23 ラーメン食べたかったです。
雨上がりの空。ぬかるむ道を歩き、私は街へと向かう。
遠く山の後ろには天使の梯子がかかり、山に広がる木々へと光が差し込んでいた。
先ほどの雨で湿り気を帯びたジャケットが冬風を吸い込んで悪寒がした。
濡れた髪が首筋に張り付かないよう、私はポケットから黒色の紐を取り出して一つに結びあげる。手で掻き上げれば、湿った前髪はワックスがなくとも邪魔にはならない程度にオールバックとなった。
スラックスは膝下からかなり濡れて、肌に張り付いている。
私はワイシャツの襟を立てて身震いする。
「さっむ、ラーメンでも食べていくかな」
私はポケットに入れていた黒色の手袋を両手にはめた。
市街地へと出るため歩いていけば、段々と道路も地が固まっていき、ぬかるむ水溜りの数も少なくなってきた。
夕刻が迫る町並みは徐々にランプの明かりが灯り始める。
中央の広場へと続く石畳の道に足を踏み入れた時だった。
「いいから金を寄越せと言ってるんだ!」
怒鳴り散らす男の声に私は足を止めた。
視線を横へとずらせば、小道で数人の男たちが貴族らしい格好をした子供を囲んでいた。
「話せばわかるわ!私達はここへ少し寄っただけよ」
「そんな話してんじゃねー!金寄越せって言ってんだよ」
男たちへ反論する声は聞き覚えのある少女のものだった。
その見当はずれな話し方もまたそっくり。
「アイリスの言う通りですよー!貴方はいきなりなんなのですかー!」
ぷりぷりと怒る少年は、生徒会元気っ子書記。
「いきなり絡んで来て、俺達にこのような無礼を働いてただで済むと思っているのか?」
冷え冷えとした声で言い放っているのは、生徒会室美人書記。
よりにも寄って役に立たなそうなメンツがそろい踏みだった。
せめてイケメン四天王のうちラビスかバルトがいれば応戦できただろうし、メガネ副会長がいれば無難な話し合いが…いや、あれは事態を悪化させるタイプか。
「あまり関わり合いたくないんだけどね…」
私は石畳の橋に抱えていた靴箱とピーマンの袋を置き、仕方なしに小道へと踏み入った。
男達との距離は約10mほど、すぐに彼らの目が私へと向けられる。
「はっ!これはこれは、今日はお貴族様によく会うな」
男はニヤニヤと下卑た笑いを隠しもしない。
「ご機嫌麗しゅう?とでも言えば満足かい?」
私は鼻で笑いながら、ジャケットの内ポケットへと手を入れる。
「誰が挨拶してくれと言った?俺たちを馬鹿にしてんのか?」
男達は警戒した様子で腰に下げていたナイフを手に取る。
「そんなに警戒しなくてもとって食いはしないさ」
私は内ポケットから金貨の入った袋を取り出した。
「これで見逃してはくれないかい?」
私は男たちへ袋を放り投げた。
「……。」
男たちはしばし思案するように顔を見合わせる。
私はその隙にアイリスたちを逃すため、アイリスへとゆっくり近づく。
「あ!わかりました!おかしな格好しているから気付きませんでしたが、貴女は悪役令嬢ですねー!」
元気っ子書記はいきなり私を指差し大声を出した。
バルトにはバレなかったため上手くいくと思ったが、元気っ子書記は想像より他人の顔を覚えているらしかった。
ただし、空気を読む能力は欠如しているようだけれど。
「あ!貴女クラウディアでしょ?助けに来てくれたの?」
呑気な声でアイリスが手を叩き、嬉しそうに破顔する。
美人書記は私になど目もくれず、嬉しそうに笑うアイリスの顔に魅入っている様子だった。
「へー?てっきり男かと思ったが、お嬢ちゃんだったのか」
アイリスたちの言葉に反応したのは、彼女らを囲んでいた男たちだった。
ーーなんで私が穏便に逃げようとしていたところをアイリスたちは。
私は呆れてため息を漏らしそうになる。
「金は渡しただろう?それで勘弁してくれないかい?」
私は困った顔を作り、男達へと問いかける。
「これじゃ足りねえな?せっかくだ、人質にでもさせてもらうか」
男達は私が女だとわかった瞬間、下品な笑みでこちらへと近付いてきた。
「…ったく、男尊女卑は古くさいと思わないかい?」
男たちは総勢で8人、ナイフや剣を持ってはいるようだが、ピストル等の飛び道具はなさそうだ。
「いいや?レディーファーストってやつさ」
男は余裕の表情で大振りに腕を振り上げる。
私はギリギリまで動かず、間合いが詰まってきた瞬間に左斜め下へと潜り込み、ーーナイフを持って切りかかってくる腕を上腕で受け流しながらーー1本背負いで投げ飛ばした。
「かはっ、」
地面へ受け身も取らずに叩きつけられた男は衝撃に嗚咽を漏らす。
私は掴んでいた男の肩関節を固め、勢いよく関節を外す。
「あ"あああ!!」
男の叫びには構わず、男の腕をブーツの踵で踏み付け、男が手に持っていたナイフを奪う。
「お頭っ!」
部下だと思われる残り7名は顔を青くさせている。
「へえ?こいつが頭かい?随分と可愛らしいじゃないか」
私は奪ったナイフを片手で弄びながら、ゆっくりと男たちへと近づく。
「来るな!こいつがどうなってもいいのか!?」
男の1人が美人書記を羽交い締めにしていた。
「カロン!?」
悲痛な声で美人書記を呼ぶのはアイリスだ。アイリスはその場にへたり込み、顔を青くしている。
「…酷い絵面だね?美女と野獣にしては前衛的だよ」
「うるさいっ!早く武器を捨てろ!」
「捨てるも何も、これは私のものではないが…分かったよ」
私はナイフを持つ手をだらりと下げーー男へとナイフを放り投げた。
ナイフは美人書記を羽交い締めにする男の手の平に突き刺さる。
あと数センチでも狙いを外せば、美人書記の顔に当たっていたような距離だった。
「う、うわあああ!」
男は動転し、美人書記を突き飛ばす。
私は美人書記を受け止めてから、動転している男の鳩尾を蹴り飛ばした。
「申し訳ありませんが、私ではあまり長くは保たないでしょう。この場から早く立ち去ってください」
私は美人書記の肩を大通りへと押し退け、アイリスの方を向いて指示した。
「え?そんな、クラウディアだけ置いて行くなんてできないわ!」
アイリスは恐怖で顔を青くさせながらも叫ぶ。
「足手まといだと申し上げているのです。いいから、早く行きなさい!」
私は声を張り上げるとともに残る男6人へと突撃した。
振り子のように横から振り回された拳を内腕でいなし、鳩尾に拳を叩き付ける。
男は不意打ちに身構えられず、息を呑む様子こそ見せたが、大きなダメージには至っていない。
どうにもできない体格差。覆らない性差。私は自分の非力さを知っている。
「そろそろ行ったかな?」
バタバタと駆けていくアイリスたちの足音を聞いて、私は僅かに安堵した。
あとは、私が上手く逃げれば済む話だった。
背後で先ほど蹴り飛ばした男が起き上がる気配がする。
視界の端で剣の切っ先が見えた。私がギリギリで後ろへと距離をとれば、剣の刃先は男達の仲間へと向かう。
「え?そんな、テメェ!!」
剣を持った男は動転した様子を見せてから、私を強く睨みつけた。
私は剣を持った男の腕を蹴りあげ、剣を空中へ跳ねあげる。
直後、後ろからナイフが空気を割いて振り下ろされる。私は重心をずらすがーー躱しきれずにナイフが掠った。
ピリッとした痛みとぬめりが頬を伝う。
私は振り向きざまに男の胸ぐらを掴みあげ、仲間の男達へと放り投げる。
「なにをやっている!」
小道の先、大通りの方から駆けてきた足音。こちらを注意する声に顔を上げれば、騎士団の制服を着た団員が立っていた。
「まずい!騎士団だ!」
残っていた男の数名は足早にその場を立ち去っていく。
お頭と呼ばれていた男も落ち着いてきていたのか、肩を歪な方向へ曲げた状態のまま焦った様子で走っていった。
「君、大丈夫か?」
騎士団員の男は私に声を掛けた。
「ああ、問題ない。助かりました。」
私は大通りへと戻り、石畳に置いていた靴箱とピーマンを抱え直し、息を吐き出した。
「クラウディア!ごめんなさい」
アイリスに呼ばれ、私は彼女の後ろに控える美人書記と元気っ子書記に視線を向けた。
ルミルダが話していたイケメン四天王に関わる情報を思い出す。
「なぜ護衛も付けず、街に来ているのです?」
私は書記2人を睨みつけた。
「え?クラウディア、ねえ、どうしたの?」
アイリスは焦った様子で私の腕を掴み、上目遣いで瞳を潤ませた。
私はそれを無視し、書記2人に言葉を重ねる。
「カロン・リュウフワ様…貴方はリュウフワ卿のご子息です。そして、リオ・ワン様…貴方は東国の王族であられることをご承知おきください」
私はできるだけ冷たく淡々と言い聞かせる。
「クラウディア!違うの、私が無理言って2人に付いてきてもらったのよ!街に来たことがないというから…」
アイリスは必死に私を説得しようとしていた。
「お二人とも、ご自身の身分を今一度よくお考えください」
私はアイリスの言葉に耳を貸さず、2人に対し強く言い含めた。
「リュウフワの名で俺を呼ぶな」
美人書記は静かな怒りをぶつけてくる。
「だったら!貴女はどうなんですかー!一人で街に来ているのは悪役令嬢も同じでしょー!」
元気っ子書記は反省した様子も見せず、反論してきた。
「はあ…、私の名は悪役令嬢ではありません。クラウディア・エリウスです。」
そう私が名乗ったときだった。
「クロード?」
背中に冷たい汗が伝う。
振り向けばそこには、赤く燃えるような髪があった。
「ラビス様…」
私は言葉を続けることができず押し黙る。
ラビスは驚いた様子で一瞬目を見開いたが、すぐに平常に戻り白いハンカチを押し付けてきた。
「使え」
「使う?」
私が困惑したまま棒立ちでいると、ラビスは呆れた様子でため息をつく。
「テメェはアホか?!」
ラビスは私の手からハンカチを奪い返し、乱暴に私の頬を拭った。
「もう血は止まってるから大丈夫だろ」
ラビスはぶっきらぼうに言ってから、ハンカチを私の手に握らせる。
「…テメェがクソロールだってことは気付いてた」
「え?」
呟かれたラビスの言葉に私は息が止まった。
「けど、バルトはクソロールだと思ってねーみたいだから合わせたんだよ!」
ラビスは照れ臭そうに頬を掻く。
「…ありがとう」
私は自然と頬が緩み、彼の優しさに感謝した。
「ーーっ、っせーな!オレは大人なんだよ」
「主君の勘違いを正さないくらいに?」
私は悪戯っぽく笑ってみせる。
「嫌な言い方すんじゃねー!大人の階段登ってんだ!」
「階段登りすぎなんじゃないかい?」
「ハッ!勢いよく登ってるからな、解脱の域だ」
ラビスはドヤ顔でこちらを見てくる。
「それもう踊り場でしょ」
「ふぅ、よく登ったぜ。よっこいしょ…って、そんな老けてねー!」
「ははっ!登っちゃいけないやつだろう?大人を通り越しておじいちゃんだ」
「テメェの方がよほど老成してやがんだろーが!棚上げすんなっ!」
「こんなにもピチピチの乙女に老成とか、デリカシーにかけていないかい?」
「乙女は自分をピチピチとか言わねー」
「それもそうか」
私はついラビスとの会話に肩の力を抜いてしまう。
「試してーことがあるんだけどよ」
ラビスは急に声のトーンを下げて、こちらを真っ直ぐな見つめてきた。
「なんだい?」
私が小首を傾げるとほぼ同時、ラビスは躊躇無く私の顔面目掛けて殴りかかってきた。
「はあ?!」
私はほぼ反射的に重心をズラして、殴りかかってきていたラビスの腕を掴み、肩口に手刀を入れて床に引き押し倒した。
「ちょっと!ラビス!クラウディア!なにしているのよ!」
アイリスが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「アイリス!テメェは離れてろ、これは漢と漢の闘いだ」
ラビスはアイリスを制して、再び向かってきた。
「どうしたんだい?!急にらしくもないだろう」
私は困惑したままラビスに問いかける。
「テメェの実力見せてみろや!」
ラビスは目を見開き爛々と輝いている。
ラビスの左回し蹴りが勢いよく迫る。
私は1歩詰め寄り、右腕で勢いを受けながら鳩尾を狙って膝蹴りを入れた。
「テメェは間合いの詰め方が独特だな」
ラビスは驚いた声で呟いた。
「母が変わり者でね」
「母ね、ルイ元帥だったよな?エリウス公の相手は」
「そうだね」
私はラビスと距離をとる。
ラビスは鳩尾に直撃した蹴りに眉根を寄せこそしたが、軽く笑みすら浮かべて顔を上げた。
「オレと殴り合ってる時のテメェは、ギラギラしてる」
「は…?」
思いもよらない言葉に困惑し、私は動きを止める。
ラビスの拳が眼前で寸止めされ、私は風圧に瞬きした。
ラビスはつまらなさそうに頭を掻く。
こちらの反応を確認するためだろうか、視線だけが真っ直ぐにこちらを射抜いている。
「軍に…っつーか、今は騎士団に名を変えてるけどよ?テメェはこっち側の人間だろーよ」
「どういう意味だい…?」
ラビスの言葉の意図が掴めない。
「気色わりぃんだよ、令嬢ぶってるテメェの動きは最初から軍人のそれだっつーのによ」
ラビスは吐き捨てるように鼻で笑った。
「…否定はできないが、肯定したくもないね」
これ以上の問答は控えたい思いで話を切るが、ラビスは気付きもしない様子で体重を乗せた拳を鳩尾目掛けて突いてきた。
「テメェに結婚なんざ似合わねー。戻って来いよ、オレがテメェの上官になってやる」
なぜそのようなことを言うのだろう?
マセナ大佐と同じことを聞いてくる。
意図は汲めずとも、答えは一つしかなかった。
「私には務めなくてはならない仕事があり、請け負ったからには投げ出す訳にいかないんだよ」
私はラビスの拳を右斜め後方にいなしながら、ラビスの腕を掴んで投げ飛ばした。
「そーかよ、」
ラビスはつまらなさうに呟き、床からひょいと起き上がる。
「今の私はエリウス公爵家の令嬢だからね」
私は言って、肩を竦めた。
「クソがっ、ひよってんじゃねーよ」
ラビスはそれだけ言ってアイリスたちのところへと歩いていく。
私は踵を返して、帰路へとついた。




