21変わらない日々に甘えたいです。
暖房が炊かれた生ぬるい空間。患者は静かに診察を待ち、看護師が順番に声を掛けている。
「フィーネ、悪いけど事務室で診察手続きをしておいてくれるかい?」
私はフィーネに指示を出す。
「了解です!あの…これからどうされますか?」
「そうだね、一時保護の方向で動こうか」
「そうですか…わかりました」
フィーネは切なそうに一瞬表情を曇らせてから、顔を上げ笑顔を見せる。
「僕いってきますね、クロー様」
フィーネはそう言って、すぐにパタパタと走っていった。寝癖の目立つ栗毛がピョコピョコと跳ねる。
親子が診察を受けている間、バルトとラビスとともに私たちは待合室に残される。
時刻は正午に差し掛かろうとしていた。
病院特有の消毒液の臭いが充満しており、鼻の奥がツンとする。
「…テメェにあの親子に介入する権利あんのかよ?」
ラビスの冷たい声が降りかかる。
「法は私たちを守ってくれますが、私たちは法を守る責務があります。与えられた職権の行使はあくまで法に基づき執行しております。」
「ハッ!くだんねーな?頭の硬ぇクソジジイかよ、テメェは」
ラビスは吐き捨てるように鼻で笑う。
「…これが私の仕事です」
誇れるような仕事ではないかもしれない。
けれど、これが私に与えられた仕事だった。父が働けなくなり、兄が失踪し…その後を継がざるを得なかったとしても。
確かに私が請け負った仕事だった。
たとえ、環境がそうさせたとしても、抗わなかったのは私の意思だ。
「親子を引き裂いて、それをテメェは仕事と呼ぶのか?あ"あ"?」
「状況によります。分離せざるを得ないと判断した場合は…仰るとおりです。」
私はラビスの目を強く見据えた。
燃えるような赤髪に鋭い瞳もまた同じ紅蓮の炎を灯している。
「テメェ何様だよ?」
ラビスの声は地を這うように低くドスが効いていた。鋭く睨みつけてくる目は鈍く光っている。
私は大きく息を吸い込んでから、言葉を発した。
「私はエリウス公爵家として国に仕える公僕です」
「テメェに親と引き離される気持ちわかんのか…」
ラビスの声が僅かに掠れているような気がした。
「私にはわかりません」
同情に意味はない。
感情に責任はない。
心情は察せない。
「わかりもしねークセに、無責任だと思わねーのかよ?」
ラビスの言葉が突き刺さる。
苦しげに歪んだラビスの表情に、先ほどの母親が重なって見えた。
「私の仕事は子の生命を第一優先としています」
私の答えにラビスの表情が凍る。
「…テメェは権力振りかざして楽しいか?あ"あ"!?」
ラビスの手が私の顎を掴む。
ラビスは怒りに震える腕で力を込めたまま、奥歯を噛み締めていた。
顎が外れそうな痛みが走るが、悟られないよう必死に食いしばった。
眼前には形相を変えたラビスが言葉を吐き出せずに、口を開いては閉じて…やはり、何も言えずにこちらを睨みつけていた。
距離を取ろうと思えばできただろう。
しかし、私にその権利があるとは思えず。
されるがまま。ただ、……ーーー。
「クロー様!?」
慌てた様子でフィーネが叫び、駆け寄ってきた。
「……フィーネ、いいから」
私はラビスではなく、フィーネを制す。
「けど、」
フィーネは不安げにこちらを伺ってる。
「チッ、」舌打ちとともにラビスの手が離れていった。
「申し訳ありません」
私はラビスに頭を下げ、深く息を吐き出してからフィーネに向き直る。
「報告があるんだろう?教えてくれるかい?」
「はい。先生から本日はもう帰って問題ないとの話でした」
私はその報告に胸をなで下ろした。
「今後だけど、フィーネは子どもを教会に連れて行ってくれるかい?」
「承知しました。診察が終わり次第、教会へ向かいます」
「うん、頼んだよ」
仕事も一段落したことだし、授業に出るのが学生の本分だろうか。
疲れてはいるが、それを承知で入学している。
「私は学園に向かうね」
私はフィーネの栗毛に手のひらを乗せる。
フィーネはくすぐったそうに目を細め、されるがまま撫でられていた。ふわふわの栗毛は鳥の巣のようにくしゃくしゃになる。
「あったかい…」
零れた言葉はすぐに消えたが、フィーネだけは聞き取れたようだった。
「クロー様?」
フィーネは心配そうにこちらを見上げる。
私はそれにゆっくりと首を振った。
「フィーネとラーメンが食べたいな」
「行きましょう!おすすめのお店探しておきますから」
フィーネは楽しげに微笑む。
私はその笑顔に安堵する。
陽の光に透ける細い栗毛は柔らかい。フィーネの髪に触れていると不思議と安心する。私はフィーネの栗毛から手を離した。
「バルト様、ラビス様。私はこれから学園に向かいますが、お二人はいかがされますか?」
私の問いにバルトは少し考えてから、「俺も学園に用がある」と答えた。
ラビスは黙ったままバルトの後ろに控えている。
「では、行きましょうか」
私は病院の玄関へと体を向けた。
病院の玄関を抜け外に出れば、すでに日は高く登り温かな陽の光が降り注いでいた。
芝を踏みしめて馬車へと歩みを進める。
私は馬車を停めている場所まで辿り着くと扉を開き、バルトとラビスの到着を待った。
「悪いな」
バルトは一言そう言って中へと乗り込み、ラビスはこちらに見向きもせずに周囲を見渡してから後に続いた。
「学園まで頼むよ」
私は馬車で待機していた従者に依頼し、中へと入った。
バルトとラビスが上座である後部座席に座り、私は下座であるラビスの正面に腰を下ろす。
ガタン、ガタン、
砂利道を揺れながら馬車は走り始めた。
「……。」
馬車の中では沈黙が続く。
バルトは外の景色をじっと見つめていた。
窓へと視線を向けると、あちこちで出店が立ち並びお祭り騒ぎになっている。
「ああ、12月7日…慰霊祭ですか」
私は今日の日付を思い出し、その景色が意味するところを思い出した。
「チッ」
ラビスが舌打ちする音が悲しく響く。
市街地へと入るほど、人々の活気が車内にも大きく聞こえるようになった。
慰霊祭の中心地となっている広場。
その中央には"赤髪の英雄"の像が建てられている。
「似ていませんね…」
視線を正面に戻せば、燃えるような赤髪があった。
「ハッ!っせーよ、テメェには関係ねーだろ」
ラビスは私を見ることなく、窓へと視線を向けたままだった。
広場には特に人集りができており、馬車は横道へと迂回していく。
窓の視界は横へと逸れていき、銅像はもう見えない。
木々が茂る砂利道へと馬車が入り、木漏れ日が窓から漏れ落ちてくる。
砂利道の先、いつも寄っている丘の麓にある家が見えた。
「申し訳ありませんが、少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか」
私はバルトに伺いを立てる。
「ああ、構わない。仕事か?」
バルトは嫌な顔一つせずに了承してくれる。
「ええ、もう1年…お顔を拝見出来ておりませんが、奇声や暴力行為で過去にトラブルになっている方がいます。ドア越しで面接はしていますが、幻覚に幻聴症状が出ていると推察されます。」
私は思いだしながら、これから行く住人の情報を簡潔に伝え、馬車から従者に馬車を停めるよう合図する。
「はあ?それは一人暮らしさせてていーのかよ?」
ラビスが意味が分からないという顔で訊ねる。
「…ご本人様が一人暮らしをしたいと考えているなら、その自由を奪うことはできませんから。それに…」
私はこの家の住人について初めて入った通報を思い出す。
「彼はリュウフワ卿の三男であり、通報者はリュウフワ卿の奥様です」
「城でクロードを呼び止めていた奴か?」
バルトが今朝のことを思い出したのか、嫌そうに眉根を寄せた。
今朝、フィーネが私を呼びに来たあと馬車へと向かう道中、城で足止めしてきたのがリュウフワ伯爵。
私は馬車から降り、男が住む家の前まで行く。チャイムが壊れているため、訪問を知らせるにはノックしかない。
ノックを3回。
「こんにちは!クロードと申します。カウチ様はご在宅ですか?」
私は扉に向かって叫び、耳を近づけて物音を確認する。
「生きてますよーーー!」
その時、扉の奥から声がした。
「こんにちは。お元気でしたか?」
私は努めて優しく話しかけた。
「元気だから大丈夫!それよりクロードの後ろに幽霊がいるよ?気を付けた方がいい。良くないことが起きるかもね!」
「そうですか、それは気を付けなくてはいけませんね。教えてくださりありがとうございます。カウチさん、玄関先で構いませんから、お顔を拝見できませんか?」
「うーん…無理!」
彼は少し悩んだのか間を置いたものの、こちらの申し出はことわられてしまった。
「病院にも行かれてませんよね?」
私が気になっていたことを尋ねた時、扉の向こうが急に静まり返った。
「……。」
「カウチさん?」
もう奥に行ってしまったのだろうか?
これ以上の会話は難しいと思い始めた時だった。
「お前らのせいだ!!!!!」
急に怒声が辺りにこだました。
それは扉に耳を近づけなくとも聞こえるほどに大きな声だった。
「俺はお前らの、国の言うことを聞いたんだ!!!それなのに…国は俺を病人にした!!!!」
「国がですか?それはどういうことでしょう?」
私は訳もわからず説明を求める。
「俺は伯爵家の人間だ!なんでもできた!できたんだ!!それなのに、今はこのザマだ!!お前らが悪い!!俺を病気だと言って通院しろと言ってきた、通院すれば次はデイケアだ?嫌々だったがそれにも俺は通った。なのに!!なんでだよ!??なんで俺は…!!!」
私が彼を担当した時にはすでに彼は扉を固く閉ざしてしまっていた。そして、エリーが残した記録には確かに、彼はエリーの助言を聞き入れて通院し、デイケアにも通っていたのだ、一年前までは。
「消えろ!!もう一人にしてくれ!!お前らのせいなんだよっ…!」
怒声は徐々に威力を失い、泣き声へと変化していく。
「みんな俺のことを悪くいうんだ!!」
彼を蝕む何かがあった。
事務的な回復へと道筋として、通院開始とデイケア通所は一般的なものだった。
彼には合わなかったのか、服薬をせずに症状が悪化したのか、または全く別の原因か。
通院すればいい道が開かれるわけではない。
入院も同じく、良くも悪くも作用する。
病気なのだという自覚がない、病識がないままに無理やり通院させられれば、不安感から通院を中途半端に止めてしまうケースも少なくない。
しかし、私は医師ではない。彼を救えるなど烏滸がましい。
「…また日を改めますね。私から言えることは、いつまでも家に引き篭もっていたとして、現状は変わりませんよ」
私は扉に向かってそう伝える。
反応のない扉に背を向けて、私は馬車へと戻った。
「大丈夫だったのか?こっちまで声が聞こえていた」
バルトが不審げに問うてくる。
「私は大丈夫ですよ」
私はバルトの気遣いに感謝し、そう答えた。
「…ならいい」
バルトは顔を逸らしたまま、それきり何も言わなかった。
馬車は丘を登り、学園の前で停車する。
私がまずは先に降り、扉を開けたまま待機する。
バルトとラビスが馬車から降りるのを確認してから扉を閉めた。
「本日はお忙しいところありがとうございました」
私はバルトに礼を言う。
「いや、勉強になった。こちらこそ礼を言う」
私はバルトからラビスに顔を向ける。
「ラビス様も業務の合間を縫って、急な護衛にも関わらずご同行頂きありがとうございました」
「ケッ、テメェのためじゃねーよ。バルトの護衛はオレの仕事だ」
ラビスはそう吐き捨て、さっさと学園へと歩いていく。
枯葉が音を立てて走り去る。
冬の風はまだまだ冷たい。
「クロード」
バルトに呼び止められ振り返る。
距離にして1mほど、私はバルトと向かい合い、彼の話の先を促した。
「なんでしょう?」
学園の校門、授業中のためか辺りに人はいない。
「父があんたに初めて俺を会わせた時、あんたの第一印象は最悪だった」
「最悪…だったんですね」
私は瞼を伏せ、数ヶ月前に王室に呼ばれバルトと対面した日を思い出す。
「あんたは妹を物のように扱っていた。クロード・エリウスという男は家族すら大切にしないゲスヤローだと失望した」
「それは…随分な評価だったんですね」
バルトは私から顔を逸らし、過去を思い出すように遠くに視線を遣る。
「城内であんたの評判は最悪だろうと辟易しながら、俺は貴族や官吏にあんたについて聞いたんだ」
だから、あんなに早く私とバルトの婚約が知れ渡ったのか…。
「けど、返ってきた答えは…俺の予想とは違っていた」
バルトは私の目をじっと見詰める。
「これまでクロードの仕事を見せてもらって思った」
真っ直ぐにこちらを見詰めるバルトの表情は真剣で、金色の髪は風になびき陽の光を反射していた。
「福祉現場はあまり甘い景色ではなかったでしょう?」
バルトが1歩、距離を詰める。
冬の寒さがツンとして、鼻の奥が微かに痛んだ。
「クロードはこの仕事をどう思う?」
この疑問を私も過去にぶつけたことがあった。
「昔、母に同じ質問をしたことがあります。私は仕事とは耐え忍ぶことと思って過ごしていますから」
「……。」
「『好きなことをする』母は笑ってそう言いました。その姿が眩しくて…私もいつかそう言いきれるくらいに自分に自信をつけたいと思っています」
私はバルトに微笑みかけた。母との記憶はあまり多くない。
母は多くを語りはしない人だった。だからだろうか、母が仕事を好きだと言ったことが、とても印象に残っている。
「俺はいつかクロードとともに仕事がしたい」
バルトは穏やかな笑顔を浮かべ呟いた。
バルトの紫色の瞳に私が映っていた。
彼の後ろには街の景色が広がっている。港には船がとまり、街は賑わい、人々が暮らす町並みが続く。
目を閉じれば、冬の寒さがわずかに沁みた。
「"私"はバルト様が手放さない限り、貴方の傍におりますよ」
冬の風はどこまでも冷たく吹き付ける。
「行きましょう?もう、午後の授業は始まっています」




