第三話 その菫を
(西側の掃除、王子の昼食の受け取り、そのあとはこっちの洗濯物、あと昨日の雨で通路がぬかるんでるからそれも片付けて、)
やることが多い!!とフィアは1人でぼやいた。
菫の屋敷で働き始めて数日。普通に手が足りない。
セルディオンからは、「屋敷の管理と、それ以外もできることは全てやれ」みたいなことを言われたが、屋敷の管理だけで新米メイドのフィアは力尽きそうだった。
今までの人たち、これを全部1人でやっていたの?正気?と遠い目でまたぼやく。
フィアはあまり人前で魔法を使わないようにしていたのだが、その決心はこの数日でものの見事に崩れ去った。
(やってられるか!)
「洗浄!洗浄!洗浄!!」
なお、フィアは気づいていなかったが、前のメイドたちはこの屋敷の管理を完璧にしていたわけではない。
そうでなければ、フィアが働き始めてすぐに屋敷の埃っぽさに驚き、数日に分けて全部屋の大掃除を決行することになるはずがないのだ。
以前までのメイドたちは王子を畏れ、勤務数日で屋敷を逃げ出して、最低限食料を届けるだけ、といった者がほとんどだった。
流石にフィアも王子の悪評がそこまでとは思わず、普通に仕事に追われていた。
王子の食事は、王室付きのシェフが作ったものを、わざわざ王城から運んできていた。
食事を作るのも仕事って言われたらどうしようかと思った、とフィアは安堵したものだ。
彼女に貴族のお食事を作るようなスキルは無い。幼い頃は文字通り泥水を啜って雑草で腹を満たし、成長してからは旅ばかりで、保存食をいかに美味しく食べるかに注力してきた。
今日もワゴンに乗った食事を受け取る。
屋敷の近くまで運んできてくれるシェフ見習いの青年に礼を言いつつ、二段になっていてかなりの重さのワゴンを押し始めた。
十分に青年が離れたことを確認してこっそりと呟く。
「火よ」
ポウッと小さな光がいくつも灯り、ワゴンの周りを漂い始めた。
今日は春の陽気も遠ざかり、かなり肌寒い。今にも雨が降り出しそうだ。
王子のもとに着く頃には、この温かな食事も冷めてしまうだろう。
こういった小さな炎は、精霊たちに頼むのが一番である。エルフなら誰でも使えるし、別にそこまで隠すことほどのものでもないが、フィアはできるだけこっそりと屋敷に戻って行った。
「殿下、お食事をお持ちしました」
「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」
このやりとりも、もう慣れたものだ。
毎食、決まった時間に食事を持って行っては「置いておいてくれ」と言われ、時間が来たら回収する。
最初は何か手が離せないのかと思っていたが、最近はっきりしたことがある。
(王子、私と会わないようにしてるな)
善意か拒絶か分からないが、王子が自分のことを全力で避けているのが分かった。
そもそも、日中部屋からほとんど出てこないのである。
単に出不精なのかと思えば、夜中に書庫に行ったり、庭を歩いたりしているのを目撃したことがある。
それに、フィアの一日の動きを把握しているのか、その時間帯・その場所には決して行かないようなのだ。
王子に怯えているのだとしたらありがたい気遣いなのだろうが、フィアとしてはなんとかして状況を打開したいところである。
働き始めて1週間。
再びセルディオンが菫の屋敷を訪れていた。
「まあ、今日で1週間になるので、様子を見に来たのですが」
相変わらず胡散臭い雰囲気をまとう男は、眼鏡を押し上げた。
「お元気そうですね」
「建物の管理については、慣れてきたと思います。私の方は問題ないのですが……」
王子の部屋は二階にある。フィアは天井を見上げてため息をついた。
「殿下が、私のいる時間帯を避けていらっしゃるようで。ご迷惑になっていなければいいのですが」
「……なるほど。あの唐変木……」
セルディオンがため息をついてなにか小声で呟く。
聞こえなかったフィアが「すみません、今なんとおっしゃいましたか?」と聞くが、「なんでもありません」と即座に返された。
「私からも聞いておきますが、あまり気にしないように。多少の失敗に目くじらを立てる方ではありませんよ」
「わ、わかりました」
妙な圧を感じて素直に頷く。
なぜか満足そうにしているセルディオンが、そういえば、と続けた。
「あなたが大丈夫そうであれば、と思っていたのですが。後日、こちらにヴァルクレインのご子息がいらっしゃることになりました」
「ヴァルクレイン公爵家のご子息、ですか?」
「ええ。嫡男のアッシュ様です」
貴族に疎いフィアでも流石に知っている名前。
ヴァルクレインといえば、アストレイア王国の初代から続く公爵家で、王家の剣と呼ばれる騎士の一族だ。
確か、今代の嫡男は特に優秀で、齢十九にして既に次期近衛騎士団長候補だと噂されていたのを聞いた。
その人物が、この屋敷に来る、と。
このクソ人手不足の場所に来る、と。
「え゛っ、ここに?ここにいらっしゃるんですか?」
「ええ。……カイル殿下とアッシュ様は幼い頃より交流がありました。今回問題がなければ、今後もこういったことがあると思っていてください」
「えっ、当日の警備は?私一人じゃお茶出しが精一杯ですよ!?」
「それで構いませんよ。この国でアッシュ様を害せるものはそういませんから」
そういう問題じゃなくない?とフィアは思ったが、長いものには巻かれるしかない。
刑の執行日が決まった罪人のような気持ちで、アッシュが訪れる日の準備を整えるのだった。
「フィア。こちら、ヴァルクレイン様です。失礼の無いように」
「かしこまりました。殿下のお部屋へご案内いたします」
「ああ、案内は必要ない。ご苦労だったな」
金髪碧眼の、一国の王子のような風貌をした男がやって来た。
無駄のない引き締まった顔立ちで、表情はどこか硬い。
彼は王子ではなく、これから会いに行く方が王子なのだが、外見だけ見ればどこぞの王族と言っても通じるだろう。
アッシュは、フィアと目線を合わせることなく歩き出した。
これは着いてくるなってこと?とセルディオンをうかがうと、彼は、「さっさと行け」とでも言うように目線を動かした。
(貴族様って感じ)
フィアは慌てて、スカートが翻らない最大の速度で後を追った。
本人の主張通り、迷うことなく王子の私室にたどり着いたアッシュは、着いてくるフィアに一瞬目線を向けたが、大して興味もなさそうに扉を叩いた。
「カイル殿下、アッシュです」
「ああ、入ってくれ」
フィアは、宣言通り二人にお茶を出すため、給湯室へ寄って一式を取り出す。
お茶を入れるのは昔から好きだった。
紅茶を飲むようになったのは最近だが、森に近しいエルフは、植物の葉を煮出すというこの工程に関しては上手いものが多い。
事前に王城のシェフに用意してもらった茶菓子と一緒にワゴンに載せ、部屋の前まで持ってくる。
「お話中、失礼いたします。お茶をお持ちしました。」
「……ああ、入ってくれ」
やや間を置いて王子の返答が聞こえる。
この部屋に入るのは初日以来かな、と思いながらワゴンを押し入ると、客人用の机の上に一通り並べていく。
「……シェフに頼んで、季節のフルーツと茶菓子を用意しました。よろしければ」
その間、二人にあまりに凝視されるので耐えかねて話してみる。
なにか言い訳をしているような気持ちになったが、今自分は普通のメイドとしての仕事をこなしているだけのはずだ。
それぞれに紅茶も入れて、「失礼いたしました」と部屋を去ろうとすると、彼女を呼び止める声が響いた。
「少し待て。お前、新しいメイドか?」
「は、はい。十日前よりこちら付きになりました。フィアと申します」
「……ハーフエルフか」
「アッシュ!」
王子が、鋭い声で制止した。
一方、言われたフィアは、パチクリと目を瞬かせる。
(何が言いたいんだろう、この人)
アッシュからは、別段差別的な視線は感じない。かといって好意的でもなく、その意図を図りかねていた。
「……はい。母はエルフ、父は人間です」
「その生まれで、なぜ王城でメイドになったんだ」
「アッシュ、やめろ」
フィアは、自分が一般的に言うと踏み込みすぎた問いをされている自覚はあった。
エルフとの混血。実際、フィアは自分以外に会ったことがない。
なぜそんなレアな種族が、人間の王城で働いているのか、ということなんだろうか。
「私は、その、……孤児でして。いえ、父母が誰かは分かっているのですが、幼少期に二人とも亡くし、行くあてもなかったところを、推薦元の貴族の方に拾っていただきました。ただ、お世話になった分のお返しがまだできていない状況でして」
「つまり、借金をカタにされていると?」
「ええっと……」
フィアは言い淀んだ。
実際、伯爵は一時期フィアの面倒を見たことを何度も挙げ、これみよがしに「王城で働いてみないか」と言ってきた。
一般的に見たらアッシュの言う通りなのだが、それを利用したフィアは何とも言えない顔で笑うしかない。
眉根を寄せた王子が話しかけた。
「すまない。そうとは知らず、君にこんな場所で労働をさせてしまっていた」
「えっ、それは殿下に謝っていただくことでは」
「すぐにその伯爵に話をつける。すまなかったな」
とても申し訳なさそうにする王子だが、これはマズいのではないだろうか。
あの伯爵は、ケチくさいところはあるが悪い人ではないし、フィアもここを離れたくない。
でもこれ、伯爵に話が行ったらここにいられなくなるのでは?と考えたフィアは、慌てて口を挟む。
「いえ、殿下、私は今この生活に満足しています。その、できれば元の生活に戻りたくはなくて、このまま働かせていただけると、嬉しいのですが……」
「いや、遠慮はいらないよ。アッシュが失礼なことを言った詫びでもある」
「いえ、別に失礼なことは言われていません。伯爵への追求は、」
「大丈夫だ。私はこれでも王子だし、なんとかなるよ」
「おい、話を聞いてやれ」
いつの間にか呆れ顔になったアッシュが、王子の話を遮る。
口を閉ざした王子が、アッシュに不満そうな目を向ける。
「フィアと言ったな。俺が今までここを訪れた中で、一番屋敷が整っている。殿下とも普通に話せている」
「あ、ありがたいお言葉です……」
「何より、セルディオンが俺をここに連れてくるということは、お前を認めているということだ。あの堅物をここまでの短期間で認めさせたのはお前が初めてだ。これからも励め」
「……ありがとうございます」
驚いた。
何が彼の琴線に触れたのか分からないが、あの胡散臭い人は自分を認めているらしい。
屋敷を綺麗にしたのがよかったんだろうか。
確かに、あれは魔法でも使わないと短期間で掃除しきれなかっただろう。普通の貴族のお嬢様には難しかったかもしれない。
アッシュが帰った後、フィアは屋敷の庭を歩いていた。
屋敷の掃除が一通り済んで、生活にも慣れてきたので、放置されていた庭を整えることにしたのだ。
今日は大貴族の来訪という一大イベントがあったので、少し遅くなってしまった。
日が暮れると面倒なので、今日の分はさっさと終わらせてしまおう。
「土よ」
荒れて痩せた土が蠢いて、植物が好むやわらかい土が現れる。
その様を眺めていると、背後に足音が響いた。
「……ここは先代王妃が最期を過ごした屋敷で、彼女が好きだった花にちなんで名付けられたんだ」
ざり、と石畳の通路を外れてフィアのいる花壇に近づいてきた王子の表情は、影になっていてうかがえない。
「かつては菫が一面に植わっていたんだが。私がここに来てからというもの、すっかり見る影もなくなってしまった」
少し距離を開けて立ち止まる。
「君が、ここを整えてくれたんだろう?礼を言うよ」
声音は普通なのに、その声はどこか震えていた。
蠢く土が止まり、実体を持たない土の精霊がポッと光って消える。
精霊を見られた、のはまあ仕方がないのだが。別にそこまで隠すほどのことでもない。
何がそんなに彼を不安にしているのか分からず、フィアは立ち上がった。
「……お礼を言っていただくほどのことではありません。私はここのメイドで、この屋敷の管理すべてを承っておりますので」
「……」
風が吹き抜ける。
春の夜は寒い、おそらくそう身体が強くない王子がずっと外にいては風邪を引くかもしれない。
王子が帰る気配がないので、仕方なくフィアは「火よ」と呟いて火の精霊を呼び出す。
呼びかけに答え、二人の周りに小さな灯りがいくつも灯り、寒さから守った。
「ここには、ろくに花が植わっていなかったはずだ。なぜ、菫を植えたんだ?」
「……ここが菫の屋敷だから、ということもありますが。土が、覚えていたんです」
「土が?」
王子が俯いていた顔を上げた。
精霊の火に照らされて、その表情が浮かび上がる。
「はい。以前、ここは丁寧に手入れされた菫の花壇だったそうです」
「……そうか」
懐かしさ、寂しさ、そしてなにかへの不安を混ぜたような表情をした王子は、しばらく黙り込むと、「ありがとう。昼間はあんなことを言ったけれど、まだここで働いてくれないか?」と言葉を発した。
「お許しいただけるのであれば、是非」
気のせいでなければ、彼はそれに嬉しそうに微笑んだ。




