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陸が去ったセーフハウスは、皮肉なほど静まり返っていた。
律は一人、テーブルの上に残された”報告書”を手に取る。そこには父親が通じていた組織のフロント企業、資金源、そしてあの日自分を襲った”ウサギ”たちの拠点候補が、陸の緻密な捜査によって記されていた。
(……刑事さん。あんたは、これを俺に見せれば、俺が絶望してあんたに縋ると思ったんだろうけど)
律は報告書を無造作に折り畳み、ポケットにねじ込んだ。
『逆だよ。……これは、俺が奴らを殺すための地図だ』
律はセーフハウスの備え付けのナイフを手に取り、その重みを確かめる。
半年間、静かに癒えさせてきた左腕。その筋肉が、獲物を求めるように微かに脈打った。
夜の帳が降りた街。
律が向かったのは、報告書にあった”港区の古い雑居ビル”だった。
表向きは輸入雑貨の会社だが、その実態は父親がかつて組織から”サンプル”の維持費を受け取っていた中継地点の一つ。
ビルの裏口。律は気配を殺し、影に同化した。
見張りは二人。かつての律なら、恐怖に足がすくんでいたかもしれない。
だが今、律の脳内には”父親の教育”が、冷徹な生存本能として再生されている。
(「急所は力で突くものじゃない。相手の動きを”理解”し、そこに刃を置く」)
(……ああ、分かってるよ。お父さん)
律は一気に飛び出した。
一人目の見張りが声を上げる暇もなく、律のナイフがその喉元を撫でる。鮮血が夜の空気に舞う。二人目が銃を抜こうとするより早く、律はその懐に潜り込み、心臓の隙間に正確に刃を沈めた。
死体が崩れ落ちる音さえ、律には心地よい。
罪悪感はない。あるのは、自分を"人形"として扱おうとする世界への、激しい冒涜の快感だけだ。
ビルの奥。事務所のデスクに座っていた中年の男が、血まみれの青年を見て絶句した。
「お、お前……佐藤のところの……!」
『……佐藤律は死んだよ。半年前、あの資材置き場でな』
律は男の首筋にナイフを押し当てた。
『ウサギの着ぐるみ、まだ持ってるか?
……あいつらを呼べ。俺を”回収”しに来いって、今すぐ伝えろ』
律の瞳は、濁りのない暗黒に染まっていた。
陸の信じる”光”も、父親の強いた”支配”も、今の律を止めることはできない。
律は、あえて自分を餌にして、組織の”ウサギ”たちをすべて引きずり出し、一匹残らず食い殺すつもりだった。
『お父さん。あんたが作った『傑作』が、あんたの庭をめちゃくちゃにするのを……地獄で見届けてくれ』
その夜、港区の片隅で、静かな、けれど決定的な開戦の火蓋が切られた。




