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第十章 もう一度会いたい

隣国での暮らしにも、すっかり慣れてきた頃だった。

仕事にも張り合いを感じ、殿下との距離も、少しずつ縮まっているように思う。

毎日が忙しくも充実していて、王国での日々を振り返る余裕も、少しずつ増えてきていた。

執務の合間、窓辺で一息つくのが、最近の私のささやかな習慣になっている。

そんなある日、王国の父から一通の手紙が届いた。

 

「セラフィーナへ」

「王城では、いよいよ看過できない事態になっているようだ」

 

その書き出しに、私は思わず居住まいを正した。

手紙には、王国での近況が詳しく綴られている。

国政の混乱を重く見た国王陛下が、ついに老宰相を呼び出し、詳しい報告を求めたのだという。

これまで表向きは静観していた陛下も、さすがに看過できないと判断されたのだろう。

 

「陛下は、宰相からの報告をお聞きになり、大層お怒りだったそうだ」

「アルドリック、お前は何という人材を失ったのだ、と」

 

その一文を読み、私は複雑な気持ちになった。

国王陛下にそこまで言わしめるほど、事態は深刻なのだろう。

かつての婚約者が、国王陛下の前でそこまで叱責される姿を想像すると、胸の奥が少しざわついた。

 

「アルドリック殿下は、ひと言も言い返せなかったと聞いている」

「以前の勢いは、すっかり鳴りを潜めておられるようだ」

「宰相の話では、近頃は塞ぎ込むことも多いとのことだ」

 

手紙の最後は、父らしい言葉で締めくくられていた。

 

「お前が今の場所で幸せなら、それが何よりだ」

「王国のことは、もう気に病まなくていい」

 

その言葉に、胸の奥が温かくなる。

私は手紙を丁寧に畳み、静かに引き出しへしまった。

その日の午後、侍女のマリーが、どこか楽しそうな様子で部屋にやってきた。

 

「お嬢様、聞きましたか」

「皇帝陛下が殿下に、お嬢様のことをお尋ねになったそうですよ」

 

思いがけない話に、私は思わず手を止める。

 

「殿下は、迷いなく『国の宝です』とお答えになったとか」

「陛下もずいぶん驚かれたご様子だったと、侍従の方が話しておりました」

 

マリーの話を聞きながら、私は頬が熱くなるのを感じた。

 

「それだけではございません」

「殿下は、仕事の面だけでなく、お嬢様ご自身に惹かれているとも仰ったそうで」

 

マリーは楽しそうに続けたが、私はそれ以上、言葉が出てこなかった。

公の場でそこまで評価してもらえているとは、想像もしていなかった。

胸の奥が、じんわりと温かくなっていく。

 

「お嬢様、顔が真っ赤ですよ」

 

からかうように言うマリーに、私は思わず両手で頬を押さえた。

 

「そ、そのようなことは……」

「ふふ、ご馳走様です」

 

そう言って笑うマリーの様子に、私もつられて小さく笑ってしまう。

こうして誰かと軽やかに笑い合える時間も、王国にいた頃にはあまり味わえなかったものだった。

その夜、仕事を一段落させた私は、皇城の書庫で静かに本を読んでいた。

静寂に包まれた書庫は、私にとって数少ない安らぎの場所になっている。

壁一面に並ぶ書物の背表紙を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。

 

「冷えますから」

 

不意に声をかけられ、顔を上げると、殿下が温かい紅茶を手に立っていた。

こんな時間まで、まだ働いていたのだろうかと、少し心配になる。

 

「ありがとうございます」

「殿下こそ、まだお仕事を」

 

殿下は少し照れたように笑う。

 

「今日はもう、切り上げてきました」

「あなたがここにいると聞いて、つい足が向いてしまって」

 

その言葉に、私は思わず頬を緩めた。

殿下は自然な様子で、私の隣の椅子に腰を下ろす。

特に会話を交わすでもなく、二人でそれぞれの本に目を落とした。

沈黙が続いているはずなのに、不思議と居心地の悪さは感じない。

むしろ、この静かな時間そのものが、心地よく感じられた。

紅茶の湯気が、ゆっくりと立ち上っていく。

ページをめくる音だけが、静かな書庫に響いていた。

時折、殿下がふと視線を上げ、私の様子を確かめるように見つめてくることに気づく。

そのたびに、目が合って、どちらからともなく小さく微笑み合った。

この人の隣は、こんなにも安心できる。

そんな思いが、胸の中に静かに広がっていく。

王国にいた頃、こうして誰かと静かな時間を共有することなど、ほとんどなかった。

常に何かに追われ、気を張り詰めていることが当たり前だった。

けれど今は、こうして肩の力を抜いて過ごせる時間がある。

それがどれほど贅沢なことか、今になってようやく実感していた。

しばらくして、殿下がふと本から顔を上げ、優しく微笑んだ。

 

「楽しんでいますか」

「はい、とても」

 

その短いやり取りだけで、十分に満たされる気がした。

王国にいた頃には、決して味わうことのできなかった穏やかさが、ここには確かにあった。

父からの手紙には、最後に一行、書き添えられていた。

 

「アルドリック殿下は、近頃どこか思い詰めた様子だと、専らの噂だ」

 

その一文を思い出し、私は少しだけ複雑な気持ちになる。

彼が今、何を思っているのか、私には知る由もない。

けれど、たとえどれほど後悔したとしても、過ぎた時間は戻らない。

今の私には、この穏やかな時間を大切にすることの方が、ずっと大事に思えた。

紅茶を飲み干す殿下の横顔を眺めながら、私は静かにそう思っていた。

過去を悔やむより、今この瞬間を大切にしたい。

その思いだけが、確かな実感を伴って、胸の中に残っていた。

書庫の窓の外では、静かな夜がゆっくりと更けていく。
















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