18<金環国、観光親善大使ご一行様③>
遥にとって、この異世界は奇妙としかいいようのない世界である。
(奴隷、かあ……)
彼女の髪はなんでか翻訳装置として稼動中だ。システムは謎である。普段使いに便利だが、まれに飛び交う故郷由来とおぼしき言語には困惑する。
「むー……」
唸り過ぎると、金環国出身の親切な傭兵さんが心配げに剣の手入れから目を離しかねないので遥は窓辺に配置してあった長椅子に座し、お上品にゆったりと流れ行くぷかぷか雲を眺めた。
(王都に来る途中で群れてた、モフモフな羊っぽい)
馬上からの180度見渡す限りのどこまでも続く地平線や、過ぎた廃村の静寂さ、きちんと手入れされた村々の活気。地毛であろう色彩豊かな頭を持つ人々の働く姿や恰好に興味を覚えたり、瑞々しい果実を齧ったり、煮て食べたり、喋ったりする生活を味わい、ぬるま湯で水浴びをした思い出が蘇る。女性陣は朝の支度が大変だからいつも早起きだとか、農村では子供だって即戦力なんだとか、現代社会生まれの彼女にとってこの異世界は昔の世界、そのものだともいえる。
こうして生まれて初めての体験をしながら訪れたアーディの王都は、異世界生活歴が短い遥としても、さすがに洗練された都会であると言えた。
和に重きを置いているもののごっちゃ煮感のある金環国と比べると、整然とした欧州のごとき外見ではあったが、固そうなレンガや石で理性的に組み上げられた堅牢さは目を瞠るもので、美しい夕日に染まり、凸凹とした壁に投影され伸びていく造形は異郷さながらで際立つし、まるで絵葉書のようだった。中も案外と過ごしやすく料理は味の濃いチーズが美味だし、パンは各々の宿泊した宿ごとに出てくるので金環民たちはどんより雲模様だが、遥は洋食好みな舌を持つので嬉々として食した。
花の都としても名を馳せる王都は地元の人間も誇りとしているらしく、隙あらば壺や変わった入物にも鮮やかな色の花を植えておき、歩く人々の視線を和ませた。遥の眼前にある窓枠の柵にも、蔓と可憐な花がくるりと据えられてあるため、この王都住民の園芸への熱意はしこたま本物であろう。
今は、夜が近い日暮れ時でもあるため、可愛らしい花弁は早じまいのようであるが、明るい日差しの元で石畳の上を闊歩をし、アーディ王国の紋章らしき旗があちこちでばたばたと揺れて蠢く有様もなかなか良い見ごたえのあるものであった。
ただ、こうした忍び寄る日頃の終わり、優しい静けさというものか。
街灯がぽつぽつと灯り出した、この王都の貫禄が滲み出る風景というものも、なかなか。
これはこれで良いものだと思う。
「サトヤマ様、寒くなぁい?」
「だーいじょーぶ!」
にへら、と振り返り見ながら笑い、息を吸う。
肺が、この世界の空気を取り入れて胸が上下する。
(奴隷ねえ)
遥にとって、体験はしたことはないがうっかりそうなりかけた身分。
それが奴隷だ。
手足に鎖、鉄球ぶら下げ。
遥の想定する奴隷なんて、そんなものだ。
教科書に書いてある、記述。たったそれだけの行数でしか説明されないものだ。
三角貿易、毛布、植民地支配、船底に魚の餌、身内の争いやら民族抗争やら……そういった具体例を教師が黒板を前に取り上げて話をし、歴史を説明していったっけ。だからか、いまいちピンとこないのかもしれない。
奴隷制から逃れるために他国へと飛び入る、という勇気というか。
生き残るためのやり方というか。そうしなければ生き残れない、という手段をとった彼らを目の当たりにして、遥は動揺した。したし、嫌なものが纏わりついてる気がして気分が悪い。
それは若者特有の潔癖からくるものなのかもしれない。
「むー」
頬を窓枠にくっつけ、悩む。
が、あまりにも彼女は経験が少なすぎて、己の心の底でふと過ぎったものを掬い取ることができなかった。その深淵、覗き込みたいが。
(駄目だ)
脳はちっとも働かない。
「サトヤマ様?」
ちら、と見やればなよなよしい護衛たちが心配そうに自分を見守っている。
奴隷、として縛り付けようとした制度を悪用し続けてきた国を恥ずかしく思っている彼女……彼らだ、これ以上自分自身があれこれと口にする訳にもいかない。気にしているようだし。遥自身、気にしてしまう。
にへら、と笑うと戸惑いつつ同調するように笑む傭兵に。
「乙女の秘密!」
人差し指を己の口につけ、しぃ、とポーズをとる。
すると、彼もなんとも言いようのない表情をとるものの引き下がった。相談して欲しそうな顔をしているものの、遥自身、一体何が気がかりなのか分からない。言葉にできないなら説明できない。
だから、内緒ということにした。
風呂に入り、さっぱりとした心地のままに筆をとる。
ロウソクの火がちりちりと芯を短くし、彼女の手元を明るく照らしている。
この陰影に慣れてきたのも、世界に順応してきた証だろうか。
黒インクに滲んだペン先をじっと見詰める。
「サダチカ君、
怒ってないかなー」
遥は、呑気なことを呟きながら字を書く。
のろのろとした癖のある文字になってしまったが、読めなくはない。
木机に置いた便箋代わりの白い紙は軟らかく、彼女自身の持ち物であるルーズリーフだ。これを使うことにより、彼女からの手紙である証明にもなった。
「出来た!」
「あら、報告書出来上がったの? サトヤマ様」
「はい! 出来上がりましたー」
誇らしげな少女のほほ笑みに、傭兵たちもほっこりとした。
「中身、どうですか? 文章、謎なとこあります?」
「……そうね……ええ、大丈夫よ!
とっても丁寧な文章よ。変なとこ、ないわよぉ」
傭兵のひとりが、きっちりと目を通した。
やや硬めな書き方、上流な書き方ではあったが概ねよろしい。特に報告相手が一国の国主ではあるのだ、これぐらい丁寧過ぎても変ではない。副官殿の淑女教育がまたここにピカリと光り、遥は喜色の笑みを維持した。多大な安堵も含まれていたが。
「本当!?
良かった~。
だってサダチカ君、いっつもわたしが書いた文章、
読みづらいって赤字で返信してくるんですよ~」
「あら!」
「あらあら」
「あらあらあら、そうなの!」
まあまあそうなのと、暑苦しく密集し始める傭兵たちの恋愛思考に、一瞬、あのサダチカ王に春が来たのかもというインスピレーションが走ったが知らぬが花というべきか。赤字で文字の書き間違いを指摘してきただけである。
「本当、この異世界の言語って難しいというか。
英語っぽいし。
日本語との対比が~」
英語脳には未だ到達していない遥にとって、この世界の言語はさらにややこしい問題であった。
言葉に不自由しないのは良いが、文字を新たに覚えなければならないというややこしい問題は大問題である。さらには英語と似通った文法や書き方が彼女を混乱せしめる。
「エーゴ?」
「エーゴ? というか、英語です!」
「エイゴ? 何かしらそれ」
「え!? えーっと、世界的に共通言語というか、
英語で喋ると誰とでも意志の疎通がしやすいというか」
「んま!」
「あらま!」
遥の世界では国が沢山あって、その分人種や民族、そして言語も多種多様であり、様々な文明があると伝えると、彼ら傭兵団員たちは大いに驚いた。言語についても同様である。
勇者様の故郷について知ることができて恐れ多いと慄いたが、一歩他国へ出れば言葉が通じない、ということにも驚いたのだ。
「……そういえば、あたしたち、言葉は不自由しないわね」
「読み書きも他の国と一緒よ」
「でもどうかしら、そんな他国へ出る機会なんて、
あんまりなかったし」
「鎖国してたしねえ」
今度は逆に、この異世界の言語事情について知らされた。
なんでも、この異世界においては言葉も読み書きも世界共通であるという事実である。
もしかすると外国語、という概念さえもないのかもしれなかった。
「へ~」
遥の故郷では、かつて今まで使っていた日本語ではなく英語を使おうという提案が昔、それこそ遥が生まれる前にあったらしいが、しかし、日本語が良い、ということになり、英語とはやや縁遠くなった。おかげで書物は日本語で溢れたが、英語は溢れない。その代わり英語に関して疎くなり、文献や先進の研究資料が英語で書かれてあったりすると出遅れたり、世界の共通話題についていけずたまさかに他国人に先進国なのにと驚かれることもあったりはするが、まあ、概ね平和を享受していた。
(そういうこともあるんだ)
遥はなんとはなしに世界の言語が同じ物であるというのならば、この異世界ならではの事情があるのでは?
なんて思ったが、今はそれよりも成すべきことがある。
「お願いします!」
「では、いつものようにお届けするわね」
彼らは金環国代表でもあるため、定期的に王様に対し報告を上げねばならなかった。
というかそういう約束である。金環国の宰相の差し金……もとい、少年王の承認も含めてのアーディ王国来訪である。旅費交通費を出してくれた金環国のためにも、それなりの情報を国の代表へ持ち帰らねばならない。
報告書作成という大役を任せられているのが、そう、勇者の卵でもある彼女、里山遥である。
いそいそと太ましい指で器用に、インクの乾いた便箋代わりのルーズリーフを畳んでいくのを尻目に、もう一人の傭兵が遥に話題を提供する。傭兵たちは基本的に遥の側を離れない。常にひとりは傍仕えとして存在し、遥が一人っきりになることは寝るときと小休憩、あとは着替えぐらいだ。
「それにしても、きちんとしてるわね、
サトヤマ様!」
「え、あ、うん。
だって、すごいキレてたし」
想像すると、互いに共通する人物はただひとり。
伸びた茶髪を鬱陶しげにしつつも、公務公務と忙しそうにしている少年王そのひとである。
遥との勝負に負けた少年王は、大いにその身分に違わぬ行動をとらず、ふんだんにぷりぷりと激怒したのだった。
「……まぁそうね」
「なかなかの剣幕だったものね」
えへへ、と何故か恥ずかしげに頭をかいている遥を、傭兵らは遠い目をする。
少年王は元は暗殺者まがいのことやってきた経歴があったため、怒るととんでもなく怖い。傭兵にとって殺気なんてものは慣れたものだが、どう見ても一般人として大事に育てられたとしか思えない遥が、あの殺気をものともせずに堂々と対峙できる、というのはなんとも言いようのない心地となる。
さすがは勇者の卵というべきか。修羅場をくぐり、豪胆になってしまったというべきか。




