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地下道の静寂を切り裂いたのは、訓練された集団だけが放つ、冷徹なブーツの足音だった。

「ターゲット確認! ……天野(あまの)(りく)元警部補、および佐藤(りつ)!」


SAT(特殊班)の隊員たちが、銃口を向けたまま、半円形の陣形で二人を包囲した。

その中心に、かつての陸の直属の上司、捜査一課の管理官、室井が立っていた。彼は、防弾ヘルメットの上からでも分かるほど、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「……天野。観念しろ。肩を撃たれたお前が、そのガキを連れてどこまで逃げられると思っていた」


室井の声には、憐れみと、そして処理を急ぐ焦燥が混じっていた。

警察側のシナリオでは、陸は今頃、出血多量で意識を失っているか、あるいは絶望の中で律にトドメを刺しているはずだった。


だが、陸はゆっくりと、微塵の揺らぎもなく立ち上がった。

「……管理官。ご心配なく。私の肩なら、この通りです」

陸は、あえて”撃たれたはずの右肩”を大きく回してみせた。


シャツには血の跡がこびりついているが、その動きに苦痛の影はない。

それどころか、警察官時代よりも血色が良く、その瞳には奇妙な活力が宿っている。


「……なんだと? 報告では、確実に命中したと……」

『えっ、もしかして驚いてる? おじさんたち』


陸の隣で、律がクスクスと、鈴の鳴るような、しかし、氷のように冷たい笑い声を上げた。

律は繋がれた右手で、わざとらしく陸の肩に触れてみせる。


『……警察の”正義の弾丸”って、案外大したことないんだね。お父さんから教わった”肉の繋ぎ方”の方が、よっぽど役に立ったよ。

あ、知りたい? 焦げた肉の匂いを嗅ぎながら針を通す時のコツ』

「貴様……っ、何を言っている!」

『怒らないでよ。せっかくおじさんが、あんたたちの期待を裏切って生きてるんだから、喜んであげなよ。……それとも何? ”死んでくれないと不都合なこと”でもあるのかな。裏金とか、隠蔽とか、お父さんとの秘密のデート……とか』


律の言葉は、一本一本が毒を塗った針のように、室井たちの”正義”を刺し貫いていく。

警察官たちは、律のあまりにも年相応な、そしてあまりにも残酷な煽りに、たじろいだ。彼らにとって、律は”守るべき青年”か”恐ろしい殺人犯”のどちらかでなければならなかった。

だが、目の前にいるのは、かつての自分たちのエース()を”おじさん”と呼び、自分たちの無能を嘲笑う、正体不明の”悪意”そのものだった。


「……黙れ、小僧、天野、そのガキから離れろ。洗脳されているのか?」

「洗脳、か。……そうかもしれませんね」


陸は、手錠で繋がれた左手を、室井に見せつけるように高く掲げた。

銀色の枷が、ライトの光を反射して鋭く輝く。


「……ですが、私を正気に戻してくれたのは、君たちの銃弾だ。……室井さん。この子は言いましたよ。『警察の正義って、これのこと?』って。……私は、それに答える言葉を持っていなかった。いや、持てなかった」

「天野! 貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか!」

「ああ、よく分かっていますよ。……私はもう、君たちの仲間じゃない。……この子の、ただの”鎖”だ」


陸の宣言と共に、地下道に充満する殺気が一段階、跳ね上がった。


『……いいよ、おじさん。そんな格好いいこと言わなくて。……ほら、向こうの人たち、顔真っ赤。……ねえ、次は何を試す? また撃つの?それとも、俺たちの仲の良さに嫉妬して、手錠のスペアキーでも投げてくれる?』


律の挑発が、静寂の限界を突破した。

室井が、忌々しそうに右手を振り上げる。


「……構わん。両名とも、射殺許可を出す。……警察の威信にかけて、その口を閉じさせろ」

『……ざーんねーん……でも、上等だよ。おじさん、逃げる準備は?』

「……いつでもいいぞ、律くん」


二人は、光り輝く銃口の列を前にして、不敵に笑い合った。

手錠がジャラリと鳴る。

かつての”英雄”と”傑作”が、国家という巨大な怪物に、二人きりで喧嘩を売った瞬間だった。


「射殺許可!」


室井の叫び声が、地下道に響き渡る。

SAT隊員たちの銃口から火花が散り、コンクリートの壁に弾丸が食い込む乾いた音が、鼓膜を震わせた。


「伏せろ、律くん!」

陸は、繋がれた左腕を強く引き、律の体を地面に押し倒した。


弾丸が、二人の頭上を掠めていく。陸は警察官時代の経験で、銃弾がどこから来るか、どこへ逃げれば死角になるかを瞬時に判断した。


「……右だ! 右の配管の下へ潜り込め!」

『はいはい、おじさん、指示がうるさい!!』

律は文句を言いながらも、陸と呼吸を合わせ、泥だらけの床を這った。


手錠が、二人の動きを強制的にシンクロさせる。陸が右へ傾けば律も右へ、陸が体を起こせば律も同じように動く。それはまるで、長年訓練されたバディのように、寸分の狂いもない連携だった。


二人が配管の影に隠れた直後、隊員たちが次々とその場になだれ込んでくる。

高性能な暗視ゴーグルと戦術ライトが、地下道の闇を切り裂いた。


「ターゲットを見失いました! 」

「奥へ追え!」

「律くん、聞いてくれ。この地下道は、昔の軍事施設の名残だ。ところどころに、外部への脱出経路があるはずだ。……だが、それは”罠”でもある」


陸は、耳元で律に囁いた。


「私たちは、奴らと同じ速度で逃げてはいけない。……奴らの”常識”を逆手に取るんだ」

『……どういうことだよ』

「この地下道には、複数の連絡通路がある。奴らは、我々が”最も早く脱出できそうな経路”を選ぶと考えるだろう。……だが、私たちは、奴らが罠だと思って決して選ばない場所へ行く」


律は、陸の顔を見上げた。

そこには、警察手帳を破り捨てた時に見た、”正義”とは違う、研ぎ澄まされた”生存本能”の光が宿っていた。


『……つまり、一番”非効率”な場所、ってこと?』

「その通りだ。……そこには必ず、奴らが仕掛けた罠がある。それを、私たちが利用する」


陸は、泥水に浸かった床に、指で簡単な図面を描いた。

地下道の構造、連絡通路の配置、そして、警察が設置しそうな監視カメラやセンサーの予測地点。


「……あのバカたちが騒いでいた場所、覚えているか? ”俺たちのカップ麺が盗まれた”と」

『ああ、腐った匂いがする、汚ねえ水路の先だろ』

「そこだ。あの水路は、この地下道に設置された排水システムの一部だ。通常、人間は通らない。……だが、そこには、地上へと繋がる小さな”点検口”があるはずだ」

『……そんな場所、警察が罠を仕掛けないわけないだろ』

「その罠こそが、私たちの逃走経路になる」


陸は、律の手を強く握った。


「行くぞ。……今から私たちは、奴らが最も恐れる”想定外の存在”になるんだ」


再び、銃声が響き渡る。

二人は、お互いの呼吸を感じながら、まるで一匹の獣のように地下の迷宮を駆け抜けた。

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