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11教会でドッキリばったりです。

「クラウディア来てくれたのね!こっちよ」アイリスに手を引かれ、引きずられるように連行される。

人々が楽しげに食事する庭を進み、懐かしいブランコの横を抜けると、厨房の勝手口に着いた。勝手口は開け放たれていて、手前に置かれたテーブルにはパンとスープが並べられている。

元気っ子書記が楽しげに食事を配り、会話していた。

「どんどん持っていってくださいねー!まだまだありますよ〜〜!」溌剌とした声で、お年寄りや子供たちに話しかけている様子だった。

「パンが焼きあがったぞ」エプロン姿で現れたのは美人書記で、似合わなさに吹き出しそうになる。

「おい、遊んでんじゃねーぞ!?」さらに奥からエプロン姿の赤毛が顔を出し、それがラビスだとわかった時には我慢出来ず笑ってしまった。

「ふっ、エプロンとか、ふふっ…!」

にやける顔を手で隠すが、小刻みに揺れる肩を抑えられない。

「あー!あなたはクラウディアですね!」

元気っ子書記にバレた。

奥から釣られてぞろぞろとイケメンが顔を出す。バルトも姿を現し、ルミルダ認定のイケメン四天王+愚弟がそろい踏みとなった。

「なぜ来たんだ?」バルトは不快そうに眉根を寄せる。

「所用にございます」簡潔に答え、一礼する。

「嬉しいわ!クラウディアもいてくれたら楽しいもの」アイリスは嬉しそうにそう言って、花が咲いたようにふわりと微笑んだ。

スープの優しい香りが鼻腔をくすぐる。小麦の焼きたてパンの匂いは食欲を誘った。暖かな昼の日差しが降り注ぐ。

「クラウディア?」後ろから子供の声がして振り向けば、見知った子供の姿があった。

「久しぶり、元気にしていたかい?」声を掛けると、子供は視線をさ迷わせて、こくりと頷いた。

膝を折って視線を合わせる。

「パンとスープは食べたかい?」

「ない!」元気溌溂な返事に嬉しくなって、私も子供に微笑み返す。

「アイリス様、パンとスープ頂けますか?」振り向きながら、アイリスに訊ねる。

「ええ!もちろんよ!」

アイリスは楽しげにパンとスープを手渡してくれた。

受け取ったスープを手渡すと、子供は上手く食べられないのか、もたもたとスプーンを手で転がした。

「貸してくれるかい?」子供からスプーンを受け取り、スープを掬って口元まで運ぶ。ゆっくり、繰り返す。

「やってみるかい?」少ししてからスプーンを返す。

受け取った子供はやはり上手く出来ないのか、スプーンとスープをひっくり返した。

「あ!」アイリスが小さく驚きの声を出すのがわかった。

落下した中身が足元に飛び、靴下まで湿っていくのがわかる。幸い中身は冷めていたようで、火傷にはならなさそうだ。

「無理させてしまったね、パン食べるかい?」残っていたパンを手渡すと、子供は嬉しそうにちぎっては口に運んでいく。

「これ!」子供は元気よく片手を差し出す。

手の平には道で拾ったのか、少し土のついた石が握られていた。

「ありがとう」そう返して、石を受け取りポケットに入れた。

子供はそのまま駆けていく。

「クロー様…大丈夫ですか?」フィーネが心配して声を掛けてくれた。

「ん?ああ、スープは冷めてたし問題ないよ。ほっとけば乾くさ」立ち上がり、軽く屈伸する。

「アイリス様、申し訳ありませんが、私はこれで失礼致します」そう伝え、立ち去ろうとするとアイリスに腕を掴まれた。

「さっき来たばかりじゃない!もう少しいいでしょう?」寂しげに腕に縋る小柄な美少女に惑わされそうになるが、そもそも約束まであまり時間がない。

「所詮は俺の機嫌とりって訳か?」

「……」バルトの冷たい声に視線を上げれば、軽蔑の眼差しを向ける姿があった。

「顔だけ出して終わり、そういうことだろう?」糺弾するような口調に反論の余地はない。

不穏な空気が漂い始めたとき、厨房から愉快そうな声がかかった。

「おお!クラウディアじゃないか?元気しとったかのう?」口元のちょび髭を撫でながら出てきた男性は神父の服を身につけていた。

「じいちゃんは元気そうだね?」

「ほぉっ、ほぉっ、ドナーツの売れ行きは、どーなっつ?」手渡された紙の包みを開けば、ドーナツが入っていた。これを言うためだけに買ってきたらしい。

「今日買い足す、教会多数…あるようだね」上手くはないが、捻り出したオヤジギャグを返して、ドーナツを頬張る。

「流石はわしが1年仕込んだだけはあるのう」

「1年オヤジギャグ聞かされた身にもなってくれよ」

「これもまたコミュニケーションじゃよ」神父は満足げに頷いた。

ふと横を向けば、アイリスがぽかんとした顔をしている。眼鏡副会長に至ってはドン引き顔だ。

「……いや、これはなんていうか…」言い訳しようと口を開くと、突然に入ってきた女性の声にかき消された。

「クラウディアじゃないの!元気だったー??」バタバタとエプロンで手を拭きながら、女性は私の両頬を手で挟む。

「サベラさんこそお元気でしたか?」照れくさくなって、やんわりと手を外しながら訊ねた。

「もー!照れてるの?それより今日はスカート?制服よね、似合ってるわ!可愛いわよー!」ハイテンションでまくし立てられ、若干気圧されながらも、懐かしさに頬が緩んだ。

「10月からカロリング学園に通っています」

「そう!そうなのねー!もうっ、あなたモテモテじゃない?こんなに可愛いんだもの〜!」再び両頬を挟まれて、うりうりと撫で繰り回される。

口を開こうにもできず、されるがままだ。

「わしも心配しとったんじゃよ。会うたびズボンばかり履いとるから、男にでもなりたいのかと思ったんじゃぞ?」

「あら!あたしはクラウディアが男の子になってもあなたの味方よ!…多少、度肝は抜かれるけどね」サベラはお茶目にウィンクする。目元のシワが年齢の積み重ねを感じさせたが、小麦に焼けた肌はパワフルさいつまでも若々しい。二児の母である彼女は昔から包み込むような優しさがある。

「知り合いなのか?」美人書記が興味なさげに訊ねてきた。

私が返事をする前に、神父が口を開く。

「ほぉっ、ほぉっ〜これはなかなかな美人さんと見たのう。クラウディアも隅に置けんなあ〜」ニヤニヤ顔を向けてくるので、毛のない頭を引っぱたいた。

「痛っ!年寄りは大切にせい」避難がましく、神父は頭頂部をさすった。いい気味だ。

「クラウディアはうちで働いてたのよー!ここの子みたいなものでね、取っ付き難いかもしれないけど…仲良くしてあげて?」サベラはそう言って、私の髪を押さえつけ、頭を下げた。

「はい!よろしくね、クラウディア!」幸せそうに微笑み、アイリスは答えた。美少女は心根まで綺麗なのかもしれない。

「あー!それより迎えに来たのよ!あなた遅いんだもの!ほら行くわよ!」サベラに襟首を掴まれ、教会の中へと引っ張られる。

「歩けますから!離してくださいよ」抗議するもサベラは何処吹く風だ。

「フィーネ!ぼーっとしてないでおいで!」突っ立ったままのフィーネに声を掛ける。

厨房から続く廊下を進み、渡り廊下を通過すると、保護施設となっている住居に繋がる。渡り廊下の両側は木々が茂り、涼しげな風音が吹き抜けていた。

「母親には教会内の面会室で待っててもらうよう伝えてあるから、先に息子さんの様子を見てもらうね」サベラはそう言って、施錠された扉を鍵で開けて、中に通してくれた。

フィーネと2人で中へと入る。

食堂となっている共有スペースを通り、職員が在中するエリアで挨拶する。横目に事務所の戸棚を開けようとしている男性を見つけた。

「サベラさん!少し外します。先に行ってください」サベラの背中に声をかければ、軽い了承の返事があった。

戸棚には薬剤が管理され施錠されているが、どうやら鍵が外れたらしい。

「こんにちは」男性に近づきすぎる前に声を掛けて、視界に入るよう横から彼の手首を掴んだ。

「食堂にみなさん集まっているようですし、宜しければ行かれてみてはいかがですか?」やんわりと手首を離して、逆手で戸棚を施錠する。眠剤等の薬甁が所定の位置にあり、倒れていないか目視してから、事務所をあとにした。

前から走ってくる男性の肩を軽く受け止めて、交わしながら歩く。

複数の扉が廊下の左右対称に配置され、何部屋も続いていた。

「こちらが息子さんのお部屋よ」サベラに案内され、並ぶ扉の一つに手をかける。

ベッドと小さなタンスが置かれた個室、タンスには駅のホーム等に置かれているような冊子が積み上がっている。何冊かは千切られた形跡があった。

彼は部屋のベッドで横になっている。

「初めまして、クラウディア・エリウスと申します。」挨拶とともに一礼してから入室する。ベッドサイドにしゃがみ込み、彼に視線を合わせる。

「お名前をお聞き出来ますか?」問いかけると、彼は首だけを動かしこちらを見据えた。

「お手前、騒がせてしまい申し訳ありません…」そう伝え、フィーネに入室するよう手招く。

おずおずとフィーネは中に入ってきた。

「体に痛みや動かしにくさはありませんか?」男性の額にはぶつけたような痣とたんこぶができていた。

手足の動きを見たかったが、ふとんの隙間に布製の紐を視認したため、動作確認は断念することにする。

30代の成人男性、ベッド上でも身長の高さが伺え、がっしりとした体格をしていることがわかる。

彼は言葉にならない声を漏らし、身じろぎする。繋がっていた点滴がぐらりと倒れかけた。

ガタン、とベッドが音を立てる。彼の手にはめられたミトンが点滴の管に触れた。

「突然の訪問となり失礼致しました。お時間いただき、ありがとうございました」礼を言って、立ち上がった。

フィーネも慌てたように一礼して、「ありがとうございました」と告げ、その場を後にした。

サベラの案内に従って、来た道を逆に戻っていく。施錠されている扉を出て、渡り廊下を歩いた。

「あの…クロー様」

「ん?なんだい?」振り向けば、フィーネが不安げに視線をさ迷わせていた。木々の葉が擦れる音が吹き抜けて、静けさが一瞬、時を止める。

「なぜ手にミトンをつけていると思う?」問いかける。

「え…」

「なぜ体をベッドに固定していたと思う?」戸惑うフィーネに畳み掛けた。

「…わかりません」フィーネは悲しげにそう答える。

無知は、罪じゃない。

無学は、恥じゃない。

「私はその答えを持たないけれど、フィーネなら違う選択ができるかもしれないね」


慣れは、恐ろしい。


「…行こうか、母親の説得が今日の正念場だからね」フィーネの頭に手を置いて、栗毛を掻き回す。

渡り廊下の左右を彩る紅葉が鮮やかに視界に入ってきた。

夕方に入り、風が冷たさを運んでくる。

夕陽に反射して輝く金髪を視界の端でとらえる。

渡り廊下の先でバルトが腕を組んで立っていた。

立ち止まり、問いかけた。

「バルト様いかがなさいましたか」

「お前の言う所用ってやつが何なのか見る」バルトは不機嫌そうに答える。

「私の一存では決めかねますから、お引き取りください」

付いてこられては厄介と、咄嗟に考え断りを入れたが「いいんじゃない?見ても。王子様なんでしょう?」サベラによってあっさりと覆えされてしまった。

「…わかりました」

サベラがいいと言うのなら、反論のしようもなく、仕方なく承諾する。

「お前はここに何をしに来たんだ?」こちらを見ることなく、バルトは訊ねる。

正直に言えば、通報が入った案件の対応なのだが…クロードとして成り替わっていることをバルトには伝えていない。

「…フィーネのお仕事を拝見しに参りました。」わずかに逡巡してから、曖昧に言葉を濁した。

嘘ではない。

沈黙が流れ、気まずさに冷や汗が出てきた。

「クラウディアー!ちょっとこっち来て!」急にサベラに手を引かれ、肩を組まれて横に並ぶ。

「どうしたんですか?」

「この後だけど、クラウディアの方針は?」面談室が近いためか、サベラは声のトーンを落として小声で聞いてくる。

「今日はまず話を聞くところまでです。結論はまた後日に改めて話し合いたいと思ってますけど、サベラさんは?」

「うーん、うちとしては早く結論を出したいのよ。母親が連日うちに来てね…泣くし怒鳴るし…職員が対応に時間をかなり割かれてるの」サベラは悩まじげに頭を振った。

「…私も以前はここで働いてましたから、対応に苦慮していることは想像に難くありません…それを踏まえた上で結論を待って頂けませんか」

「…わかったわ。けど、迷惑行為と取られるレベルに達したら流石に出すしかなくなるから、その辺は覚悟してね」それだけ言って、サベラは組んでいた肩を離す。

「ねえ、そういえば。この間の騎士団から高齢者虐待の疑いで通報があった…おばあちゃんの件どうなったの?」声のトーンを戻して訊ねられる。

「ああ…知人男性から突き飛ばされたおばあちゃんですよね。元々、知人男性がおばあちゃんを介護していたみたいで、男性も反省してましたし…問題ないように思います」男性と面接した際の記憶を思い出しながら答える。雰囲気は優しく、しっかりした方だったように記憶している。

「そう?ならいいけど…さあ、着いたわよ」

サベラは"面会室"と手書きされたプレートのかかった部屋の扉を開けた。

サベラに続いて入室し、後からフィーネとバルトが続く。

「初めまして、クラウディア・エリウスと申します。本日はよろしくお願いします」挨拶とともに、一礼し入室する。

面接室は2人掛けの長椅子が2つと1人掛けの椅子が一つ、ローテーブルを囲うように設置されている。折りたたみの椅子を1つ用意取り出して、テーブルから離れた位置に設置した。

「バルト様はこちらをお使いください」簡易椅子しかないため、咎められると困るのだが、バルトは何も言わずに椅子に腰掛ける。

その様子に安堵してから、女性に向き直り席順を思考した。

長椅子に母親と思われる高齢の女性が座っている。

長椅子に私とフィーネが席をとり、女性の正面に私が、女性から見て斜め前にフィーネが、最後に1人掛けの椅子にサベラがそれぞれ腰掛けた。

「お忙しいところ、お越しいただきありがとうございます」感謝を述べてから、フィーネに視線で話し合いを進めるよう合図する。

「えっと…今日は息子さんとお母様の今後について話し合いたいと思っています。お母様としては、息子さんとお家で一緒に生活したいと考えていらっしゃるのですか?」フィーネは単刀直入に質問を投げかける。

「まあ…その、ええ。そうです。大きくなるまでは私が息子の世話をしてましたから、ここを出てお家で一緒に暮らしたいと思っています」母親はおずおずと答える。

「大きくなるまでというと…成人するまでですか?」フィーネは優しく問いかける。

「はい、息子が20歳になるまで。女手一つで育てましたから…構ってあげられないときもありましたけど、私ももう商売を辞めましたし」

「大切に育てられたんですね」フィーネは母親に頷きかける。

「ええ…あの子とっても優しいんですよ。紙ちぎりが昔から大好きで、感覚遊びって言うんですかね…楽しそうにしているあの子を見てるとこっちまで嬉しくなって」母親は昔を思い出したのか、懐かしそうに語っていく。

「20歳からとなると、10年以上はこの教会で生活されていると思いますが、なぜ急にお家に帰ろうと?」フィーネが話の筋道を戻す。

「…こんなこと言っていいかわかりませんし、お世話になってきた御恩もありますし…けど、息子は…この教会にいじめられているんです」苦しそうに母親は顔を歪める。

「いじめ…ですか?」

「先日、あの子が病院に入院になって見舞いに行ったんです。そうしたら、大きな胃潰瘍が出来てたみたいで…お医者様が『なぜここまで酷くなるまで気づかなかったのか』って私に仰って…驚いてしまって」

「胃潰瘍なら痛みがあるはずですよね」フィーネは悩むように腕を組む。

「ええ、きっと息子も痛がっていたはずです。けど病院に連れて行ってはくれなくて、下血して初めて受診したなんて遅すぎますよ」母親は語りながら涙目になっていた。

「そうでしたか…」フィーネは同情を示す。

「だから、これからは私が息子の面倒をみます」強い意志を込めて母親は宣言した。

「ご心痛は察するに余りありますが…失礼ですが、お母様はおいくつですか?」フィーネは慎重に問いかける。

「今年で73歳になります。歳でしょうか…膝が痛くて大変ではありますけど、けど大丈夫ですよ」母親は両膝を擦って答えた。

「お母様のお気持ちとしては、息子さんと生活されたいということですよね」

「はい」フィーネの確認に、母親は力強くうなずいた。

シワを刻み白髪交じりの見た目は優しい高齢女性といった雰囲気で、少し背中を丸めて座る姿は弱々しくも感じさせる。

息子はもう30代だけれど、母親はもう73歳になるけれど、いくつ歳を重ねようと母親は彼の母親なのだ。

「私からもいくつかご質問よろしいでしょうか」私は母親を正面から見据えて質問する。

「なんでしょうか…」不安げに母親は視線を下げる。

「食事に介助は必要ですか?」端的に質問を投げかける。

「えっと…」

「わたしから答えてもいい?」口ごもる母親に代わって、サベラが回答する。

「では、サベラさんにお聞きしていきます」私は視線を母親からサベラへ移す。

「食事に介助は必要ですか?」サベラに対し同じ質問をした。

「スプーンで自力摂取可能ですね、集中力が切れて食事を止める場面はみられますが、促しにより食べすすめることができています」

それは、母親の努力と愛情の賜物。

「おトイレはご自身でできますか?」

「拭き取りに介助を必要としますが、基本的にはご自身でできていますよ」

母親が諦めずに、時間をかけて教えたのだろう。

「衣服の着脱に介助は必要ですか?」

「シャツの前後が間違っていないか声掛けはしますが、着脱行為自体はご自身でできています」

深い、深い、愛情をもって…彼女が彼を育てた証拠。

けれど。

愛情だけでは、生活は営めない。

息子はもう子供ではなく。

母親はもう若くないのだ。

「お母さん…息子さんの介助できそう?」母親に訊ねる。

「大丈夫です、できます」母親は力強く頷いた。

母親がそれらを覚悟した上で引き取ると申し出ていることはわかっていた。

先ほどの部屋で見た情景を思い出す。

「では…自傷行為は?」サベラに問う。

「自傷行為と言っていいか分かりませんけど…異物感からかな?点滴を抜いてしまったり、かさぶたを剥がしてしまうから、その辺は気にして見てますね」

推測のとおり、だった。

「最後に聞きます」

サベラへの質問だったが、最後に私は母親と視線を合わせた。

真っ直ぐに見つめた先で母親は、不安そうに、こちらを見返した。

「出血するほど…壁に頭突きを繰り返すことはありますか?」

「ええ、あるわね。止めに入るけど、彼は体格がしっかりしていて力が強いから…すぐに止めることは難しいかな」

私は母親の目をしっかりと見据えて告げる。

「お母さん、よく聞いて。お母さんの年齢と身体では…息子さんを介助しきれない。共倒れする可能性があるにも関わらず、お母さんは息子さんを道連れにする気なの?」

重い沈黙が流れた。

誰も次の言葉が浮かばず、口を開こうとはしない。

遠くで排気口の音が鳴っている。服の衣擦れが大きく聞こえた。

「おい…!」

振り向くとバルトは焦った様子で立ち上がっていた。

「それは、言いすぎじゃないのか?」バルトは居心地悪そうに視線を動かす。

「事実を申し上げているだけです」感情を込めず、淡々と告げる。

「……」

バルトはそれ以上の言及をせず、静かに椅子へと戻った。

「今日はこれでおしまいにしましょう?また改めて話すってことで。お母様もこれから先の事を改めて少し考えてみてください」

サベラはそう締めくくり席を立つ。

フィーネとともに一礼し、その場をあとにした。

古びた木造の廊下を進み、ステンドガラスのはめられた礼拝堂に辿り着く。

ステンドガラスの下には主祭壇がある。

太い柱が2列に並び、中央の道を挟んで長椅子がいくつも連なる。

「それじゃ、あたしは仕事に戻るわね!次の日程は改めて決めましょ?クラウディアよろしくねー!」サベラはそう言うと、両手で私の頬を挟みぐりぐりと撫で回す。

満足げに頷いてから、外へと出ていった。

いくつも並べられた長椅子の一つに腰掛ける。

夕陽がステンドガラスに差し込み、キラキラと色とりどりの色彩を映していた。

子供たちの賑やかな喧騒が遠くに聞こえる。

「今回の件、担当はフィーネなんだろう?」バルトはステンドガラスに視線を向けながら問うてきた。

「仰るとおりです」

「なぜ口を出したんだ?」バルトは苦しげに眉根を寄せる。

「…教会から出る方向で話が進んでいたからです」

「母親が息子を引き取りたいと言っているのに、それを他人が兎や角言う資格があるのか?」こちらを向いたバルトの顔は、憎々しげに歪んでいた。

「破綻するとわかっている未来を見過ごせますか?」

「そんなこと、やってみないとわからないだろ…!」バルトは悲しげに訴える。

「母親の元に息子を帰すわけにはいきません」はっきりと明確に言い切った。

「お前には人としての情がないのか!?」

糺弾するバルトに対して、

「私は慣れてしまった側にいますが…誠意をもって対応しているつもりです」

そう答えることしか出来なかった。

「もういい、俺は帰る。フィーネ、邪魔をして悪かった」そう言い残してバルトは帰っていった。

バルトの背中が逆光にあたり見えなくなれば、バタンと扉が閉まる音とともにフィーネと二人きりになる。

「仕事の邪魔をしたことは自覚してらっしゃったんだね」ぼんやりと呟けば、フィーネはがっくりと肩を落とした。

「そこですか?」

「大事だろ?他人の迷惑も考えない厚顔無恥なら矯正しようかと考えていたところだよ」冗談半分で返すと、フィーネは呆れたようにため息をついた。

「矯正って…そのうち鞭とか常備しないでくださいよ?」

「そこまで言うなら、鞭はフィーネだけに使おうか」

「特別扱いみたいに言わないでください!」

「嬉しくないのかい?」意外だという思いを顔に出せば、フィーネは焦ったように両手を顔の前で振って否定する。

「僕はMじゃないです」

「ドMだったかい?」

「訂正箇所が違います…!」

「仕方ない、鞭が気に入らないならロウソクを使おう」

「特殊な趣味は持ってません!そんなこと言ってると、悪役令嬢と噂されても反論できないですよ?」フィーネは眉間の皺を抑える。

「フィーネまで噂が広がっているのかい?」

「僕までというか…もはやクロー様の二つ名レベルで広がってます」

「二つ名ってカッコいいね」適当に相槌を打つ。

「厨二病こじらせましたか?」フィーネにドン引かれた。

「遅まきながらに」雑に肯定して返せば、呆れたと言わんばかりに首を振られた。

「なぜあのようなことを仰ったのですか?」フィーネは心配そうな声音で訊ねる。

「あのようなって…フィーネが鞭で打たれたい性癖を持っていること?」

「事実捏造ですし、その話は終わったでしょう!?」

「終わってないよ、大事な同僚が変態かどうかの瀬戸際だ。答えによっては対応を改めないと」

「改めるんですか?」

「ああ、褒めるときは頭を撫でるのではなく、縛り上げるとか」

「ただのパワハラです!」

「労をねぎらう代わりに、ピンヒールで罵るとか」

「ピンヒールは好きですが、罵られるのは遠慮します」

「おっと、フィーネの意外な趣味が明らかに」

「誘導尋問だ…!」

「まあ、それはさておき…なにが言いたいんだ?」

「それはこっちのセリフですよ…何の話してたか忘れちゃったじゃないですか」

「あのようなことをなぜ言ったのか…という話をしていたよ」

「そうでした…バルト様がいたのに、なぜ反感を買うような発言をされたのですか?」

「始めからそういう筋書きを予定していたろう?」

「…そうですが、バルト様の誤解を招くような発言…婚約してらっしゃるのでしょう?」

「もともと、惚れた腫れたで婚約していない。それに…私の意図をフィーネはわかってくれているだろう?」フィーネの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「それはそうですが…」

「なら十分さ」

そう伝えると、急にフィーネに左腕を引かれた。

フィーネの顔が近くまで迫る。

片手が頬に触れた。

傷でも撫でるように、ゆっくりとフィーネの指先が頬をなぞる。

ふわりと、フィーネの目が弧を描く。

「クロー様の瞳は海と空の色をしています」焦茶色の目が自分を写す。

「べっこう飴みたいだね」

「はい?」

「フィーネの目は」

「…もっとロマンチックなこと言えないんですか?」

「煮物みたいだ」

「空腹ですか?」

「端的に言えば、そのとおり」

「飴いりますか?べっこう飴じゃないですけど」フィーネは楽しげに笑うとポケットから包みを取り出す。

「ふふ、ありがとう」そう言って口を開けると、フィーネは一瞬、躊躇ってから飴玉を口に入れてくれた。

陽が沈み始めたのか、ステンドガラスの奥に見える空が暗く陰り始めている。

横から差し込む夕日が出口までの通路を真っ直ぐに照らした。

「おや、まだおったのか。ふぉっ、ふぉっ」扉が開く音に視線を向ければ、ランプを手に持った神父が立っていた。

「じいちゃんなにしてるんだい?」

「もう日も暮れるしのぅ、火を灯そうと思ってな」神父は礼拝堂の柱に置かれたロウソクに火を点けていく。

「手伝うよ」

ロウソクは銀皿に立てられており、柱の窪みに設置されている。そのうちの一つを手に取って、神父とは反対側の柱から火を点けていった。

「クラウディア…決めるのは、本人じゃよ」背を向けたまま、神父が口を開く。

「わかってますよ」

「わしらは誰も救えん…自分で助かってもらうしかないんじゃよ」神父は最後のロウソクに火を灯して、こちらを振り返った。

「カボチャいるかのう?そこの若いの」神父はフィーネに快活な笑顔で話し掛けた。

「え、カボチャですか?」フィーネは困惑したように聞き返す。

「"誠意とはなにかね"」台詞がかった言葉は聞き慣れた神父の口癖だった。

「『北の国から』ですか?」懐かしさに頬が緩む。

「覚えとったかの?」

「じいちゃんの持ちネタですよね」

「聞いておいてなんじゃが…生憎とカボチャは持っとらんでなあ、これといってはなんじゃが…イカはいかがかのう?」ポケットから取り出したのはイカの干物。

「…随分と臭いの放ちそうな物をポケットから出しましたね」つい服の匂い移りを心配してしまう。

「このために仕込んどったからのう」

「貰います、イカしたイカなんでしょ?」自分で言いながら、少し恥ずかしくなる。

「可愛い可愛いクラウディアにわし秘蔵のイカの干物をあげよう」嬉しそうに神父は笑いながら、紙包みを開けて干物を差し出してくれた。

一つ受け取り、口に含む。

「うまいよ、ありがとう。じいちゃん」

干物は少し、しなびていた。

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