9<ひらかれた開校式>
開校式が行われた。
中庭には軽食とは建前だと言わんばかりの豪華な料理がテーブル毎に配膳され、保護者同伴の立食形式とした。警備方責任者としての私は見渡しやすい会場端のテーブルにてひとり、ぽつんと立席している。私一人の前にも他テーブルと同等の、それも量のある見目を楽しませる品々がひしめき合うように給されており、決してぼっちではないが、ぼっちにしか見えない塩梅である。
フレッシュな新入生らは分かりやすく新しい制服を揃って纏い、男女そろって初々しい様子だ。試験を突破した彼ら生徒の身分は様々である。士農工商というべきか。いや、士、のところは貴族と変更すべきであろうか。地元の有力者に推薦された形で優秀さを発揮した民の子もいたりするしで、貴族と一般庶民が混じり合ったこの場はかつてないざっくばらんな異空間的な会場と相成り、無言で互いに目配せし合う妙な緊張感を孕んでいた。
卓上には色鮮やかな花が揺れている。
流れるようにして翻る赤毛の毛先が、そんな花々の花弁よりもより濃厚な色彩を残した。
「あ……」
そんな驚きの声が、青空会場のあちこちからさざ波のように沸き立つ。
さすがに貴族に連なる者たちはやや耐性があるので低姿勢で頭を垂れるが、こんなにも間近で目にすることは極めて稀であっただろう民たちは、式典に現れた王太子殿下に釘づけである。
葉っぱの舞い落ちる音でさえも拾えるのではないかと思えるほどの静寂さの中に、滔々とした、まるで楽器の調べのような声が晴天に響く。
「……あの方が……殿下……」
「凄すぎてさぁ……」
「泣きそう……」
開校式いの一番のスピーチが終わると、割れんばかりの拍手である。
滂沱の涙を流しているのは王太子派の嗚咽止まらん賓客貴族だが、まあそれはいつもの風物詩として。
(社交界に未だデビューしていない、
有力貴族らの子息らを。
それも、跡継ぎをこの学校に入学させるとは)
なんという力技。いや、こういう場合は貴族の嗅覚を褒めるべきか。王太子派は当然のごとく我が子を王太子の意向に沿うようにと投入してるが、なんと、王太子派以外の大貴族でさえも己の嫡子を入学させたのである。思い切った行動であるが、次代の流れに阿るのは世の常である。
(……万が一の保険、かもしれん)
何かあった時のために、我が子でさえ使う。
果実水を未使用のガラスコップに入れながら嘆息する。空からの光にキラキラと色のついた輝きを放つ美術品の細工ガラスのコップは、王城からの持ち出し品である。王家のものだ。
社交界の荒波を乗り切る彼らのバランス、凄まじい。
(ただ、教育に関しては)
頭脳ばかりを揃えているとはいえ、未だ実績のない学校である。不透明だ。それにアーディ王立学校はかねてからの提案を採択し、寄宿学校とした。数年は彼らは親元から引き離され、学校が決めた授業の通りに学ばされる手筈である。社交界デビュー辺りで退学するか、そのまま在籍するか選べるのは配慮した形であるのだが、教育如何によっては下手すると洗脳させられる可能性もあるというのに、親貴族は堂々とワインを飲んで談笑中だ。いいのか?
……まぁわざわざ試験勉強させて入学させたんだから良いんだろうが。
(貴族の教育、それは各ご家庭で異なるからな)
サトゥーン伯爵家の場合、優秀だとされる教師を外から入れ、名門ならではの厳しさで鞭を使った教育方針を取り入れている。とかく、勉強やマナーに関しては子供を甘やかさない家だった。幼い頃からそうであったため、他の家もそうかと思いきや違ったので私はグレそうになった。育ち盛り真っ盛りな小児時代、その幼い手の甲に作られた大きなミミズ腫れは痛くて熱くて、眠れなくてよく泣いたものである。これは、大人精神でも正直キツかった……。
今回、この学校ではそんな前時代的な体罰はしない、というのは教えられたカリキュラムで判明しているので安堵している。
(背中も叩かれて理不尽だったしなあ)
そんな過去を忘れがたく頭を横に振っていると、端にいる私のほうへ、賓客への挨拶も終えたリヒター殿下が護衛騎士を引きつれて私の方へとやって来た。
豪奢な人が豪華な服を着用している。
上着である朱色の布地は他国のもので、かつアーディの軍服を模した。襟詰まである。金色の刺繍も成され、肩から袖口にまで続いてちゃらちゃらとした音のついた飾り紐付きである。殿下の赤毛のほうが目立つ朱色だが、白いズボンとブーツのコントラストは妙に合致していた。
王宮行事でもないというのに、正装に近い。
まったくもって殿下のこの気の入りようが、この学校設立に向けて本気で力を入れているのが良くわかる。王宮とはまこと、恐ろしいところだ。
「殿下。お疲れ様でした」
頷く彼に、私は喉ごしの良い飲み物を手渡す。
白い手袋のまま受け取ったリヒター殿下、一口、唇に吸うようにしてこくりと飲み込み、ふぅ、と息をついた。
殿下のあとは続々と来賓らのスピーチが続き、最後はしんがりとして学校長が出てきた。
杖を使い、しずしずと歩んでいる。見る限りでは大層年配っぽいご老人のようだが、白く長いふさふさな髭が目に止まる。アーディ王立学校におけるトレードマークになりそうだ。
プレッシャーは相当あるだろうに見守る全員の視線なんて気にもせず、来客らがスピーチするために敷かれた敷物の上に学校長は悠然と立ち止まる。
(ほう)
そうして、思いのほか張りのある声を出したものである。
「我らはアーディ王国の栄えある先駆者として、
生徒諸君には新たなる未来を得るための、教育を受ける権利を望む。
いずれはその自由と責任を果たせるような大人になってもらいたい」
王立学校の掲げた目標である教育を受ける権利、を訴えている。
殿下の真の目的だから賛同者なのだろう。ふむ。リヒター殿下はそつがない。学校長に言わせている感はあるが、そういった時代を目指しているのだろう。
(……自由と責任、か)
主君の背中越しに見える学校長、からの王太子殿下へと視点を移す。
私のほうが背丈が高いから、見下ろす形になるが。
ぶりの良い頭の形、その纏う赤毛の、絹のごとき髪はさらさらと小さく風に微動している。
梳かれた髪質は日々手入れされ、上着も毎日別のものを着付ける。たまに私も手伝うことはあるが、それでも子供時分と違い、私の出番は少なくなっていった。
(……)
思えば。
リヒター殿下の生い立ちは、厳しいものだった。
殿下は、見捨てられた子供だった。
いや、赤子として生まれることさえ、嫌悪されていた。
それなのに、この。
さも、世界中から祝福されるかのような態度をとられ。
(苦しく、ないだろうか?)
勿論、これらはリヒター殿下御自身がその才能に溺れず、努力した結果だ。
血筋もあるし、美貌もあるし、立場もあるが……。
殿下は、教育係でさえはじめ与えられなかったものだから、私はいつもつきっきりで文字を教えたり、習慣や、生きるために必要なことはすべて教え込んだつもりだ。
のち、見込があると思われたものか次第に人が集まるようになった。優れた教育を施されるようにもなった。英邁な頭脳に、誰もが称賛した。
(……もし万が一)
国に何かがあったり、王位継承もできずに市井へ放たれても生きていけるように。
私がいなくなっても、生きていけるようには彼は立派に成長している。
こく、と。
なんだか、喉仏が動く。
さら、と太い指で撫でていると、リヒター殿下が私のほうを顧みていた。
端麗な面差しがやや傾いているので首を傾げているようだ。
「どうした?
喉が渇いたのか」
「は……」
「飲んで良いぞ」
(別にそうではないが)
断言してくる赤毛の主は、飲んでいたグラスを私に返してきた。
……手に押し付けてきたので仕方なく受けとる。
(まだ残ってるな)
照り返すガラスの、その中には殿下の飲み残しが揺らめいていた。半分以下、ぐらいだろうか。ずっと立ちっぱなしではお腹が空くし、警備に穴がないか光らせてるばかりで手元が不如意だったため、ちょこちょこ小腹を詰めていたのでさほどの空腹感はないが、まぁ飲めないほどではない。胃袋はまだ空きがある。ただ、若者の揃いの制服は、過去を蘇らせるのに十分な起爆剤ではあった。
(この懐かしさは墓まで持って行く)
目尻に露は浮かんではいないはずだが、長年の付き合いがある殿下にはバレる恐れはあった。
ぐい、とグラスを持ち上げ、こくりと一気飲みをした途端、わっと拍手が起きた。
瞬けば、どうやら学校長の所信表明演説は終わったようだった。
「……第一歩ですな、殿下」
「ああ」
教育を自由に受ける権利。
「硬性憲法とはいえぬ」
勅命で出したので効果はバツグンだが、しかし今後如何によっては揺らぎかねない。
「ですが……。
彼ら、若者たちが成長し、良い人生を、良き日々を過ごせる。
その一助になれば良いですな」
「さようか」
「は」
遠い昔、過去。
時も変われば異世界も変わる。
あどけなさの残る子供たち眺める王太子殿下を見ていると、そんな予感がしてならない。




