06
コンクリートの柱の陰で、律は荒い息を吐くミナを
背にかばいながら、闇の向こうを凝視していた。
散光式警光灯の赤い光が、雨のカーテンを切り裂いて近づいてくる。
逃げ場はない。背後は行き止まりのフェンス。
正面からは、静かに、だが確実に包囲網が狭まっている。
やがて、一台の車がヘッドライトで律たちを真っ白に照らし出した。
「眩しい……」
ミナが短い悲鳴を上げて顔を伏せる。
律は片手で目を覆いながらも、光の元凶を睨みつけた。
ドアが開き、一人の男が傘も差さずに降りてくる。
刑事・天野陸だ。
「……佐藤律くん、だね」
陸の声は、驚くほど穏やかだった。
雨音に負けない通る声。そこには怒りも、蔑みも、憎しみもなかった。
あるのは、ただ純粋な”正しい場所へ導こうとする者の義務感”だけだ。
「そこまでだ。もう逃げなくていい。……その子を離しなさい。これ以上、罪を重ねる必要はないんだ」
律は、喉の奥から込み上げる乾いた笑いを抑えきれなかった。
罪。
この男は、何も知らないくせに、いとも容易くその言葉を口にする。
『……罪? 俺が何をしたって言うんだ』
「お父さんのことだ。……君がどれほど混乱しているか、僕にはわかる。でも、暴力は何も解決しない。
君がしたことは、君自身を傷つけるだけだ。今ならまだ、やり直せる」
陸が一歩、足を踏み出す。
彼が立つのは、街灯の光が届く”境界線”の上。
律が立つのは、ヘドロの匂いが漂う”闇”の底。
『やり直せる……? あんた、本気で言ってるのか?』
律の声が震える。それは恐怖ではなく、
あまりに巨大な無理解に対する絶望だった。
この男には、俺の十七年間なんて見えていない。
「ああ、本気だ。律くん、君はまだ若い。法の裁きを受け、正しく更生すれば、いつか社会に戻れる。
僕が、その手助けをすると約束しよう」
『……黙れ』
律はポケットの中でナイフの柄を強く握った。
陸の差し出す”善意の手”が、律には自分を絞め殺すための縄に見えた。
『手助け? 正しく更生? ……笑わせるなよ。
あんたみたいな光の中にいる奴に、俺の何がわかる。
あんたが言う”社会”に、俺の居場所なんて一度だってなかったんだ!』
律の叫びは、激しい雨音にかき消された。
陸は困惑したように眉をひそめる。
彼にとって、律の言葉は”追い詰められた青年の情緒不安定な叫び”にしか聞こえない。
「……疲れているんだね。わかった。続きは署で聞こう。さあ、こっちへ」
陸がさらに距離を詰める。
その瞬間、律はミナの腕を強く引き寄せ、
横のフェンスの破れ目へと飛び込んだ。
「待て! 律くん!」
陸の制止を振り切り、律は闇の中を走った。
後ろを振り返る余裕はない。ただ、心臓が痛いほど脈打っている。
初めて交わした言葉。
それは、歩み寄りではなく、決定的な”断絶”の確認だった。
(あの男は、俺を”人間”だと思っている。だから、あんなことが言えるんだ)
泥水を跳ね上げながら走る律の頬を、雨ではない熱いものが伝い落ちた。
殺したはずの感情が、内側で軋んだ。




