえ、自分は捕虜の身だという意識が危機感を強めた。
火を灯せば、誰かに見つかるかもしれない。
それが、敵であるかどうかも、今は分からない。
高山の言葉が、ふと頭をよぎった。
「お前たちがここでどうしようが自由だ。
ロープを切って逃げても構わん。
だが、我が国民に手を出すことがあれば、命はないと思え。」
あの言葉は、本当だったのかもしれない。
あの瞬間、信じていれば――
山に入らず、別の選択をしていれば――
助かったのかもしれない。
本当に、自由だったのかもしれない。
その思いが、静かに己を責める。
誰かに騙されたわけではない。
自分で選んだ。
自分で、山に入った。
霧が肺に染み込むように、
その後悔は、胸の奥に沈んでいった。
霧は濃くなり、視界は白に染まる。
音が消え、匂いが変わる。
何かが、空気の中に混じっている。
呼吸が浅くなる。
胸の奥に、冷たいものが沈んでいくような感覚。
だが、それが恐怖なのか、疲労なのか、判断がつかない。
記憶が曖昧になる――ような気がした。
何をしていたのか、なぜここにいるのか。
思い出せるはずなのに、言葉にしようとすると霧がかかる。
感情が鈍くなる――ような気がした。
怒りも、焦りも、どこか遠くにある。
だが、それが“鈍化”なのか、ただの疲れなのか、分からない。
霧は、まだ薄い。
だが、確実に、体の中に入り込んでいる。
それは、積もるように。
静かに、確実に、染み込んでいく。
高山は部下たちを呼び、香山探索へ向かわせる。捕虜たちは生きているのか、それとも…




