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軽トラのエンジンが、限界に近い悲鳴を上げていた。
海岸沿いの国道は、切り立った崖と荒れ狂う冬の海に挟まれた一本道。その前方、数百メートル先には、無数の散光式警光灯が夜の闇をどす黒く染め上げていた。
「アニキー! 前、バリケードっす! 完全に詰んでるっすよ!」
助手席の大きな絆創膏を貼った面が、裏返った声で叫ぶ。
ハンドルを握るアロハ男は、ガムを噛み締める顎に力を込め、前方を見据えた。
「……あいつら、俺たちの”利権”を舐めやがって」
荷台のブルーシートを跳ね除け、陸が身を乗り出した。
「おい、止まれ! このままでは突っ込むことになる。君たちまで死ぬ必要はない!」
陸の叫びに、アロハ男はルームミラー越しにニヤリと笑ってみせた。
「おじさん、勘違いすんなよ。……俺たちはよ、佐藤達也にゴミみたいに捨てられたんだ。ずっと、あいつに一泡吹かせてやりたいと思ってた」
アロハ男は、アクセルをさらに踏み込む。
「あのガキを、あいつの望み通り『怪物』として警察に引き渡すんじゃねえ。……『人間』として逃がしてやる。それが、俺たちの復讐なんだよ!」
律は、陸の腕の中で目を見開いた。
父親の狂気も、陸の正義も知らない、ただのバカな男たち。彼らが今、自分の命をチップにして、自分という存在を肯定しようとしている。
『……なんで。あんたたち、俺が、俺たちが誰かも、本当は分かってないくせに』
「分かってるさ! お前は、俺たちの”シリコン利権”の象徴だろ!」
アロハ男が、全く噛み合わない理屈を絶叫した。
「おい、整形コンビ! ガードレールの切れ目が見えたら飛び降りろ! そこから崖を下れば、海沿いに古い洞窟がある。……そこから先は、自力でいけ!」
「待て、君たちはどうするんだ!」
陸が手を伸ばすが、アロハ男はそれを振り払うように速度を上げた。
「俺たちは一度、派手に主役をやってみたかったんだよ! ほら、行け!」
軽トラが大きく左へ急旋回した瞬間。
陸は律の体を強く抱きしめ、荷台から夜の闇へと身を投げた。
アスファルトの上をごろごろと転がり、摩擦で皮膚が焼けるような熱さを感じる。だが、陸は律の頭を死守し、自分の体で衝撃をすべて受け止めた。
地面に這いつくばったまま、二人が見たのは、猛スピードでバリケードへと突進していく軽トラの背中だった。
「利権だあああああああ!! ざまあ見やがれ、警察野郎どもーーー!!!!!」
轟音。
衝突の衝撃で、軽トラのフロントが大破し、ガソリンが漏れ出す。
次の瞬間、巨大な火柱が夜空を焦がした。爆風が崖の上まで吹き荒れ、パトカーの列が混乱に包まれる。
『……あ……』
律は、炎に包まれる軽トラを、言葉を失って見つめていた。
あんなに下品で、うるさくて、話の通じなかった男たちが、今は神々しいまでの炎となって自分たちの背中を隠している。
「律くん、立つんだ。……彼らが、道を作ってくれた」
陸が、震える足で立ち上がり、律の腕を引いた。
背後ではパトカーの怒号と、消火器の噴射音が響いている。だが、炎の壁に阻まれ、警察はこちらを見失っている。
『……おじさん。あいつら、バカだよ。本当に、最後まで救いようのないバカだよ』
律の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
それは、父親に壊された時にも、陸に追い詰められた時にも出なかった、熱くて純粋な涙だった。
「ああ。……最高のバカたちだ」
二人は、炎に背を向け、暗い崖の下へと駆け下りた。
手錠が外れたはずの右手を、律は何度も何度も、陸の服に押し当てて、自分が生きていること、陸がそばにいること、今目の前で起きていることを確認した。




