07
陸の追跡を振り切り、二人が辿り着いたのは、
街外れにひっそりと佇む廃校舎だった。
割れた窓ガラスから吹き込む雨風が、埃っぽい廊下を濡らしている。
闇に包まれた教室の片隅。
律は、力なく壁にもたれかかるミナの横で、外の様子を伺っていた。
遠くで微かに、サイレンの音が尾を引いている。
陸はまだ諦めていないだろう。
あの男の瞳にあったのは、逃亡者を追う執念ではなく、迷子を連れ戻そうとする不気味なほどの”義務感”だったから。
「……ハァ、ハァ……っ」
ミナの呼吸は、いつまでも整わない。
雨に濡れた彼女の体は、氷のように冷え切っていた。
律は無言で自分のパーカーを脱ぎ、彼女の肩にかけた。
「……どうして」
ミナが、震える声で呟いた。
俯いたまま、彼女は自分の肩にかけられたパーカーの裾を握りしめる。
「どうして、わたしを助けたの?
自分のことだけで精一杯なはずなのに。
……あなたは、人殺しなんでしょ?」
律の心臓が、一瞬だけ跳ねた。
そうだ。俺は親を殺した。
軽蔑されていればいい。
誰かを救うなんて、最初から許されていない。
『……さあな。自分でも分からない』
律は、あえて突き放すような声を出した。
胸の奥がざわつく。
……重ねるな。余計なことを考えるな。
「……あなたも、居場所がないの?」
ミナがポツリと漏らした。
その言葉に、律は答えなかった。
居場所なんて、とうの昔に捨ててきた。
いや、最初から用意されていなかった。
ミナは律の沈黙を肯定と受け取ったのか、膝を抱えてさらに身を縮めた。
「わたし……もう、どこに行けばいいのか分かんない。誰も、助けてなんてくれないのに」
ミナの言葉には、具体的な理由は何もなかった。
ただ、底の見えない深い孤独と、世界に対する諦めだけが、その声に滲んでいた。
律はその”音”に、言いようのない既視感を覚える。
『……寝ろ。朝になったら、ここを出る』
律は立ち上がり、彼女から距離を置いた。
同情なんて、一番不要な感情だ。
そんなものに浸れば、明日には警察に自首したくなるかもしれない。
陸のような奴の「正義」に、屈したくなるかもしれない。
一方、パトカーの中。
陸は、ハンドルに額を預けていた。
「陸さん、大丈夫ですか? あの青年の言葉……」
「……いや。何ともない」
陸は顔を上げたが、その表情には微かな陰りが生じていた。
『あんたが言う社会に、俺の居場所なんて一度だってなかった』
律のあの叫び。あれは、単なる逃亡者の悪あがきには聞こえなかった。
「……何か、見落としている気がする」
陸は自分の言葉を打ち消すように首を振った。
現場の証拠は、律が一方的に親を殺害したことを示している。
親は子を愛し、家は安らぎの場所であるべきだ。
そのルールを壊した律を救うには、こちら側に連れ戻すしかない。
「捜索を続けよう。まだ彼の形跡がある。
……彼を、独りにしてはいけない」
陸の”善意”は、雨の中でさらに硬質に、純粋に研ぎ澄まされていく。




