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窓の外、荒れ狂う冬の海は、これから始まる”逆襲”の前奏曲のように、深く、重く響いていた。

何度も名前を捨て、過去を焼き、何者でもなくなった二人が、自らの運命に”最後の一撃”を加えるための決意。

それは、もはや誰にも止められない、一筋の閃光となって闇を切り裂こうとしていた。


嵐の予兆か、湿った重い風が廃屋の隙間から入り込み、ランプの火を不気味に揺らしていた。

島での生活において、唯一の文明との接点は、押し入れの奥に隠された古い短波無線機だった。

それはかつて密航組織が連絡用に使っていた遺物であり、今は外部の動向──自分たちを追っているだろう警察の周波数を傍受するための”防衛の耳”となっていた。


その夜、(りく)がいつものようにダイヤルを回し、ノイズの海から情報を拾い上げようとしていたときだった。


《……ザー……聞こえるか、……陸。……そして、私の……可愛い(りつ)


突如として、砂嵐のような雑音を切り裂き、その”声”は響いた。

陸の指先が、凍りついたように止まる。

背筋を這い上がるような悍ましい寒気。


”それ”は十数年、刑事として、そして弟として、忘れたくても忘れられなかった忌まわしい旋律。


「……天野(あまの)か」

陸の声は低く、地を這うような怒りに満ちていた。


無線機のスピーカーから漏れ聞こえてくる笑い声は、以前よりもさらに人間味を失い、金属同士が擦れ合うような、冷徹な機械音に近くなっていた。


《私は、君たちのすぐ側に、ずっといたよ。……あの山小屋の紅蓮(ぐれん)の炎の中でも。……その後の、泥まみれの逃走劇の中でもね。……私は君たちの影になり、君たちの”家族ごっこ”を特等席で眺めていたのさ》


「……貴様、どこから見ている」

陸は反射的に立ち上がり、腰のナイフに手をかけながら暗い窓の外を睨みつけた。

だが、そこには月明かりに照らされた無人の砂浜と、荒れ狂う波が広がっているだけだ。


《場所なんて意味はない。……陸、君が今、その青年に注いでいる”愛”という名の不純物。……それが、律の肉体を臨界点へと追い込んでいることに、いつになったら気づくんだい?》


陸の胸の奥で、何かがゆっくりと軋みながら崩れ落ちる音がした。


「……何だと?」


《佐藤達也(たつや)が遺したプログラムは、負の感情ではなく、”人間的な充足”によって加速するように設計されている。

……君が彼を想い、彼が君を父と呼び、その心が温まるたびに、彼の細胞は”完成”を拒絶して自壊を始める。……皮肉なものだね、弟よ。


君が彼を救おうとすればするほど、君のその手が、彼の寿命を削り取っているんだ》


陸は無線機のマイクを握りしめた。

傷跡が(うず)き、包帯の下で血が滲む。

包帯男の言葉は、今の律が抱えている”青い血管”の異変と、あまりにも残酷に合致していた。


「……黙れ。……お前の戯言(たわごと)に耳を貸すつもりはない。……律に、これ以上指一本触れさせない。次に見つけたら、今度こその息の根を止めてやる」


《……ははは! 素晴らしい殺気だ。……ならば、来るがいい。……佐藤達也が最後に残した、本当の”聖域”へ。

……そこで、佐藤律の出生に隠された最後のピースと、……そして”天野陸”という凡庸な男が、なぜこの巨大な実験の”飼育員”に選ばれたのか。その全貌(ぜんぼう)を教えてあげよう》


一方的な通信は、鋭い電子音と共に途切れた。

静寂が戻った室内で、陸はしばらく、壊れた無線機を睨みつけたまま動けなかった。


『……おじさん』


背後から、衣擦(きぬず)れの音がした。

いつからそこにいたのか、律が影のように立っていた。

彼の瞳は、無線機から流れたすべての悪意を飲み込んだかのように、(くら)く、深い光を湛えている。


『……行くんでしょ。……その人が言った、終わりの場所へ』

「……行かない。……あいつの罠だ。……再び君を捕らえ、佐藤達也の実験台に戻すための誘い文句に過ぎない。……私たちは、ここで静かに暮らすんだ」

『……違うよ、おじさん』


律がゆっくりと歩み寄り、陸の震える大きな手に、自分の冷たい手を重ねた。

その接触の瞬間、陸は感じた。律の体温が、以前よりも明らかに”高く”なっている。

だが、それは生命の躍動(やくどう)ではなく、崩壊寸前の機械が発するような、危うい熱だった。


『……罠だって分かってて、それでも行くんだよ。……じゃないと、俺、本当におじさんを殺しちゃうかもしれない』

「……律、お前……何を言って……」

『……分かるんだ。

最近、あんたが俺の頭を撫でてくれるとき。あんたが俺に笑いかけてくれるとき。

……俺の脳のどこかが、それを”甘美な刺激”として解析して、……あんたのその喉元を噛み切りたいっていう、強烈な衝動に変換しちゃうんだ。

……その人の言った通りだよ。俺たちが仲良くすればするほど、俺の中の”怪物”が、あんたを食べようとして目覚めるんだ』


律の瞳の奥に、一瞬だけ、あの真っ赤な、そして冷徹な”捕食者”の光が明滅した。

律は自分の喉をかき抱くようにして、その場にうずくまった。


『……おじさん。……俺、怪物としてあんたを殺すくらいなら、……人間として、あいつと刺し違えて死にたい。……それが、俺の最後の、たった一つのわがままなんだ』


陸は、(うずくま)る律を強く抱きしめた。

律の体から発せられる熱が、陸の胸を焼く。

あの日、青年が父親を殺して始まったこの物語は、手錠で繋がれた運命を道連れに、今、最も残酷な最終局面へと向かおうとしていた。

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