第九話 旅立ちの日
「ねえクリル、アンティルさんを呼んで来てもらえないかしら。お礼もしなくちゃいけないし、出発するまではうちでご飯を食べてもらいましょ、それがいいわ」
話を終えたクリル一家は家へと戻り一息をつきつつ、晩御飯の準備へ取り掛かっているところだった。アンティルはどこかへ立ち去ってしまい、食事や宿などはどうするつもりなのか検討がつかなかったが、恩人を放っておくわけにはいかないだろう。
「うん、ちょっと探してくる」
「おーい、また遠くまで行って迷惑かけるんじゃないぞー」
「わかってる」
サリフが半分は冗談で、半分は本気で心配するような調子で声を掛けてきた。家を出て、アンティルのいる方へ歩き出す。本来なら彼の行き先など検討がつかないはずであるが、クリルには何かアンティル特有の気配のようなモノがわかるようになっていた。これが魔力なのかな、なんて思いつつ里の外れ――古びた大木がそびえ立つ丘へと向かった。
アンティルは大木の幹に手を当て、何かを感じ取るように目を閉じ、そこに佇んでいた。
「……あの、邪魔してごめん。何をしているの?」
「ああ、里長から聞いてな。この古木はあのオウロウに縁があるのだろう。立派な木だな。
何か得るものはないかと調べていたが、得には何もなさそうだ」
周囲の木々と比べても並外れて大きいこの大木は、その昔英雄オウロウがこの地に植えたものであると言い伝えられており、里の者達には神聖なものとして『オウロウの大樹』と呼ばれている。
「オウロウの大樹って言われている……ずっと世界を見てきたのかな、わたし達の知らないこともいろいろ」
樹齢としては数百年になるのだろうが、その幹はどっしりと揺らぐことなく、縦横無尽に伸びる枝葉は生命力に満ち溢れていた。
「あ、そうだ。うちで食事を食べていって欲しいって。お母さんが。迷惑?」
「……ご婦人の招待を無碍にはできんな。同行しよう」
◆◆◆
「お口に合うかしら?」
「ああ、見慣れない料理だが、美味いものだなこれは。それに、この酒も……高級品じゃないのか、気を遣わせたな」
「いいのいいの。色々お世話になっちゃったんだから、これぐらいさせてくださいな」
クリルの家に招待されてアンティルは一家と共に夕飯をご馳走になっているところだった。魔人も他の種族と同じように食事は摂るし、味覚もそう変わってはいない。
アンティルを好意的に歓迎し料理を振る舞うミーリャとは対照的にサリフの口数は少なく、神妙な顔をして黙々と食事を口に運んでいるばかりだった。
「……アンティルさん、こんな子供が旅に出て、無事でいられるものなんですかね」
おもむろにサリフが口を開き、アンティルを睨むように話し始めた。
「狐尾人のことに詳しくはないが、この年齢で一人で生きている者ならそう珍しくはないだろう。生き抜く力は必要だがな」
「その力がこの子にはあると……?」
「魔法の素質はある。護身用ぐらいにはなるだろう。だがそれより大事なものは意志の力だ。自分の子のことなら、わかっているはずだ」
「あなた、本当はもうわかってるんでしょ? クリルの決意は固いし、言ってることも間違ってないわ。一生会えないわけじゃないんだから。
……ごめんなさいね、お父さんも寂しいだけなのよ。私達は納得したわ。ただ、お別れの時間が少し欲しいだけなの……
アンティルさん、どうかクリルをお願いしますね」
煮え切らない態度で追い縋るサリフを諌めるようにミーリャがそっと話し出した。今が娘の旅立ちの時なのだと、もう二人とも理解していた。後は心の問題だけである。
「……央都までの道中は任された」
◆◆◆
そして三日後、旅立ちの日は来た。
『最果ての街』――イトゥアンは狐尾人の里から南東の方向、海に面した街である。森へと続く道にはサリフとミーリャ、里長とその側近達や個人的に親しい者達が見送りに集まっていた。ミーリャは晴れ晴れとした表情で、サリフはやはり心配混じりの情けない表情で娘の門出を見守っていた。
「クリル、辛いことがあればいつでも帰って来るんだぞ。誰が何と言おうがお前の故郷ーー帰って来る場所はここなんだからな」
「うん……わかってる。きっと帰って来るから、大丈夫」
「体に気を付けるのよ。忘れものはない? 好きな人ができたら、ちゃんと紹介しに帰って来るのよ。
アンティルさんもどうかご無事で。この子を宜しくお願いしますね」
「わかってる、お母さん……ちゃんと帰って来るからね」
旅装束に身を包んだクリルは父と母に別れを済ませ、きりっと表情を切り替える。アンティルに目配せし、軽く頷いた。それを合図に二人は歩き出す。
「世話になったな」
「それはこちらの台詞じゃ。アンティル殿……お主の歩む道はあまりにも困難な道になるじゃろう。儂らに協力できることは少ないが、せめてその道中に英雄オウロウの加護があらんことを」
最後にアンティルは長に挨拶をし一礼すると、身長差のある二人はイトゥアンへの道を進みだした。振り返ることはなく、真っ直ぐに前へ前へと歩いていく、クリルの目には涙が溢れていた。




