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皮膚はつぎはぎだらけで、筋肉の走行を無視したような手術痕が幾重にも重なっている。それは、(りつ)が施されている”完璧な調整”の、一歩手前の姿。父親の試行錯誤の歴史そのものだった。


「……律、くん。……私こそが、佐藤達也(たつや)の”最初の最高傑作”になるはずだった男……天野(あまの)、とでも名乗っておこうか」

「……天野?」

(りく)が、その名字に激しく反応した。


「ああ、天野陸元警部補。君が”死んだ兄”として、ずっと仏壇に供えていた写真の男だよ。

……お前が正義の味方ごっこをしている間、私はこの地獄で、あいつのメスに刻まれていたんだ」

「兄さん……? そんな、兄さんは十年前の事故で……!」

「事故じゃない。……佐藤達也に”買われた"んだよ。君の、俺らの実の父親の手で売られたんだよ」

洞窟の中に、残酷な真実が響き渡る。


律の父親、佐藤達也は、理想の個体を作るために、貧しい家庭や借金塗れの家庭から”子供”を買い漁っていた。陸の兄も、その一人だったのだ。


「……律くん。君の父親は、私で失敗したから、君を作った。……君のその完璧な骨格も、強靭な内臓も、すべては私の肉を切り刻んだデータの上に成り立っている……」

包帯男が、狂気を宿した瞳で律を見つめる。

「……悔しいだろう? 自分の存在が、誰かの犠牲の上に積み上げられたブロックだと知って。……だから、終わらせてやろう。……君が死ねば、佐藤達也の歴史は、本当の意味で”無”になる」


「……やめろ!!」

陸が、咆哮と共に包帯男へ飛びかかった。

実の兄。死んだと思っていた、家族の記憶。その変わり果てた姿に、陸の理性は限界を超えていた。


だが、包帯男の体は、義理の父親、佐藤達也によって”強化”されていた。

陸の拳を軽々と受け流し、逆にその腹部に鋭い蹴りを叩き込む。


「……無駄だ、陸。……私の中には、お前たちが決して到達できない”悪魔の叡智”が詰まっている」

『……おじさん!!』

律が叫ぶ。


律は知っていた。包帯男が使っているのは、父親が自分に叩き込んだ”効率的に人を壊すための格闘術”だ。


『……あんたが、俺の”先代”だって言うなら、分かってるだろ』

律は、焚き火の中にあった燃え盛る流木を掴み、包帯男の前に立ち塞がった。

『……お父さんはね。……”失敗作”には、必ず逃げ道を作っておくんだ。……あんたのその右足の付け根。……そこ、まだ痛むだろ? 繋ぎ方が甘いんだよ』


包帯男の表情が、驚愕に凍りつく。


「……なぜ、それを……!」

『……俺は、あんたを解剖した記録を、全部読まされたからだよ! お父さんは言ってた。

……”お前の兄になるはずだったゴミは、ここで動かなくなった”って!』


律の言葉は、包帯男のプライドを無惨に引き裂いた。

律は、父親への憎しみを、今、その”知識”を武器にして、陸を守るために振るった。


『……行け、おじさん! 崖の裏に、古いボートがあるはずだ! あいつの資料に書いてあった!』

「……律、君も一緒に──」

『俺はこいつを止める! ……おじさんは、生きて、俺を証明しろよ! あの時、警察手帳を破り捨てたあんたが、今の俺の唯一の”正義”なんだから!』


律が、炎を纏った流木を包帯男の顔面へ振り下ろす。

洞窟が火花に包まれ、その隙に陸は律の腕を掴み、強制的に走り出した。


「……一人で死なせるか、バカ野郎!!」

陸は、律を抱え上げるようにして、洞窟の奥にある秘密の抜け道へと飛び込んだ。

背後で、天野の絶叫が響く。


「……佐藤律ーーー!! 逃げられると思うな! 君の血は、あいつの血だ!! どこへ行っても、闇が追いかけてくるぞ!!」

『……上等だ』


包帯男の、喉をかき毟るような絶叫が背後に遠ざかる。


二人は、崩れかけた岩礁を飛び越え、波に洗われる狭い入り江へと滑り込んだ。そこには律が予見した通り、流木や漂着したゴミに半分埋もれるようにして、一台の小型ボートが係留されていた。

それは、父親がかつて”実験体”を運び、あるいは”不都合な証拠”を処分するために用意していた、闇の残滓だった。


「……律くん、乗れ! 早く!」

陸が律の背中を押し、自身もボートへ飛び込む。

崖の上からは、絶え間なくサーチライトの光線が海面をなぞっていた。何十台ものパトカーが集結し、拡声器から発せられる投降勧告が、荒れ狂う潮風にかき消されながらも、呪文のように二人の耳を打つ。


「ターゲット確認! 崖下にボートあり! 射撃準備!」

無線機から漏れるような冷徹な声が聞こえた。陸は焦燥に駆られながら、エンジンの始動紐を力任せに引く。だが、長年潮風に晒されていた老朽化した機械は、カチカチと虚しい金属音を立てるだけで、一向に火が灯る気配がない。


「……クソッ、かかれ……かかってくれ! 動けよ!!」

陸の額に汗が滲む。かつての仲間たちが、今、自分たちを”排除すべき害獣”として狙撃しようとしている。その恐怖よりも、自分の無力さで律を死なせてしまうことへの絶望が、陸の右手を震わせていた。


『貸して、おじさん! 力任せじゃダメだ。

……機械は人間と同じ。急所を撫でて、呼吸を合わせてやれば、死体でも動き出す』

律が、陸の震える手を静かに、しかし強く払いのけた。律の瞳には、死への恐怖ではなく、父親から叩き込まれた”冷徹な知性”が宿っていた。


青年は、エンジンのカバーを乱暴に剥ぎ取ると、キャブレターの隙間に細い指を滑り込ませた。ある一点の部品を強く圧迫し、ガソリンの流れを指先で感じながら、もう片方の手で静かに紐を引く。


──ガガッ、……ドォンッ!!


咆哮。古びたエンジンが、蓄積した錆を黒煙と共に吐き出しながら、凄まじい振動と共に目覚めた。


『……いった! おじさん、舵を! 最大出力で!』


ボートは荒波を蹴立て、沖へと突き進む。背後の崖では、天野が執念深く追ってきていた。彼は警察の銃火にさらされながらも、崖の縁で両手を広げ、二人が乗ったボートを指差して狂ったように笑っている。その姿は、お父さんに壊された者たちの末路そのものだった。


『……おじさん、見て。これがお父さんの”贈り物”だよ』

律が、ボートの座席の下を指差した。陸は舵を握りながら、足元に視線を落とし、息を呑んだ。

そこには、小型ボートには不釣り合いなほど大量の”可燃性薬品”と”時限発火装置”が、システマチックに配置されていた。配線の一本一本が美しく整えられ、中央のデジタルタイマーが、赤く”03:00”を刻んでいる。

『……お父さんは、最初からこれを準備してたんだ。……自分の”最高傑作”が、世の中に捕まりそうになった時、誰にもその中身を覗かせないための……巨大な消しゴム。証拠隠滅用の自爆装置だ』


陸は、赤く明滅する数字を見つめた。

あと三分。

このボートを沖まで走らせれば、爆発は避けられない。だが、それは同時に、世界に対して”佐藤律と天野陸は死んだ”と宣言するチャンスでもあった。


「……律くん。この装置を動かせば、ボートは木っ端微塵になる。……死ぬのは、私たちか。それとも……”これまでの名前”か」

二人は、跳ね上がる波しぶきの中で顔を見合わせた。

サーチライトが背後からボートを捉え、海面が真っ白に発光する。銃声が響き、ボートの船縁を弾丸が削り取っていく。


『……一回死んだ身だ。名前なんて、もういらないよ』

律が、陸の手首に残る、あの一本の鎖で繋がっていた頃の”手錠の破片”をそっと握りしめた。

『……俺は、あんたの隣にいる、名前のない『何か』でいい。……あいつの傑作でもない。警察の容疑者でもない……ただの、俺になりたい』


陸は、律のその言葉に、自分の中に残っていた最後の”未練”が消えるのを感じた。警察官としての自分、社会的な地位、家族の墓。それらすべてを、この冬の海に沈める覚悟が決まった。


「……ああ。……死ぬぞ、律くん。……この世界から、もう一度だけ、徹底的に」


陸はタイマーの起動スイッチを押し込んだ。

赤い数字が、残酷な速さでカウントダウンを開始する。


『……おじさん。怖い?』

律が、風の中で聞いた。その瞳には、初めて見る”年相応の不安”が揺れていた。


「……いいや。……不思議と、君と繋がっていた手首が、今一番温かい」

陸は律の体を自分のコートの中に抱き込み、舵を固定した。


あと三十秒。


ボートは無人のまま、荒波を越えて沖へと突き進んでいくように見せかける。


「……飛べ!!」

二人は、救命胴衣すら持たず、極寒の冬の海へと身を躍らせた。


氷のような水が、全身を刺し、肺から空気を奪い去る。

水中で陸は、律の手を、決して離さないように握りしめた。


──数秒後。


夜の海を、太陽が生まれたかのような巨大な爆鳴炎が切り裂いた。


ボートの残骸が火の粉となって夜空に舞い、巨大な衝撃波が海面を叩く。

崖の上にいた警察官たちは、その地獄のような光景を前に、誰もが二人の生存を絶望視した。


水中で、陸は律の体を引き寄せた。

頭上で燃え盛る火柱が、水面を通してオレンジ色の光となって届く。

泡の向こう側、自分たちの”過去”が燃え尽きていくのを、二人はただ、一つの鼓動を分かち合いながら見つめていた。


こうして、世界は二人を”抹消”した。

冷たい海の底で、新しく生まれ変わるための、長い沈黙が始まった。

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