28<救われる者は騎士をも掴む>
王太子の近衛騎士が嘆く程度には、この異世界はあまり医療的な発達がみられない。
すなわち、致命的なダメージは寿命に直結した。外科治療なんてあったのか? といわんばかりの文化文明世界である。概ね頑丈な体躯(人類)なのは、金髪碧眼の騎士団長が自らの身体を駆使して判明した異世界事情であるが――――さて、ところ変わって路地裏に落ちゆく人影。
黒い髪が宙に靡き、石畳上にひとりの少女が物理的に落下しつつあった。
といってもあっという間の出来事であろう、両目を瞬いている合間の、ほんの数秒の出来事。
次に起きることは簡単に予想できる。
全身を強く強打、運が良ければ助かるかもしれないが、もし駄目ならば……待ち受けるであろう残酷な未来。そのような未来を彼女自身、気付きもせず。
里山遥は、浮上しようとしていた。
それは何故か。
(ふわふわなこの感じ。懐かしい……)
微睡み、別名、二度寝ともいうけれど。
わたしは好きだった。寝る子は育つっていうし!
(でも、もう身長は伸びないかも)
同年代に比べ、遥の背丈はそれなりに高かった。
運動部、に入るぐらいには彼女は運動能力が高く、たまに他の部にも助っ人として呼ばれることもあった。これからも伸びる余地はありそうだったが、彼女の両親や血縁関係をみるとこれ以上は余裕はなさげだったのだ。先祖代々の写真アルバムも然り。また、彼女自身、牛乳を摂ることを控えている。何故かといえば乙女の秘密。思春期なのだ、彼女にもアレコレと悩むことはある。
(けど、あー……、あんまり寝てると、
お母さんに怒られちゃう)
ぐぅぐぅと夢の世界へ旅立つのも良いが、朝っぱらから叱られるのはよろしくない。
良くないが、うん。やっぱ寝よう。この眠気、なんせ日向ぼっこしてるみたいに心地良いのだ。
意識を浮上しようとしていた。
でも、このまま寝そべって体を丸めるのも悪くはない。
(お母さん、ごめんね)
遥は今日の朝ご飯は何だろうと、うとうとと思考を飛ばしながらも眠りの姿勢に入る。
だって、なんだか疲れてるのだ。まるで全力で何かに打ち込み、そう、地区大会にでも出場したかのように疲弊していて身体が動かない。なんとなく頭の片隅に物事が色をつきそうな気配を見た気がしたが、勘違いという線にしておいた。そのほうが平和だと、遥らしい感覚でもってこの睡眠欲という五大欲求に絡めとられようとしていた。朝のスープや、パンの焼ける匂いの幻を、その鼻を蠢かし、えへへと微笑を口元に浮かび上がらせながら、きっと階段を騒がしく登ってくるであろう母の足音を実は期待して、待ち構えながら眠りの姿勢につい、入ろうと――――
「ヲイ!」
騒々しい、なんでか遥自身にもイライラさせる声が、微睡む優しい世界を一喝せしめた。
「サトヤマハルカ! 聞いてルのカ! それとモ、まだ寝ぼけてンのか?」
「ちょっと! こんなひどい目に遭ってるサトヤマ様に、
なんてことを言い出すのかしら! この王様は!」
「俺様だわっ、横暴だわっ!」
そして、遥の額にかかる前髪を。
いじる指があった。
それは労わるようなもので。
「……あなたたち。
いい加減にしてもらえるかしら?」
顔に落ちるかのような、覚えのある女性の声がした。
女性にしてはハスキーボイス。
「彼女は得体のしれない奴に連れ去られそうになっていたのよ?
それも不甲斐ないあんたたちのせいで、
あんなにも高いところから落下しそうにもなっていた。
……大丈夫だと太鼓判を押していたくせして、この体たらく。
護衛の任もできない、こんなにも堕落しきった傭兵どもは、
今すぐ穴でも掘らせてその場に埋めてやりたいんですが、
よろしいでしょうか、団長?」
「ちょ、悩まないでちょうだい!」
「ア、アタシたちだって反省してるのよぉ」
「反省してるのなら誠意をみせなさい、
このすっとこどっこいの玉無し野郎ども」
「怖いわこの眼鏡姉ちゃん!」
「な、なんでアタシの玉無いの知って」
「え、アンタ無いの!?」
ざわ、ざわと揺れる空気。
(わ、懐かしい)
ちょっとの間でしか離れていなかったのに、彼女のこのキツい言い方はほっとする。まるで家に帰って来たかのような。
「反省してるわよぅ、
でも、でもでもぉ、この王様だって酷いわ」
「サトヤマ様を人質にしてるっていうのに、
この人、平然とあんなに鋭い武器使うだなんて」
「馬鹿じゃないかしら」
「いいえ、考えなしなのよ。
敵を虫の標本みたいに壁に打ち付ける、
のは千歩譲るとしても、ね。
自信満々なのはいいけれど、
女の子が人質なのよ!? 外したらどうしてくれる!
蜂の巣じゃすまねぇぞコラ!」
「まさかサトヤマ様の安全を確保してなかったとは」
「間抜けですな」
「単純に仕留めることに熱中してすっぽ抜けてしまっただけ、
かと思われますが、彼女は抱えられていたので狙いずらかったのでしょう。
まぁ、馬鹿につける薬はないということでここはひとつ穏便に」
「テメェら……」
(なんだろ?)
さらなる言い合いが、ぽつぽつと。
暗闇の温もりにいたがる遥周りで、複数の、それなりの人数が言い合っているようであった。
いずれもが、これまた覚えのあるくすぐったい声ばかりだ。
「……落ち着け」
(あ……)
この、低くて耳障りの良い声。
「里山さんをこれ以上、外に置くのは安全を確保できる状況とはいえん。
かといって、ここから宿は……どこに宿泊している?」
「新市街の、花売りの兄ちゃんが素敵な辻角の……ごふんごふん、……」
「なるほど。
…………そうか、そこだったのか……それでは気付かんな、レオン」
「はい団長。まさかそのようなところに人が宿泊してるとは」
「……え、アタシたちってそんなヤバいところ泊まってたかしら?」
「いや、さほどヤバくはないが……」
「……まぁ、あまり。
その。無事で良かったですね」
(えっ)
気になる。
わたしプラス傭兵団の皆さんが泊まってたところって、一体……。
(でも確かに、あそこの宿って。
たまに変だったよね……)
安くって、でも宿泊してる人の顔ぶれがすぐに変わる。
短期宿泊者ばかりだと思っていたのだが、すぐに宿から立ち去ろうとする往来の人々の姿が思い返される。それはこういった傭兵団員たちのある種、過剰な言い方や仕草がちょっとばかし声がデカいせいかと仕方なく考えていたのだが、どうやら違ったようだ。
「あれ?」
ぱちり、と目が開くと。
そこには、いっぱいの。
「あら、目が覚めたかしら?」
――――馴染みある、人たちの顔があった。
まるで花の都ならではといわんばかりの色が並んでいる。異世界ならではの色彩だ。
「あ……」
覗き込まれていた。
それも、たくさん。
「えと、」
道理で覚えのある声であったはずである。
自分は眠っていたようだ。
戸惑い、思わず身を捩って体を起こそうとしたが、我が身が言うことを聞かずに立ち上がれず。
ふらりと倒れそうになる。
「あれ?」
すると、宥めるかのように誰かの温かみが背中にあった。困惑する。
気付けば、どうやら遥は誰かに支えられているようだった。
恐る恐る振り向くと、そこには。
「レディなのですから。
あまり無理をしてはいけませんよ、里山さん」
里山遥にとって、教師ともいえる女騎士がいた。
「マリアン先生!」
名を呼ぶと、小さく微笑んでくれる。
すっかり仲良くなったといえる女傑だ。普段からのクールっぷりは健在だが、金環国では護衛騎士として、ずっと守ってくれていた人でもある。
現在、腰を落としているらしい彼女は私を懐に抱き、なんと、横抱きをしていた。
「あ、ええっ?」
慌てた遥だが、あら、とダリア・マリアン。
彼女はいつもの調子で、自由になるほうの片手で眼鏡をくいっと上げ。
「急に動いてはいけません。
大丈夫、里山さんをきちんと抱えて移動しますから」
「え、え、え?」
「それとも、別の方をご所望しますか?
幸いにして、沢山いますのでよりどりみどりです」
まるで選んでいい、と言わんばかりの言い草に周囲から苦笑する声が漏れた。
「あららぁ、いいわよぉ?
あたしたちがきちんと! しっかり!
今度こそ守るわっ! この、太い腕と厚い胸にかけて!」
盛り上がった力コブを見せつけてくる傭兵のひとりに、遥も頬を緩める。
「それとも王様をご希望かしらん?
でもねぇあまりお勧めできないわ。ほっそいもの」
「それよりこの無駄にカッコ良い騎士様はどうかしら!?」
「え、それってオレのことですか?」
急に水を向けられ、両目をきらりと光らせた傭兵たちが一斉に跳びかかり……ベタベタと張り付かれた人がいる。視線を向けるや、彼はなんだか困った顔で直立不動のままだ。
きっちりとした騎士服からも見事に彼が王都の国関係の人だと分かる。
それでいてサラサラの髪やたれ目がちな瞳に、目元についた黒子。
(わ、イケメン)
などと遥が一瞬、思うのも無理はないほどだった。顔立ちも甘やかで整っている。いかにもモテそうオーラがあって気品もあり、こうしてムキムキな傭兵団員たちに囲まれていると、まるで野良野獣に絡まれた王子様の完成である。
「ええと。その、傭兵、の方ですよね? 金環国、のっ!?」
「わお! すっごく良い腕の筋肉!」
「二の腕、イイネ!」
「ちょ、どこ触って」
「腹筋も……グ~ッド!」
すごいセクハラされている……。
嫌がっていたが、傭兵のひとりがぽつりと。
「騎士団長さんと違うわね」
「えっ」
「この筋、ちょっと細いわ」
「本当ですか?」
「あら、積極的」
言われたことが気がかりなのか、イケメン騎士は自ら腕まくりをし始めた。
それにまた傭兵たちが群がり、あれこれと顔を突き合わせて言い合うようになっていく。
「……ヲイヲイ、アイツら散々オレを馬鹿にし腐って、
何をしてんだカ」
「あっ、王様!」
次に近寄ってきたのは、サダチカ王。
金環国の少年王だ。心なしかバツが悪そうである。
「……悪かったナ。
助けるツもりデイたガ、ナ」
ちら、と。
壁際の、上へと仰ぎ見る彼に誘導されるかのように遥もまた目を向けるや、そこには未だ張り付けられたままの犯人がいた。打ち付けられた壁面から、たまに破壊された壁の欠片が落ちてくる。
「あっ」
それも、かなり高い位置である。
犯人の服四方に打ち付けられている投擲のブツらしきものが散見され、器用なものだと遥は感心した。なんせ血が出ていない。ちゃんと、身動きができないようにと計算し尽くした打ち方をしていたのだ。ただ、そのために遥は落下したといっても過言ではない。遥の安全にまでは気配りできなかった。
「あんなところに」
「おマエの服に傷ツケると穴空くしナ」
「そりゃそうですけど」
不満は残るが、怪我ひとつなく助かったのだ。
(ま、いっか)
遥は持ち前のポジティブシンキングで気持ちを持ち直した。
だからか、気付かなかった。サダチカ少年王には省略した言い方が含まれていた。
腕に自信はあるが柔肌に穴があくかもしれない、という一応の配慮を示していたことに。
わいわいと騒ぐ彼ら。
サダチカ王は普段よりも少しばかり感情的に口先を尖らせていたものの、たちまちに相好を崩す。
にやけている、といってもいいだろう。
「リディ」
喜色まみれの少年王の声色に、遥もはっとして、面を上げる。
すると、そこにずっと会いたいと願っていた人物がいた。
金髪碧眼の騎士。
遥にとって、この異世界におけるもっとも安心できて信頼のおける人物だ。
ぶわり、と目元が緩む。
「リディ、さん……」
言うや、遥と同郷の者でもある彼はサダチカ王から一歩前に出て遥に対し、柔らかな笑みを向けた。




