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バカたちが命を懸けて守った”利権”──それは、二人がまだ”生きている”という、ただそれだけの、けれど何よりも尊い事実だった。


波の音だけが、絶え間なく洞窟の奥へと響いていた。

断崖の裾に隠されたその空洞は、潮の香りと、数十年分の湿気が凝固したような、重苦しい静寂に満ちている。


「……はぁ、っ、……はぁ……」

(りく)は、(りつ)を岩肌に預けるように座らせると、自分もその場に崩れ落ちた。


バカたちが作った炎の壁から逃げ延び、激しい崖下りを強行した体は限界を超えている。だが、陸は止まらなかった。震える手でライターを灯し、打ち寄せられた流木を掻き集める。


『……おじさん。……もういいよ。そんなの……』

律の声は、凍てつく波しぶきに洗われて、今にも消えてしまいそうだった。

ずぶ濡れのシャツが、青年の細い肩に張り付いている。震えを止める術を持たず、律は自分の膝を抱えて、ただ虚空を見つめていた。


「……良くない。……低体温症になれば、命に関わる」


陸は、火をともした。小さな、けれど確かな黄金色の光が、洞窟の湿った壁を照らし出す。

陸は自分のコートを脱ぎ、迷わず律の肩に被せた。


「……脱いで。……服が濡れたままだと、火があっても体温を奪われる」

『…………やだ。……見ないで』


律が、拒絶するように自分を抱きしめた。

その肩には、父親による”教育”の痕跡が、文字通り刻まれている。

解剖学的な理解を深めるために施された、無数の手術痕や実験の跡。

それは、彼が”最高傑作”であることを証明する、呪いの紋章だった。


「……律。……僕は、君を”佐藤達也(たつや)の息子”として見ているんじゃない」

陸は、律の前に跪いた。

炎に照らされた陸の瞳は、深く、静かで、慈愛に満ちていた。刑事としての”正義”をとうに捨てた男の瞳には、もう、裁きや分析の色はない。


「……ただの、一人の子供として。……今、ここで震えている君を、助けたいんだ」

陸は、そっと律の右手に触れた。


鎖はもうない。しかし、手錠の残骸が、依然として律の手首に食い込んでいる。

陸はその金属に指を添え、祈るように囁いた。


「……あいつらは、命を懸けて君を逃がした。

……君が怪物だからじゃない。君が、生きて笑うべき人間だと思ったからだ」


律の瞳に、再び熱いものが込み上げた。


自分を怪物として育てた父。

自分を犯罪者として追った警察。

自分を利権として命を懸けて守ったバカたち。


そして今、自分を”人間”として心の奥底から抱きしめようとする、この愚かな男。



『わかんないよ。……俺、自分が何なのか、もうわかんない……っ』

律は、陸の胸に顔を埋め、幼い子供のように声を上げて泣いた。

陸は、そんな律を黙って抱きしめた。


洞窟の外では、冬の海が牙を剥き、警察のサイレンが微かに聞こえる。

しかし、この火の傍らで、律は初めて”最高傑作”という重荷を降ろし、一人の『律』という人間として、産声を上げたのかもしれない。


「……いいんだ。……それでいいんだ、律くん」


二人の影が、洞窟の壁に大きく重なり合って揺れている。

物理的な鎖が外れたからこそ生まれた、この世のなによりも濃い、魂の結び目。


洞窟の奥、流木の火が爆ぜた。

その瞬間、入り口を塞いでいた闇が、まるで生き物のように蠢いていた。


「……感動的な光景だ。反吐が出るほどに」

掠れた声。包帯を全身に巻いた男が、音もなくそこに立っていた。

背後には、荒れ狂う冬の海。彼は濡れたトレンチコートを重そうに引きずり、顔の半分を覆う包帯を、指先で愛おしそうになぞった。


「……あんた、どうやってここを」

陸が律を庇うように立ち上がる。肩の傷は律の処置で塞がっているが、蓄積した疲労が陸の膝を震わせていた。


「この地下の迷宮を、私以上に知っている者はいない……。何しろ、私は十年前、この洞窟で”死んだ”ことになっているからな」

男がゆっくりと、顔の包帯を解いていく。


剥き出しになったその素顔を見て、律は息を呑んだ。


そこにあったのは、律によく似た面影を持った男の、無惨な”残骸”だった。

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