10<改革>
以降、リヒター殿下は蝶のように舞い、蜂のように刺すといった物理的ではない積極性を貴族院の連中に見せたり、粛々と署名したり破棄したり、秘密裏に人を呼びつけて話し合ったりを繰り返した。
――――宮廷雀たちはたびたび囀る。
社交界に出入りするのはやぶさかではない、などと言う私のイケメン部下を行かせたところ首尾よく情報を得られた。帰り際、騎士団長の執務室へ訪れた彼は少々の酒臭い息を零しつつも襟を正す。
「来年度の入学には是が非にも我が子を入れたいと。
どの貴族らも、躍起になっているようです」
(まさかそこまで好意的になっていたとは)
寄宿学校、という制度に始め眉を顰めていたのである、悪さをしなければ良いがと探りを入れたところ、この瞬間風速並みの手の平返しは驚嘆に値する。
年若き部下もまったく同じ感想を抱いていたものか、肯いてみせた。バランスよく配置された両目と頬周りがアルコール成分で常にない朱色に染まっているあたり、早めに帰宅させたほうが良さそうだ。
「研究を重ねながらも、
教壇に立っていた彼らの教えは的確だそうで、
休暇のたびに生徒たちは方々に自慢し、
褒め称えているそうです」
「ほう」
アーディ王立学校には長期の休暇が定期的にあり、いうなれば夏休みとか冬休みのことである。
(カリキュラムによれば、
万有引力の法則でさえも具体的に、
その謎を解明しながら教えてくれるそうだからな)
我が子が身振り手振りで披露してくれる内容を、昔ながらの貴族にとってはさぞ斬新に映ったことであろう。アーディ王国は学問に関しては他国に対し大いに遅れをとっている。そのため、他国の研究者、というよりかは頭脳を引き入れるのは何ら間違ってはいない。忠誠を誓わせたのは裏切りを憂慮してだが、裏切りなんてそれはしないだろう。多分。でないと彼らは己の人生テーマといっていいであろう研究をアーディで続けられないし、行くところもない。故郷を捨ててまで、彼らは勉学の道を選んだのである。
(人を救う、というのは何も物理的なものばかりではないからな)
そう考えると、彼らは実に、いやとても有益な人材である。
そして、そんな彼らの教え子たちは立派にアーディ王国を盛り立ててくれることであろう。花の都とも謳われるアーディの王都に新たなる金の卵が産まれるのを目の当たりにできるかもしれん。私が生きている間に、と注釈が入るが。
(果ては国の中枢、文官、などだろうか)
武官の登竜門は厳しい騎士学校である。
ならば、文官もそうなってしまってもおかしくはなかった。
(あるいは、殿下はそこまで考えていらっしゃるのかもな)
面映ゆい思いだ。
ふ、と笑みが出てしまい、爵位を持つ部下もまた、イケメン無罪な微笑をしてみせる。
「団長、なかなか面白いことになりましたね」
「うむ」
王太子が持つ部下という名の手駒には、表を受け持つ部下と裏を受け持つ部下がいる。
私は表だ。
王太子にとって悪いことやきまりの悪い面を被るのも私の担当である。
おかげさまで悪口のオンパレードは一通り垂れ流されたし、眼前でメンチ切られたこともある。この世界の若者もなかなかに切れるナイフである。
さて、という訳で命令系統において優先されるのが殿下のご命令だが、その限りではない場合がある。国王陛下が命を出されたときと、私自身が殿下の命令を不服とし、諌めねばならないと決断したとき。すなわち、反発である。
(リヒター殿下はやんちゃだからな)
王太子殿下はたまに理不尽過ぎる嫌いがあり、そういう時は命令違反をする。
それが出来るのも私自身がいつ命を散らしても良い、と決めて騎士団長をやっているからである。本当はやっちゃいけない。駄目、絶対。軍属がそれでは不味い。でもやっちゃうのは昔からだから仕方ない。正直使い勝手はあまり良くない駒なのではないかと考えているが、今のところ私を隠居させる方向ではなさげなので、殿下的にもそこまでではないんだろう。多分。気心が知れている間柄だしな。甘いといえば甘く危険ともいえるが、それでも私はこうして生き残ってこれたからのだから、結果オーライともいえよう。終わり良ければすべてよし。
子供が泣いていたら慰めてやりたいし、助けてやりたいのが私の性である。
(ただ、命令違反ゆえの罰は受けねばならなくなるが……)
殿下は怒るときは怒るお方だ。切れるナイフよりも怖いナイフを持っている。そういう時、成長なされたと感動するも、自身の至らなさを反省すべきだろうかと時たま悩む。
(結局、命令違反するのは人のため、殿下のためだと思うときぐらいだからな)
また、私自身の持つ指示系統の部下たちも表に属する。
騎士団長である私が率いる部下たちのことである。
その筆頭ともいうべき副官が私には存在していたが、今、手元にいない。
彼女には別の用件で金環国家で仕事をしてもらっている。
(副官殿は元気かな……)
眼鏡をきりりと思い出す。隣国から報告書をよこしてくれるので元気ではあるんだろう。彼女の文字は教本みたいに整っており、勇者の卵と少年王の現状をこれでもかと言わんばかりに書き連ねてくれる。不満も同時に綴られてそうである。うむ。
(まぁ、致し方あるまい)
私としては、金環国が安定するまでは戻るのはよろしくはない、とは思っている。
私の副官殿は優秀な騎士である。女性初の騎士として、いっぱしの騎士よりも膂力があり計算も決断力も高く、私としては次期騎士団長候補としてもいいのではないかと睨んではいるが、だからこそこうして地位を踏み固めて貰っている最中である。彼女からしてみると隣国在住の貴重なる日本人女子の護衛でしかないので、ややつまらないのかもしれない。一応、金環国家に伝手を作ってはくれてはいるだろうが。
我がアーディ王国は未だに男子優先という面があるので、彼女にはそういう面においても女性の地位向上を目指して欲しいと社会的な考え方に浸る。
(そういえば……)
私は、リヒター殿下に男女共同参加とか、そういった教え方をしただろうか?
とふと我に返る。
今回のアーディ王立学校は、男女共学である。
あれは間違いなく、殿下のお考えが反映されている。
(確かに、ある一定の。
婚活的な社交界デビュー時には、退学も選択できるが)
しかし、そのまま王立学校で生徒でいられた。
その先にあるものはさらなる勉学の向上、己をさらに高めるための教育である。
何故、殿下はそういった道を選べるように配慮したのだろう。
まるで女性の地位向上を狙ったかのような気配りである。
「いや……」
どうだろうか?
私もとうとうおっさんだしな。歳月はせちがらい。
いつの間にかこうして騎士団長というものをやっているが、私の持つこの前世の記憶や経験は、この世界にとって毒にも薬にもなりかねない起爆剤にも成りうる危険性を持つ。だからこそ、私は今まで黙っていた。ただ、どうだろう。私は、絶対に口にしなかっただろうか?
「どうだろう、な」
ぴたりと足を止め、回廊の只中に立ち止まる。
すると、見覚えのない鳥が頭上を飛翔していくのが目に見えた。
ぴーひょろろ。
なんだか聞き覚えのある鳥の鳴き声である。
しょぼしょぼと目頭をつまんだ答えといえば、どうだろう。
(民主主義とか……そういったことまでは)
ただ、自由な生き方や民のことについては言及はしていた。
深く記憶の底を浚うも、過去についてはさっぱりである。
首を振る。
太くなった首は、私の身体を支えるに適したものだ。かつての自分からは考えられないほど立派な、幹のようなものが据えられている。そうして、こき、こきと。骨を鳴らすかのように首を回し、空いた手の平で首の後ろを撫でる。
「ふむ」
制度や憲法は、やはり教えていない。
だから。
立ち尽くしたまま、王城の堅牢な石づくりの壁や、頭を下げて過ぎる文官や武官、騎士たちを軽く見やる。あの鳥は、自由に羽ばたいている。私を置いて、どこかへと飛び上がっていくのを目線でただ追いかける。
「……まぁ、なるようにしかなるまい」
結局、それに尽きるのである。




