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第十三章 世界で一番愛しい人

アルドリック殿下が王国へ帰ってから、数日が過ぎた。

慌ただしかった外交行事も一段落し、皇城には穏やかな日常が戻りつつある。

あの夜以来、私自身の中でも、何かが吹っ切れたように感じていた。

過去に区切りをつけたことで、これからの日々を、より前向きに見つめられるようになった気がする。

そんなある日の夕刻、殿下から思いがけない誘いを受けた。

 

「今夜、庭園へ来てもらえますか」

「大切な話があります」

 

その言葉に、私は少しだけ緊張しながらも、素直に頷いた。

いつもとは違う真剣な声の響きに、何かただならぬ気配を感じ取っていた。

一日の仕事を終え、身支度を整える間も、胸のざわめきは収まらなかった。

夜になり、案内された庭園には、満天の星が広がっていた。

昼間の喧騒が嘘のように、あたりは静寂に包まれている。

噴水の水音だけが、静かな夜に響いている。

殿下は噴水の前で立ち止まり、こちらへ向き直った。

その表情は、いつもの穏やかさとは違う、どこか緊張した面持ちだった。

いつも余裕に満ちている彼のこんな姿を見るのは、初めてのことだった。

 

「今日は、仕事の話ではありません」

 

そう切り出す声には、珍しく硬さが感じられる。

私は静かに続きを待った。

 

「初めて君を見た時」

「可愛い人だと思いました」

 

不意にそう言われ、私は思わず頬を赤らめてしまう。

けれど殿下は、そこで言葉を止めることなく、静かに続けた。

 

「でも」

「仕事を見て」

「人柄を知って」

「努力する姿を見て」

「月日を重ねる度にもっと好きになりました」

 

その一言一言が、静かな夜の中に染み渡っていく。

胸の鼓動が、次第に速くなっていくのが分かった。

これまで何度も聞いてきたはずの言葉なのに、今夜はまた、違う重みを持って響いてくる。

殿下は、そこでゆっくりと膝をついた。

懐から取り出した小箱を開くと、月明かりを受けて、指輪が静かに輝く。

淡い翡翠色の宝石が、私の瞳の色によく似ていた。

きっと、殿下が選んでくれたのだろう。

その心遣いだけで、胸がいっぱいになる。

 

「セラフィーナ・ローズベルク」

「私の妻になってください」

 

その言葉を聞いた瞬間、涙が自然と溢れ出した。

これまでの日々が、次々と胸の中を駆け巡っていく。

婚約破棄されたあの夜、隣国での不安な日々、そして少しずつ積み重ねてきた信頼と絆。

市場での視察、テラスでの告白、庭園での涙、書庫での穏やかな時間。

そのすべてが、この瞬間に繋がっているのだと、はっきりと実感した。

かつて「可愛いだけなら価値があった」と切り捨てられた自分が、今こうして、心から求められている。

その事実だけで、胸がいっぱいになった。

 

「……はい」

「喜んで」

 

声を震わせながらそう答えると、殿下は安堵したように微笑み、静かに立ち上がって私を抱き寄せた。

その腕の温もりに包まれながら、私はようやく、心の底から安心できる場所を見つけたのだと感じていた。

 

「これからは」

「君の笑顔も」

「涙も」

「その可愛い声も」

「その頑張り屋なところも」

「全部、私が大切にします」

 

その腕の中で、私はしばらくの間、声を殺して泣き続けた。

王国にいた頃には、決して想像できなかった未来が、今、確かに目の前に広がっている。

可愛いとしか言われなかった日々も、能力を認められなかった日々も、全てがこの瞬間のためにあったのかもしれない。

そんな風にさえ思えるほど、今の私は満たされていた。

殿下は、私の頭をそっと撫でながら、優しく囁いた。

 

「これから先も、ずっと側にいてください」

「はい」

「一生、離しません」

「私も、離れません」

 

その言葉のやり取りだけで、涙がまた新たに溢れてくる。

星空の下、私たちはしばらくの間、言葉もなく寄り添い続けていた。

遠くで、夜鳥の鳴き声がかすかに聞こえる。

その穏やかな音までもが、今この瞬間を、より一層特別なものにしてくれているようだった。

この先の人生を、この人と共に歩んでいく。

その確かな実感が、静かに、けれど確実に、私の心を満たしていった。
















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