第四話 変わりゆく日々
アッシュの来訪から、王子はフィアを避けることをやめたようだった。
正確にいえば、まだ屋敷内での「偶然の遭遇」を避けられている気配はある。
フィアが歩いていると、こそこそと遠ざかる主人の後ろ姿を遠くに認めることがあるのだ。しかし、彼が明らかに変わった点がいくつかある。
「殿下、昼食をお持ちしました」
いつものように食事を持って部屋の前で声をかけると、「ああ、少し待ってくれ」という返事と共に、何やらガサガサという音や衣擦れの音が聞こえてきた。
やがて、ガチャリと扉が開く。
「わざわざありがとう」
「いえ、お礼を言われるようなことでは……」
「それでも、私は感謝しているんだ」
こうして、毎回扉を開けて顔を見せるようになった。
相変わらず、室内にも関わらず分厚いコートに革手袋という異様な出で立ちではあるが、浮かべた笑顔は柔和で落ち着いたものだ。
「……本日のメインは子羊の香草焼きとのことです」
「へえ、それは楽しみだ。確か、あのシェフはリヴァルナの出身だったし、あちらでは定番のメニューだね」
期待できるな、と嬉しそうに食事を受け取る王子は、なんというか、明るくなった気がする。
そう見えるだけなのかもしれないが、彼が積極的に話をしてくれる様子はなんだか嬉しかった。
午後。
王子の変化を受けて、またアッシュからの激励も受けて、フィアも少し踏み出してみることにした。
(お茶の準備よし、お菓子の準備よし)
王子は、毎日多くの時間を部屋にこもって書類と向き合っている。
おそらく公務なのだと思うのだが、まさか「呪われた王子」として彼をこき下ろす人々が多い中、ここまで忙しい生活を送っているとは思わなかった。
そんな彼が、放っておくと一日中机に向かいっぱなしなのには、少し前から気づいていた。
そこで、お茶とお菓子を持って行って「休憩の時間です」をする作戦を立ててみたのだ。
本来の王侯貴族付きメイドとしては自主的な行動は褒められたものではないかもしれないが、この屋敷で、ほぼ二人しかいない状況でそんなことを言っていられない。
ノックをすると、微かに息を呑むような音が聞こえてきた。
しばらくののち、扉が開き、恐る恐るといった様子で王子が顔を出した。
「……どうしたんだ?何か問題でもあったのか?」
「いえ、朝から働き詰めのようでしたので、よろしければお茶でもいかがかと思いまして」
「お、お茶?」
「はい。紅茶に合うお茶菓子もご用意しております。……お邪魔でしたか?申し訳ございません」
「い、いや、そんなことは!……ええと、その、……ありがとう」
ぎこちないながらも笑い、礼を言った王子に一礼し、部屋に入れてもらって一式の準備をする。
この前アッシュが来た時と同じだ。相手はいないが、まあ休憩をとってもらうのが目的なので構わないだろう。
「……」
「……」
「ええと、フィア、その……」
「……申し訳ありません。殿下が朝からずっと机に向かわれているように見えましたので、一時の休憩になれば、と思いまして。その、お邪魔でしたらもうしませんので」
沈黙に耐えかねて話しかけてきた王子に、言い訳を口にする。
事実、本当に忙しくて無理に時間を作ってもらっているのなら申し訳ないので、今回の反応次第でやめようと思っていた。
「いや、迷惑ではないよ。ありがとう、私を気遣ってくれている、ということなんだろう?」
「……メイドですので。主人の体調管理は基本です」
「ふふ、ありがとう」
まあ、こうしたことが何回か続き、なぜか今では王子と共に机を囲むことになっている。
言われた時は流石にフィアも断ろうとした。王族の方と一緒に座るなんて、不敬どころではない。
「でも、ここには私たちしかいない。そして、その王族の私がお願いしているんだ、別にいいじゃないか」
「しかし……」
「……実を言うと、君ともう少し話をしてみたいんだ。同じ机に座っていなければ、話もままならないだろう?」
後から思うと、かなり無茶苦茶なことをやっていた気はする。
しかし、これをきっかけとしてフィアは王子と交流を深めていった。
「そうか、つまり人間が『精霊魔法』と読んでいるものは、正確には魔法ではない、と」
「はい。エルフや自然に近い種族は生まれながらにして精霊を『感じる』ことができます。魔法は詠唱により発動して決まった事象を起こしますが、身近にいる存在に『お願い』をしているだけ、というイメージですね」
「なるほどな。魔法と精霊、両方に近しい者の意見は貴重だ、参考にさせてもらおう」
王子は勉強熱心なようだった。
フィアは、人間の間で便宜的に「精霊魔法」と呼ばれるものと、一般的な「魔法」、つまり神々の時代の言葉を崩した言葉による術「訳語魔法」の使い手である。
一般的な魔法士からしたら、是非とも話を聞きたい存在だろう。
「私は魔法が使えないから、話を聞くだけにはなるんだが。なかなか面白いものだと思う」
「……そうですね、この二つは混同されがちですから」
王子が魔法が使えない、というのは、やはり呪いのせいらしかった。
その身に巣食う呪いの影響で、本来は強大であるはずの魔力が正しく循環させられないらしい。
「その、よかったら今度、君の魔法を見せてもらえないだろうか」
「私の、ですか?」
「ああ。実は君が魔法を使うところを見たことがあるんだが、もう少し近くで見てみたいんだ」
興味津々、といった様子だが、少し違和感はある。
(怪しいメイドの見極め、ってところ?)
実際、フィアはとんでもなく怪しい。
身分のしっかりした貴族推薦ではあるが、平民。おまけに超レアなハーフエルフ。
そして、魔法と精霊を操る人物。それもあまり表立っては使わない。
王子の立場の特殊性ゆえ、見逃されてきただけである。それこそ王太子殿下なんかだったらそもそも雇ってももらえなかった気がする。
場所を移動し、外庭にやってきた。
室内では危ないだろう、と。それはもちろんそうなのだが、フィアの場合屋外でも凄まじく危険だったりする。
(ええと、これってどこまでやるべきなのかな。せっかく整えた庭の破壊はしたくないし)
悩んだ末、王子の反応を見て決めることにした。
「では、いくつか魔法を使いますね。______火球」
現れた人の頭ほどの大きさの火の玉が、フィアの掌の上でゴウゴウと音を立てて燃え盛る。
王子は興味深そうに見つめた。
「なるほど、多くの魔法士は『目標に向けて火の球を飛ばす』という風に使っていると思うが、その場で止まらせることもできるのか」
「『どこかに向けて飛ばす』方が制御は簡単です。同じ場所に薪もなく同じ大きさの炎を維持するのは難易度が上がると思います」
「へえ……」
炎を消して、同等の他属性の魔法もいくつか唱える。
水球、風刃、土塊など、初級に相当する魔法たちだ。
「魔力制御がうまいんだな」
「……魔法士の基本ですから」
好奇心のほか、やや探るような視線を受けて、フィアは出現させていた土塊を消した。
やはり、自分の腕を見られている______もっと言えば、素性を探られていると見ていいだろう。
王子自らそんなことをするとは予想外だったが、怪しまれることは想定していた。
だって、どう考えても怪しいもん、とフィアは嘆息した。
「次、中級もお見せしますね。水流」
空中に突然膨大な量の水が現れ、全てを押し流そうとする。
フィアは迷わずそれを自分たちから反対の、庭の池がある方に向けた。
まっすぐ池に向かって押し寄せる水の流れが静かな水面にぶつかり、大きな飛沫を立てる。
「中級魔法を簡易詠唱で、か……」
「以前、騎士の方が手合わせで使用しているのを見ました」
「中級魔法を、か?ふふ、それは将来有望だな」
これはここまでにしておいた方が良さそうだ、とフィアは思った。
そもそも、周囲への影響を抑えるという条件で使える魔法はこのくらいだ。
王城の一角で火事を起こすわけにもいかないし、竜巻だって起こせない。危険すぎる。
「すみません、危険が少ないとはこれと洗浄くらいかと。魔法には危険なものが多いのです」
「ああ、確かにここで火の中級魔法なんか使ったら大変なことになりそうだ。……ありがとう、勉強になったよ」
王子は微笑んでこちらを見た。
その時、場違いなパサパサという羽音が聞こえてきた。
赤い小さな小鳥が、フィアに突進するように飛んできて、咄嗟に避けた彼女の肩にとまる。
「フェニ。来ちゃったの?」
小鳥は、尾羽を立てて、ピ!と元気よく返事する。
明らかに懐いている様子に、王子が訝しげに話しかけた。
「その小鳥は君が飼っているのか?随分と懐いているようだが」
「いえ、その、たまにここに来てる子、といいますか……なぜか懐かれていて……」
へえ、と王子が肩の小鳥を見つめるので、フィアは気まずくなり目を逸らした。
その時、赤い小鳥は予想外の行動に出る。
「わ、うわ、どうしてこっちに……!?」
「ちょっとフェニ!やめなさい!」
なんと王子に向かって突進したのだ。
王子はギリギリで顔に激突するのを避け、追いかけてくる小鳥から逃げ回っている。
「ま、待て、お前に触れるわけにはいかないんだ!離れてくれ!」
「……」
王子は小鳥に触れないようにしている、らしい。
いつもの分厚い手袋をしているが、手袋越しでも触れないのだろうか。
「酷い目にあった……」
小鳥から解放された後、疲れた様子で王子はぼやいた。
彼は本当にとことん生き物に触れないらしい。
(触れたものの命を奪う、呪い)
フィアは目を伏せた。
そんなフィアを見つめて、王子は淡く微笑んだ。
「すまない、情けないところを見せたな」
「いえ……私こそ、すぐにお助けできなくて」
「いいんだ。……私の呪いについて、聞いているだろう?君が無理にあの子を捕まえようとして、私に触れてしまったら危険だったんだ。だから何も問題ないよ、何事もなくてよかった」
「……」
フィアは彼にかける言葉を見つけられなかった。
彼の孤独に、気軽な慰めは無意味だと思った。
フィアは住み込みのメイドとはいっても、王子である主人と同じ建物内に住んでいるわけではない。
流石にそれは対外的にまずい、とはセルディオンの説明だった。
別に誰にもバレないとは思うのだが、こういうのはつけ込まれる隙が無いほうがいいと言われた。
護衛もいないこの屋敷では、確かにフィアと王子の二人きりになってしまう。
もし屋敷に忍び込んでくるような輩がいたら、醜聞になる危険もある。この畏れ避けられる建物に近づく人間がいたら、という点でかなり現実味がない話だが。
(それにしても……)
屋敷に隣接する使用人用の建物がある。
元は王妃が住んでいた屋敷というだけあり、使用人用の部屋も随分と豪華だった。
こちらは自分の使うスペース以外あまり掃除もしていないが、フィアが入った時にはそもそも長い間使われた形跡がなかった。
ふかふかしたベッドに潜り込み、天井を見つめる。
(王子の「呪い」……奪命の力、黒い肌に灰色の瞳、異様に高い魔力……)
フィアの予想が正しければ、あれは神職者が扱う奇跡「神律術」などで解呪するような、そんな単純なものではない。
(早くしないと……だって私は、あの時……)
彼女はあまり夢を見ない。決まって見るのは、この全てが色褪せて色彩を失った夢。
「お姉ちゃん!今日ね、街の人たちにパンをもらったんだよ、一緒に食べよう」
「あれ、×××じゃない。あはは、それどう見ても一人分だよ。私はいいから食べちゃいな」
「いやだ、お姉ちゃんも一緒に食べるの!」
二人とも貧しい身なりをしていた。
少年がお姉ちゃん、などと呼んでいたが、二人は明らかに血のつながった兄弟ではなかった。
少女はハーフエルフ。少年は人間だ。
「うーん……じゃあちょっとだけもらおうかな」
「!へへ、じゃあはんぶんこね!」
「いやそんなにいらないって……ああもう」
少年はニコニコと満面の笑みを浮かべ、少女が自分に構ってくれるのが嬉しくて仕方ない様子だった。
たとえ彼らが貧しくても、確かな幸せがそこにあった。
飛び起きたフィアは、ため息をついてベッドから降りて立ち上がった。
「……私は、諦めない。今度こそ、絶対に」
自分に言い聞かせるようなその呟きは、夜の闇に静かに溶けて消えていった。
明日も投稿予定




